風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

青梅への道ふたたび(4)

2016-02-21 23:04:42 | スポーツ・芸能好き
 今日、青梅マラソンを走って来た。今シーズンは青梅30キロでサブ・スリー(3時間を切ること)を目標にやって来たのだったが、残念ながら3時間を切ることが出来なかった。今は徒労感ばかりが残っている。
 毎年、同じレベルの練習をして身体を鍛えても、着実に一つ齢を重ねるので、記録は伸び悩むのが道理だ。怠け心を騙しつつ工夫しなければならない。昨シーズンは11月から5ヶ月続けて毎月一回レースに参加して、緊張感が続かずだらけてしまったので、今年は参加するレースを絞り込み、青梅は11月のつくばマラソン以来三ヶ月ぶりのレースとなった。つくばではシーズン初めながら、自分なりによく走れて、気分よくシーズンを過ごせるはずだったが、レースに参加しないのをいいことに緊張感が途切れてだらけてしまい(なんと一ヶ月半も完全休養してしまった)、走り込み不足で、今日は後半に粘りが出なかった。ナマケモノには困ったものだ。マラソンはまさに自分との勝負なのだ。スタート地点に立ったところで、どれだけ準備出来たかで9割方は既に決まっている。そして今日の私は余裕なく、緊張していた。一昨年まで週一ジョガーを自称し、限界を感じて、昨年からはレース前に限って週二に変えたが、やはり限界を感じてしまう。
 青梅マラソンは11時半スタートなのがタフである。私レベルのランナーは、昼飯時を挟んで、2時半前後にゴールすることになる。昨年は空腹で血糖値が低い状態になったせいか20キロ過ぎで瞳孔散大し・・・つまり視界が白く飛んでしまい、平衡を保つのが難しくなり、ヨタヨタと歩くはめになった。今年は、おにぎり三個とバナナ二本を持ちこんで、10時頃に早めの昼食をとり、走っている途中も怪しくなって、ブドウ糖のタブレットをかじること二度、更にゴールしてから視界が白く飛んだ。若い人は皆、涼しげな顔をしているが、どうしたことだろう。
 また、青梅マラソンは田舎道を1万7千人が駆け抜けるものだから大渋滞を起こし、前半は抑え気味に走らざるを得なくなる。JR青梅線河辺駅界隈をスタート/ゴールとして、青梅線沿いに奥多摩の山をなだらかに上り、川井駅界隈で折り返して、なだらかに下るコースで、ランナーがばらけることはなかった。給水所は最後まで大混乱で、驚くべきことである。しかし、沿道の応援もまた熱烈で、小さいお子さんからお年寄りまで、一般の方から消防士さんや警察の方まで、小旗を手に、あるいはチョコレートや餡パンや水・ポカリ入り紙コップやヤクルトを手に、大掛かりに交通規制をして、これほど街ぐるみで応援してくれる大会も珍しい。有り難いことである。
 今年は50回記念大会で、スペシャル・スターターに瀬古利彦さんと高橋尚子さんという、マラソン界最大のと言ってもよい功労者が招かれた。Qちゃんは20キロ地点でも待ち構えて、疲れが見えるランナーを鼓舞しながらハイタッチしてくれ、最後の10キロをともに走ってくれた。オリンピック金メダルに国民栄誉賞まで貰って、相変わらず私たち一般ランナーに優しい。また招待選手には公務員ランナー川内優輝さんもいて、ちょうど10キロ地点で折り返して来た先頭集団とすれ違ったのだが(彼らは20キロ地点)、その時点では5位だった。私たち一般ランナーから一段と大きな声援が飛んだものである。結果、2つ順位を上げて3位でゴールしたようだ。スポーツ報知によると「すれ違う選手や沿道から、かなり『川内ガンバレ』の声援がきたので元気が出ました。ここは何とか3番に上がらないといけないと思った」と振り返ったらしい。
 冒頭に戻ると、またしても青梅には思いを残してしまった。30キロとは言え、なかなかタフなコースで、齢を重ねる毎にキツくなるのだが、言わば昭和の街並みが懐かしく、沿道の応援も熱い・・・また来年も戻ってくるのであろうか。
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