先週、石原都知事が、突然、知事職を辞し、自ら代表を務める新党を結成して国政に復帰する意向を示しました。「西は橋下、東は石原」(平沼赳夫たちあがれ日本代表)として両者で第三極の中核を担おうという魂胆のようですが、果たしてそう上手く行くものでしょうか。
元々、バリバリの保守の中でもとりわけ過激な言動が目立つ石原さんは、かつて「Noと言える日本」という本が話題になったように、“頑固親父”然とした押しの強いものの言いに力があり、潜在的に一定の支持があると言われます。また、最近は、中国や韓国が言いたい放題、やりたい放題で攪乱するものだから、さすがに控えめで人の好い日本人でも領土意識に目覚めるようになり、対外的に勇ましい主張が受け入れられやすくなってきました。さらに、第三次野田内閣の田中慶秋法務大臣が就任から僅か23日目で辞任して、民主党政権の3年余りの間に、法務大臣が9人、拉致問題担当大臣が8人、(再任もいますが)閣僚経験者を粗製濫造した結果、政治が益々薄っぺらなものになり、政権交代に対する期待を急速に萎ませる一因になりました。かつて「末は博士か大臣か」などと立身出世の代名詞にされたものでしたが、山中教授の快挙とは対照的に、政治への信認は地に堕ちて惨憺たる状況です。人々の期待は、自民党でも民主党でもなく(ましてや共産党や社民党などの弱小野党でもなく)、次なる第三極に向かうわけです。
いくつかポイントを記しておきたいと思います。
先ずは保守について、その意味が国民の間で理解されていないのではないかという指摘が、ある報道番組でありました。街頭インタビューでも、保守とは何か、明確に答えられる人がいなくて、なんだろう・・・って皆さん苦笑いされていました。日本人は戦後長らく保守政党である自民党の政治を受け入れながら、無意識の内に「保守」そのものの意味を顧みることなく遠ざけて来たのかと、あらためて驚かされました。実際に、広辞苑では、保守とは「旧来の風習・伝統を重んじ、それを保存しようとすること」、保守的とは「新しいものをきらい、旧態を守ろうとするさま」、保守主義とは「社会の現状維持を目的とし、伝統・歴史・慣習・社会組織を固守する主義」とあり、なるほど、日本の代表的な辞書が決してポジティブな意味を与えていないところに、戦後の日本人の、現実的な対処と観念的な意識のずれに起因する歪んだ心象が端無くも表れていそうです。
それはともかく、その報道番組で、保守の意味が理解されていない背景として、御厨貴さんが、戦後日本の政治シーンで、保守政党である自民党が憲法改正を党の綱領とし、革新政党が護憲の立場をとる“ねじれ”があったと指摘されましたが、御厨さんらしくない誤解です。日本の保守は、日本国憲法を戴く現状を以てよしとするものではありません。かつては中曽根さんが戦後の総決算を唱え、安倍さんが戦後レジームを問題にするように、戦後の新憲法に象徴されるGHQによる戦後統治を疑問視するものです。石原さんも、記者会見で、明確に憲法改正(というより破棄)を訴えました。アメリカ的な民主主義をも否定するわけではなく、戦前への単純な回帰とはならないにせよ、戦後日本でタブー視されるものは多く、戦後日本が失った日本らしさ、日本の原風景はよく指摘されるところですし、戦後生まれの私も心情的には理解できます。しかし石原さんが都知事と言うより一人の作家の立場で保守的な政治思想を開陳する限りは構いませんが、急進的に日本を国家主義的に右旋回させることには、微妙な時代に入った中国や韓国との関係からだけでなく、欧・米からも反発される可能性があり、日本のあり方として賢明とは言えないと思います。
それでも、石原さんに期待するところがあります。田中真紀子さんは、石原さんが官僚制打破を掲げたことに対して、「25年間、国会議員を勤めた大臣経験者が、今になって何ができるのか。逆に言えば、何でそのときにしなかったんだろうかという思いがある」と批判しましたが、これも誤解です。石原さん自身が、「これからやろうとしていることは、都知事として14年間やってきたことの延長」だと会見で語った通り、地方の首長だったからこそ見えてきたものがあり、統治機構を改革するという主張の現実的な裏付けに期待するわけです(それは大阪府知事、大阪市長を擁する維新の会にも共通します)。
第三極とは言っても、維新の会とみんなの党のブレーンは同じと聞いたことがありますが、石原さんとは消費税や原発を巡って立場を異にし、いくら理念レベルで方向性が一致しても、主要政策で協調出来ないようでは、所詮は野合と言われるだけです。野合は、既に右から左までデパートのように取りそろえたヌエのような自民党、さらには第二の自民党化している民主党にも懲りてしまった国民の支持をとても得られるとは思えません。むしろ、石原さんには、理念の点で近い安倍さんと組んで、保守の枠組みで小異を捨てて大同について欲しいと思うのですが、どうでしょうか。
(参考)過去ブログ
「保守という感覚」(2011年9月16日) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20110916
元々、バリバリの保守の中でもとりわけ過激な言動が目立つ石原さんは、かつて「Noと言える日本」という本が話題になったように、“頑固親父”然とした押しの強いものの言いに力があり、潜在的に一定の支持があると言われます。また、最近は、中国や韓国が言いたい放題、やりたい放題で攪乱するものだから、さすがに控えめで人の好い日本人でも領土意識に目覚めるようになり、対外的に勇ましい主張が受け入れられやすくなってきました。さらに、第三次野田内閣の田中慶秋法務大臣が就任から僅か23日目で辞任して、民主党政権の3年余りの間に、法務大臣が9人、拉致問題担当大臣が8人、(再任もいますが)閣僚経験者を粗製濫造した結果、政治が益々薄っぺらなものになり、政権交代に対する期待を急速に萎ませる一因になりました。かつて「末は博士か大臣か」などと立身出世の代名詞にされたものでしたが、山中教授の快挙とは対照的に、政治への信認は地に堕ちて惨憺たる状況です。人々の期待は、自民党でも民主党でもなく(ましてや共産党や社民党などの弱小野党でもなく)、次なる第三極に向かうわけです。
いくつかポイントを記しておきたいと思います。
先ずは保守について、その意味が国民の間で理解されていないのではないかという指摘が、ある報道番組でありました。街頭インタビューでも、保守とは何か、明確に答えられる人がいなくて、なんだろう・・・って皆さん苦笑いされていました。日本人は戦後長らく保守政党である自民党の政治を受け入れながら、無意識の内に「保守」そのものの意味を顧みることなく遠ざけて来たのかと、あらためて驚かされました。実際に、広辞苑では、保守とは「旧来の風習・伝統を重んじ、それを保存しようとすること」、保守的とは「新しいものをきらい、旧態を守ろうとするさま」、保守主義とは「社会の現状維持を目的とし、伝統・歴史・慣習・社会組織を固守する主義」とあり、なるほど、日本の代表的な辞書が決してポジティブな意味を与えていないところに、戦後の日本人の、現実的な対処と観念的な意識のずれに起因する歪んだ心象が端無くも表れていそうです。
それはともかく、その報道番組で、保守の意味が理解されていない背景として、御厨貴さんが、戦後日本の政治シーンで、保守政党である自民党が憲法改正を党の綱領とし、革新政党が護憲の立場をとる“ねじれ”があったと指摘されましたが、御厨さんらしくない誤解です。日本の保守は、日本国憲法を戴く現状を以てよしとするものではありません。かつては中曽根さんが戦後の総決算を唱え、安倍さんが戦後レジームを問題にするように、戦後の新憲法に象徴されるGHQによる戦後統治を疑問視するものです。石原さんも、記者会見で、明確に憲法改正(というより破棄)を訴えました。アメリカ的な民主主義をも否定するわけではなく、戦前への単純な回帰とはならないにせよ、戦後日本でタブー視されるものは多く、戦後日本が失った日本らしさ、日本の原風景はよく指摘されるところですし、戦後生まれの私も心情的には理解できます。しかし石原さんが都知事と言うより一人の作家の立場で保守的な政治思想を開陳する限りは構いませんが、急進的に日本を国家主義的に右旋回させることには、微妙な時代に入った中国や韓国との関係からだけでなく、欧・米からも反発される可能性があり、日本のあり方として賢明とは言えないと思います。
それでも、石原さんに期待するところがあります。田中真紀子さんは、石原さんが官僚制打破を掲げたことに対して、「25年間、国会議員を勤めた大臣経験者が、今になって何ができるのか。逆に言えば、何でそのときにしなかったんだろうかという思いがある」と批判しましたが、これも誤解です。石原さん自身が、「これからやろうとしていることは、都知事として14年間やってきたことの延長」だと会見で語った通り、地方の首長だったからこそ見えてきたものがあり、統治機構を改革するという主張の現実的な裏付けに期待するわけです(それは大阪府知事、大阪市長を擁する維新の会にも共通します)。
第三極とは言っても、維新の会とみんなの党のブレーンは同じと聞いたことがありますが、石原さんとは消費税や原発を巡って立場を異にし、いくら理念レベルで方向性が一致しても、主要政策で協調出来ないようでは、所詮は野合と言われるだけです。野合は、既に右から左までデパートのように取りそろえたヌエのような自民党、さらには第二の自民党化している民主党にも懲りてしまった国民の支持をとても得られるとは思えません。むしろ、石原さんには、理念の点で近い安倍さんと組んで、保守の枠組みで小異を捨てて大同について欲しいと思うのですが、どうでしょうか。
(参考)過去ブログ
「保守という感覚」(2011年9月16日) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20110916