次の訪問地オランダ・アムステルダムで到着したのはスキポール空港・・・なんだか聞いたことがあるなあと、微かな記憶を頼りにググってみると、マレーシア航空第二の悲劇、昨年7月17日、クアラルンプールに向かって飛行中にウクライナ上空で何者かに撃墜された、あのマレーシア航空17便が飛び立った空港でした。オーストラリアで開催される何かの会議に出席するというので多くのオランダ人が搭乗していて犠牲になったのでしたが、あらためて調べていみると、乗客・乗務員298名中、実に192名ものオランダ人が含まれており、乗客らの遺体が帰国した2014年7月23日をオランダではおよそ半世紀ぶりとなる国民服喪の日として定め、各地の公共の建物ではこの日、半旗が掲げられることになった、とあって、これが日本人だったら・・・と思うと、まさに大惨事でした。
さて、オランダ到着にあたっては、同じEU域内のイタリアからということで入国審査がなく素通りで、まさに国内線に搭乗した感覚でした。ところが、その次の訪問地ロンドンの入国審査は、同じEU域内でも厳しく、パスポートをぱらぱらめくってチェックを入れながら、訪問目的は何か?何の仕事か?何日滞在か?どこの会社か?勤続何年か?と畳みかけるように質問を浴びせられました。勤続何年なんて関係ないだろうと思うのですが、役人の言うことに抵抗するつもりはありません。このあたり、オランダとイギリスの国際政治上の立ち位置の違いを象徴するようです。
そのオランダに降り立ったのは、私にとって生まれて初めてのことでした。もっとも、いつものように空港とホテルとオフィスの間を行き来しただけで、風車すら目にしませんでしたので、訪れたという実感はありません。従い、以下はただつれづれなるままに・・・
オランダという国に対して、日本人として親近感を覚えるのは、江戸時代に鎖国(最近では国を閉じていたとは言わないようですが)中も交易を続けた唯一の貿易相手国だったせいでしょう。子供の頃から、チューリップ、風車、木靴などといった可愛らしいイメージと繋がりますし、同じ王国(立憲君主制)という事情もあります。近くでは、皇太子・雅子妃一家の長期静養を受け入れてくれたこともありました。こうして両国は一見良い関係を保っているかに見えますが、実は第二次世界大戦中、日本が蘭印(現インドネシア)を占領したのが、戦後のインドネシア独立(つまりオランダの植民地放棄)に繋がったと見られて、オランダでは暫くは反日感情が強かったという話を聞いたことがあります。昭和天皇は戦争犯罪人と見なされ、1971年にオランダを歴訪されたときには卵を投げつけられる事件が起こるなど混乱もありました。2007年には下院で慰安婦問題謝罪要求決議が採択されるなど、今も是々非々で厳しい追及は続いています。
しかし、前回のコーヒーの話を引っ張りますと、コーヒーが初めて日本に伝えられたのは、17世紀初頭、オランダ商人によってと言われ(実際に普及するのは20世紀に入ってからのことでしたが)、オランダ人もコーヒー好き、正確に言うと、北欧人こそコーヒー好きと言うべきです。ある統計によると、ルクセンブルクがダントツの1位で、1人1日平均8杯飲んでいる計算になるそうです(飽くまで計算上の話で、個人輸出があるとか、ドイツ、ベルギー、フランスに囲まれた小国で、嗜好品に掛かる消費税が低いため、周辺諸国から買い物客を呼んで、数字かさ上げに貢献しているといった話もあります)。2位以下は、フィンランド(3.3杯)、デンマーク(2.6杯)、ノルウェー(2.5杯)、スイス、スウェーデンあたりは2杯以上、ドイツ、オーストリアが1.8杯前後と続き、確かに北欧系の国が多いですが、絶対量のスケール感にはピンと来ないかも知れません。因みに日本はずっと下って30位で、1人1日1杯弱、飲む人は1日に5杯も6杯も飲むでしょうし、飲まない人もいて、平均すればこんなものかと思います。緑茶の約3倍の量が飲まれているというのは、多いと見るか、まあそんなものと見るか。
さて、北欧ではコーヒーが日常的によく飲まれ(などと言って、オランダは一般には北欧に入りませんが)、学校では学生は講義中にもコーヒーを飲み、職場でも頻繁にコーヒー休憩があり、街には親しみやすいカフェが多く、屋内でも暖かいコーヒーが大切なひとときを演出する・・・冬が長い北欧ならではと言うべきでしょう。日本人は「深煎りの苦めのコーヒー」を好むのに対して、北欧のコーヒーのプロたちは最高品質の豆を使用した(とは余計ですが)「浅煎りの酸味があるコーヒー」を好むと言われます。実際のところ、“節酒”政策としてアルコール類の価格を高く設定して、コーヒーが多く飲まれるように仕向けられた・・・といったあたりの俗説が、案外、的を射ているのかも知れません(コーヒー1杯は約1ユーロですが、アルコール類はその5~6倍もするらしい)。
繰り返しますが、もとよりオランダを北欧に括るわけには行きませんが、訪問した当日も雪化粧に覆われ、凍てつく寒さを体感し、コーヒーの美味しさも実感しました。それにも関わらず、アンティークなホテルには暖房がなく、震える一夜を過ごしました。上の写真は、そのホテルの部屋から見た明け方の可愛らしい街並みです。
さて、オランダ到着にあたっては、同じEU域内のイタリアからということで入国審査がなく素通りで、まさに国内線に搭乗した感覚でした。ところが、その次の訪問地ロンドンの入国審査は、同じEU域内でも厳しく、パスポートをぱらぱらめくってチェックを入れながら、訪問目的は何か?何の仕事か?何日滞在か?どこの会社か?勤続何年か?と畳みかけるように質問を浴びせられました。勤続何年なんて関係ないだろうと思うのですが、役人の言うことに抵抗するつもりはありません。このあたり、オランダとイギリスの国際政治上の立ち位置の違いを象徴するようです。
そのオランダに降り立ったのは、私にとって生まれて初めてのことでした。もっとも、いつものように空港とホテルとオフィスの間を行き来しただけで、風車すら目にしませんでしたので、訪れたという実感はありません。従い、以下はただつれづれなるままに・・・
オランダという国に対して、日本人として親近感を覚えるのは、江戸時代に鎖国(最近では国を閉じていたとは言わないようですが)中も交易を続けた唯一の貿易相手国だったせいでしょう。子供の頃から、チューリップ、風車、木靴などといった可愛らしいイメージと繋がりますし、同じ王国(立憲君主制)という事情もあります。近くでは、皇太子・雅子妃一家の長期静養を受け入れてくれたこともありました。こうして両国は一見良い関係を保っているかに見えますが、実は第二次世界大戦中、日本が蘭印(現インドネシア)を占領したのが、戦後のインドネシア独立(つまりオランダの植民地放棄)に繋がったと見られて、オランダでは暫くは反日感情が強かったという話を聞いたことがあります。昭和天皇は戦争犯罪人と見なされ、1971年にオランダを歴訪されたときには卵を投げつけられる事件が起こるなど混乱もありました。2007年には下院で慰安婦問題謝罪要求決議が採択されるなど、今も是々非々で厳しい追及は続いています。
しかし、前回のコーヒーの話を引っ張りますと、コーヒーが初めて日本に伝えられたのは、17世紀初頭、オランダ商人によってと言われ(実際に普及するのは20世紀に入ってからのことでしたが)、オランダ人もコーヒー好き、正確に言うと、北欧人こそコーヒー好きと言うべきです。ある統計によると、ルクセンブルクがダントツの1位で、1人1日平均8杯飲んでいる計算になるそうです(飽くまで計算上の話で、個人輸出があるとか、ドイツ、ベルギー、フランスに囲まれた小国で、嗜好品に掛かる消費税が低いため、周辺諸国から買い物客を呼んで、数字かさ上げに貢献しているといった話もあります)。2位以下は、フィンランド(3.3杯)、デンマーク(2.6杯)、ノルウェー(2.5杯)、スイス、スウェーデンあたりは2杯以上、ドイツ、オーストリアが1.8杯前後と続き、確かに北欧系の国が多いですが、絶対量のスケール感にはピンと来ないかも知れません。因みに日本はずっと下って30位で、1人1日1杯弱、飲む人は1日に5杯も6杯も飲むでしょうし、飲まない人もいて、平均すればこんなものかと思います。緑茶の約3倍の量が飲まれているというのは、多いと見るか、まあそんなものと見るか。
さて、北欧ではコーヒーが日常的によく飲まれ(などと言って、オランダは一般には北欧に入りませんが)、学校では学生は講義中にもコーヒーを飲み、職場でも頻繁にコーヒー休憩があり、街には親しみやすいカフェが多く、屋内でも暖かいコーヒーが大切なひとときを演出する・・・冬が長い北欧ならではと言うべきでしょう。日本人は「深煎りの苦めのコーヒー」を好むのに対して、北欧のコーヒーのプロたちは最高品質の豆を使用した(とは余計ですが)「浅煎りの酸味があるコーヒー」を好むと言われます。実際のところ、“節酒”政策としてアルコール類の価格を高く設定して、コーヒーが多く飲まれるように仕向けられた・・・といったあたりの俗説が、案外、的を射ているのかも知れません(コーヒー1杯は約1ユーロですが、アルコール類はその5~6倍もするらしい)。
繰り返しますが、もとよりオランダを北欧に括るわけには行きませんが、訪問した当日も雪化粧に覆われ、凍てつく寒さを体感し、コーヒーの美味しさも実感しました。それにも関わらず、アンティークなホテルには暖房がなく、震える一夜を過ごしました。上の写真は、そのホテルの部屋から見た明け方の可愛らしい街並みです。