相変わらず筆が進まないので、もう一週間前のことになりますが、1989年の天安門事件から25年目となる今年、北京では近年にない厳戒態勢で、よほど事件の再評価を求める動きを警戒しているようです。事件の遺族や、外国人記者らと普段連絡を取っている人権派弁護士や民主活動家の多くが拘束され、米国に拠点を持つ人権団体の統計によると、その数は100人を超えたと言われています。因みに6月5日の産経Webでは「中国本土では報道されず、香港紙は大きく報道、関心薄れる台湾」というタイトルで、三者三様を伝える記事が掲載されていました。中国共産党機関紙・人民日報をはじめとする中国各紙は事件を黙殺、NHK海外放送の関連ニュースは、同日、約3分間中断されるなど、規制は海外メディアにも及びました。当然のことながらネットも徹底的に規制され、中国国内の知識人らは「6月4日」を「5月35日」と言い換えるなどして規制をかいくぐり、中国版ツイッター「微博」などに投稿していたそうです。一方、香港では、犠牲者追悼集会に過去最多の18万人(主催者発表、なお警察発表は9万9500人)が参加したと報じられました。最近、厳しさを増しつつある親中派による言論統制に神経質になっている香港の人々の危機感の表れでしょうか。
産経新聞・中国総局の矢板明夫氏は、習近平体制の発足当初、遺族たちは期待を寄せたのだと解説されます。一つには、そもそも世代交代が進み、新政権の最高指導部(党中央政治局常務委員)のメンバー7人は、事件当時、ほとんど課長、局長級の地方幹部だったため、武力弾圧との関わりはなく、事件を追及しても、彼ら自身にその責任が及ぶことはないこと、二つには、習近平国家主席の父親で党長老だった習仲勲氏は、事件当時、全人代常務副委員長(国会副議長)を務め、学生に同情的な言動を取ったため、最高実力者の小平氏に嫌われ、権力中枢から追われたこと、三つには、李克強首相は、長年、党の下部組織で青少年教育の仕事を担当し、天安門広場に陣取った多くの学生リーダーとも交流があり、事件当初、大学生らのデモに理解を示していたと言われること、こうしたことから、「習主席と李首相が協力して、共産党の負の遺産を清算してくれるに違いない」といった希望的観測が関係者の間で流れるのもやむを得ないことだった、と言うわけです。
実態は、そんな生易しいものではなく、習近平国家主席はむしろ保守的な締め付けを強化して来ました。今の情勢を見る限り、「一党独裁体制をやめるという決心がなければ、天安門事件の見直しは残念ながら、ない」とは、ある共産党の古参幹部の発言ですが、そう言い切った通りなのだろうと思います。他方、天安門事件当時、中国広東省広州市で民主化運動を指導した人権活動家、陳破空氏(米国在住)は、産経新聞のインタビューに答えて、事件から現在に続く中国政治の問題点を次のように総括しています。「現在の習近平政権は、いいところを見せることに躍起だ。誰に見せているかといえば、江沢民氏(元党総書記)にである。これが長老政治であり、8人の老人が控えた天安門事件当時に通じる構図だ。従って、このさき江沢民氏が死去することになれば、局面の転機になり得る。あるいは3割ぐらいの可能性で、民主化が動くかもしれない。民主化に踏み込むことは、長老政治の終わりを意味するだろう」と。
確かに、中国は、核心的利益の第一に、「維護基本制度和国家安全」(=国家の基本制度と安全の維持)、すなわち共産党による指導体制としての社会主義制度の永続化を挙げます(6月1日のブログ参照)。習近平国家主席は、政権基盤を盤石なものとするために、今なお党内に隠然たる力をもつ保守派の重鎮・江沢民氏のご機嫌をとるために忠誠を尽くすのは、ごく自然な流れだろうと思います。何しろ江沢民氏と言えば、天安門事件当時、趙紫陽総書記ら民主派と、李鵬国務院総理(首相)ら保守派との中間的存在でしたが、最高指導者の小平氏が民主化運動を「動乱」と規定したのに呼応し、胡耀邦追悼の座談会を報じた「世界経済導報」を停刊処分とするなどに動くと、保守派長老の目にも留まり、事件後、民主化運動に理解を示していたがために全職務を解任されて失脚した趙紫陽に代わり、小平氏によって党総書記・中央政治局常務委員に抜擢されたのでした(Wikipedia)。そんな江沢民氏が亡くなれば、事態は変わるのか。否、さらにその先には「もっとご機嫌を取らなければならない人」(実際には「もっと恐るべき敵」という言い方をされたのですが)がいると解説する人がいます。それは、一体、誰か。
長くなりましたので、次回に続きます(勿体つけるつもりはさらさらないのですが・・・)。
産経新聞・中国総局の矢板明夫氏は、習近平体制の発足当初、遺族たちは期待を寄せたのだと解説されます。一つには、そもそも世代交代が進み、新政権の最高指導部(党中央政治局常務委員)のメンバー7人は、事件当時、ほとんど課長、局長級の地方幹部だったため、武力弾圧との関わりはなく、事件を追及しても、彼ら自身にその責任が及ぶことはないこと、二つには、習近平国家主席の父親で党長老だった習仲勲氏は、事件当時、全人代常務副委員長(国会副議長)を務め、学生に同情的な言動を取ったため、最高実力者の小平氏に嫌われ、権力中枢から追われたこと、三つには、李克強首相は、長年、党の下部組織で青少年教育の仕事を担当し、天安門広場に陣取った多くの学生リーダーとも交流があり、事件当初、大学生らのデモに理解を示していたと言われること、こうしたことから、「習主席と李首相が協力して、共産党の負の遺産を清算してくれるに違いない」といった希望的観測が関係者の間で流れるのもやむを得ないことだった、と言うわけです。
実態は、そんな生易しいものではなく、習近平国家主席はむしろ保守的な締め付けを強化して来ました。今の情勢を見る限り、「一党独裁体制をやめるという決心がなければ、天安門事件の見直しは残念ながら、ない」とは、ある共産党の古参幹部の発言ですが、そう言い切った通りなのだろうと思います。他方、天安門事件当時、中国広東省広州市で民主化運動を指導した人権活動家、陳破空氏(米国在住)は、産経新聞のインタビューに答えて、事件から現在に続く中国政治の問題点を次のように総括しています。「現在の習近平政権は、いいところを見せることに躍起だ。誰に見せているかといえば、江沢民氏(元党総書記)にである。これが長老政治であり、8人の老人が控えた天安門事件当時に通じる構図だ。従って、このさき江沢民氏が死去することになれば、局面の転機になり得る。あるいは3割ぐらいの可能性で、民主化が動くかもしれない。民主化に踏み込むことは、長老政治の終わりを意味するだろう」と。
確かに、中国は、核心的利益の第一に、「維護基本制度和国家安全」(=国家の基本制度と安全の維持)、すなわち共産党による指導体制としての社会主義制度の永続化を挙げます(6月1日のブログ参照)。習近平国家主席は、政権基盤を盤石なものとするために、今なお党内に隠然たる力をもつ保守派の重鎮・江沢民氏のご機嫌をとるために忠誠を尽くすのは、ごく自然な流れだろうと思います。何しろ江沢民氏と言えば、天安門事件当時、趙紫陽総書記ら民主派と、李鵬国務院総理(首相)ら保守派との中間的存在でしたが、最高指導者の小平氏が民主化運動を「動乱」と規定したのに呼応し、胡耀邦追悼の座談会を報じた「世界経済導報」を停刊処分とするなどに動くと、保守派長老の目にも留まり、事件後、民主化運動に理解を示していたがために全職務を解任されて失脚した趙紫陽に代わり、小平氏によって党総書記・中央政治局常務委員に抜擢されたのでした(Wikipedia)。そんな江沢民氏が亡くなれば、事態は変わるのか。否、さらにその先には「もっとご機嫌を取らなければならない人」(実際には「もっと恐るべき敵」という言い方をされたのですが)がいると解説する人がいます。それは、一体、誰か。
長くなりましたので、次回に続きます(勿体つけるつもりはさらさらないのですが・・・)。