先週、菅内閣劇場では日替わりで事件が起こり、飽きることのない、支離滅裂の一週間でした。
一週間前に岩手と宮城を訪問して暴言を吐いた松本龍復興対策担当相は、5日、在任わずか9日で辞任を表明しました。実はこの松本氏、昨年9月に環境相兼防災担当相として初入閣していたそうですが、暫く存在感はなかったのに、6月2日に菅総理が辞任表明しながら居座りを続けると、早期辞任を訴える急先鋒となったことから、もしや菅政権にダメージを与える目的で意図的に発言した“自爆テロ”ではなかったかとの臆測も聞こえて来ます。東北の人たちばかりでなく、私のような鹿児島人からも反発を買ったくらいで、代償は決して小さくなく、真偽のほどは定かではありません。
そんな中、菅総理は6日の衆院予算委員会で、自身の進退問題について、「満身創痍、刀折れ、矢尽きるまで、私の力の及ぶ限り、やるべきことをやっていきたい」と述べました。もはやつける薬はありません。
翌7日の参院予算委員会で、菅総理は、またしても思いつきで「安全宣言」を覆し、全国の原発でストレステスト(耐性検査)を実施する方針を打ち出したことはご存じの通りです。週末はこのニュースで持ち切りでした。福島第1原発事故の惨禍が二度とあってはならないと、海江田経産相は電力会社に緊急の安全対策を指示し、その取り組みをみて「大丈夫だ」とお墨付きを与え、とりわけ玄海原発をめぐっては、海江田経産相自ら佐賀県など地元自治体に足を運んで再稼働をお願いし、実現は目前でしたが、全てご破算になったと、さすがの海江田経産相もいずれ責任をとると、怒り心頭、否、呆れて二の句が継げないといった様子でしょうか。
そして翌8日には、玄海原発の再稼働をめぐる「やらせメール」問題で、九州電力の社長が、経産省を訪問し謝罪しました。
こうしてみると、原発問題を巡って、懲りない菅さんは当事者意識が薄く、責任も十分に感じていないのではないかと疑われます。まさか「市民派は自分たちが好きなことはやるけれども嫌いなことはやらない」などと、かつて雑誌インタビューで抜け抜けと自己分析した元・市民運動家のクセが抜け切らないで好き勝手に振る舞っているわけではないでしょう。せいぜい自民党政権時代に蒔いた種だからと他人事のように思ってやしないか。確かに、ロボット大国でありながら原発で稼働できるロボットすら買って来なければならないほど、安全神話のもとで万が一に備えて無策だったのは、自民党政権時代の大いなる不作為として追及されて然るべきでしょう。しかし、3・11の事故発生後の情報隠蔽や対策の致命的な遅れや今なお原因究明が出来ていない緊迫感のなさは、菅さんのもとでの不作為の罪です。
原発問題と言えば、今では福島第一原発ばかりが話題になって、反原発の機運が盛り上がっていますが、同じように被災しながら、東北電力の女川原発や東通原発では問題が起こらなかったことを忘れてはならないでしょう。これらの原発の間で何が違ったから問題が起こったのか起こらなかったのか、しっかり評価・検証しないで、原発は危険だと決めつけるのは安易に過ぎると思います。女川原発は、外部電源3系統中2系統が遮断し、使用済み核燃料プールの冷却システムが一時停止したものの、残る外部電源を使い、原子炉を含むすべての冷却機能が復旧し、なんと事務建屋の別館と体育館に一般住民のための避難場所まで提供したそうです。東通原発では電力供給を受けていた火力発電所が止まったため外部電源が遮断されましたが、やはり非常用ディーゼル発電機1台で冷却を継続できたそうです。
菅さんの心は既に反原発に舵を切っているのかも知れませんが、10年いや20年先のことだけ言うのは、鳩ぽっぽおじさんと変わらない無責任です。もう少し足元を見つめて、少なくともここ10~20年、あらたに原発を建設するのは難しいにしても、代替エネルギーに切り替えるまで、既存の原発施設で使用可能なところの安全を徹底し、日本の社会と経済の持続可能を担保するのが政治家の誠意だろうと思います。
一週間前に岩手と宮城を訪問して暴言を吐いた松本龍復興対策担当相は、5日、在任わずか9日で辞任を表明しました。実はこの松本氏、昨年9月に環境相兼防災担当相として初入閣していたそうですが、暫く存在感はなかったのに、6月2日に菅総理が辞任表明しながら居座りを続けると、早期辞任を訴える急先鋒となったことから、もしや菅政権にダメージを与える目的で意図的に発言した“自爆テロ”ではなかったかとの臆測も聞こえて来ます。東北の人たちばかりでなく、私のような鹿児島人からも反発を買ったくらいで、代償は決して小さくなく、真偽のほどは定かではありません。
そんな中、菅総理は6日の衆院予算委員会で、自身の進退問題について、「満身創痍、刀折れ、矢尽きるまで、私の力の及ぶ限り、やるべきことをやっていきたい」と述べました。もはやつける薬はありません。
翌7日の参院予算委員会で、菅総理は、またしても思いつきで「安全宣言」を覆し、全国の原発でストレステスト(耐性検査)を実施する方針を打ち出したことはご存じの通りです。週末はこのニュースで持ち切りでした。福島第1原発事故の惨禍が二度とあってはならないと、海江田経産相は電力会社に緊急の安全対策を指示し、その取り組みをみて「大丈夫だ」とお墨付きを与え、とりわけ玄海原発をめぐっては、海江田経産相自ら佐賀県など地元自治体に足を運んで再稼働をお願いし、実現は目前でしたが、全てご破算になったと、さすがの海江田経産相もいずれ責任をとると、怒り心頭、否、呆れて二の句が継げないといった様子でしょうか。
そして翌8日には、玄海原発の再稼働をめぐる「やらせメール」問題で、九州電力の社長が、経産省を訪問し謝罪しました。
こうしてみると、原発問題を巡って、懲りない菅さんは当事者意識が薄く、責任も十分に感じていないのではないかと疑われます。まさか「市民派は自分たちが好きなことはやるけれども嫌いなことはやらない」などと、かつて雑誌インタビューで抜け抜けと自己分析した元・市民運動家のクセが抜け切らないで好き勝手に振る舞っているわけではないでしょう。せいぜい自民党政権時代に蒔いた種だからと他人事のように思ってやしないか。確かに、ロボット大国でありながら原発で稼働できるロボットすら買って来なければならないほど、安全神話のもとで万が一に備えて無策だったのは、自民党政権時代の大いなる不作為として追及されて然るべきでしょう。しかし、3・11の事故発生後の情報隠蔽や対策の致命的な遅れや今なお原因究明が出来ていない緊迫感のなさは、菅さんのもとでの不作為の罪です。
原発問題と言えば、今では福島第一原発ばかりが話題になって、反原発の機運が盛り上がっていますが、同じように被災しながら、東北電力の女川原発や東通原発では問題が起こらなかったことを忘れてはならないでしょう。これらの原発の間で何が違ったから問題が起こったのか起こらなかったのか、しっかり評価・検証しないで、原発は危険だと決めつけるのは安易に過ぎると思います。女川原発は、外部電源3系統中2系統が遮断し、使用済み核燃料プールの冷却システムが一時停止したものの、残る外部電源を使い、原子炉を含むすべての冷却機能が復旧し、なんと事務建屋の別館と体育館に一般住民のための避難場所まで提供したそうです。東通原発では電力供給を受けていた火力発電所が止まったため外部電源が遮断されましたが、やはり非常用ディーゼル発電機1台で冷却を継続できたそうです。
菅さんの心は既に反原発に舵を切っているのかも知れませんが、10年いや20年先のことだけ言うのは、鳩ぽっぽおじさんと変わらない無責任です。もう少し足元を見つめて、少なくともここ10~20年、あらたに原発を建設するのは難しいにしても、代替エネルギーに切り替えるまで、既存の原発施設で使用可能なところの安全を徹底し、日本の社会と経済の持続可能を担保するのが政治家の誠意だろうと思います。