風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

72度目の夏

2017-08-20 16:45:52 | 日々の生活
 毎年、この時期になると、蝉の声が胸に沁みる。きっと72年前の夏も、同じように喧しい蝉の鳴き声を聞きながら、日本国民は厳粛な気持ちで敗戦を受けとめようとした(でもなかなか受け入れられなかった)ことだろう。
 15日の全国戦没者追悼式で安倍首相が「反省」を言葉にしなかったことが、今年もメディアで話題になった。確かにそういった批判は私たちにはお馴染みで分かりやすい理屈だが、それが(今なお侵略者呼ばわりする中国や韓国を意識した)「懺悔」を意味するとすれば、安倍首相ではなくてもちょっと違和感を禁じ得ない。戦没者を追悼する式典である。日本国並びに日本国民のために(その中には当時の韓国(人)や台湾(人)も含まれる)前線あるいは銃後で戦って散った人たちを追悼するとともに、開戦から敗戦を通して日本国民(繰り返すがその中には当時の韓国人や台湾人も含まれる)に多大なる苦難(生死を問わず)をもたらしたことを「反省」し、「不戦の誓い」を新たにするのが自然だろう、などと思ったりするのだが、どうもそうではないらしい。勿論、自存自衛のためだったとか(事実、追い詰められて無謀を承知で産業大国アメリカに挑んだくらいだから、そうだったのだろう)、陰謀論など(も国際場裏では当然あっただろう)、政治的な言説を弄んだところで、戦争や事変と呼ばれる災禍が戦場となった中国をはじめアジア諸国の多くの人々を巻き込み苦しめた事実は消えることはない。彼らの心の底で恨み辛みが消えることは未来永劫ないだろうし(世代を経るに従って多少記憶が薄れることはあっても)、日本人は(必ずしも日本人だけではないのだが)十字架を背負い続ける(もう一度、戦争して勝たない限り敗戦国であり続けると嘆く保守派もいるが、その通りだろう)。そこをお互いに乗り越えて、信頼回復に努めてきたのが戦後72年だったと思う。そして少なくとも東南アジアや太平洋諸国との関係は目に見えて改善してきた。それが歴史的にも国際的(と言っても西欧的になってしまうが)にもごく当たり前の対応であり結果だろうと思う。
 振り返れば大東亜戦争も含めて20世紀の二度の大戦は、それ以前のどちらかと言うと戦争のプロが担った限定された戦争と比べて、一般人をも巻き込んだ総力戦の様相を呈して異常だった。そのため、一度目は1928年のパリ不戦条約第1条(締約国は、国際紛争解決のために戦争に訴えることを非難し、かつ、その相互の関係において国家政策の手段として戦争を放棄することを・・・宣言する)において、二度目は国連憲章第2条4項(すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない)において、戦争放棄を宣言する形で結実した(いろいろな国がいろいろと留保をつけたにせよ)。そして日本国憲法9条1項はまさにその流れにある(というのが篠田英朗氏の説くところ)。
 さらに西欧にあっては戦争を行う単位としての国家の権能を部分的に縛ってまで相互に安全を保障し経済的な繁栄を目指すEUという制度的な取組みも行われてきた。民主国家は他の民主国家とみなす相手に対しては戦争を避ける傾向があるとするカント以来の「民主的平和論」は、その後の歴史によって裏切られて来たし、戦争に民主国家も非民主国家もないのは事実だが、理念としての「民主的平和論」であればこそ、戦争も平和もまとめて歴史的記憶を共有しほぼ等しく高度な民主制を発展させて来た現代の西欧諸国間でこそ、それなりに妥当するようになったと言えるように思う(小さな様々な反目があるにせよ)。
 しかし東アジアの戦略環境は様相を異にする。共産党(王朝)による権威主義的な統治を核心的利益の第一とする中国は、改革開放の中で生まれつつあった自由と民主などの西欧的価値観が自らの立ち位置を掘り崩すことを知って圧殺し、(共産主義イデオロギーに代えて)反日プロパガンダを利用した愛国主義イデオロギーへと舵を切り、経済成長を続ける中で、韜光養晦をかなぐり捨て、軍事力を背景に現状変更をも厭わない地理的拡大を試み、「中華民族の偉大なる復興」を旗印に、かつての華夷秩序を押し広めるかのように台頭する意図をあからさまにしつつある。北朝鮮は相変わらず深いベールに包まれているが、中国の軛を離れ米帝国主義(と彼らは決めつける)の脅威から金王朝の存立を守るために核武装を試みることはもとより、若くして権力を承継しカリスマ性に欠ける金正恩は、自らの指導者としての権威を高めるべく、父や祖父以上にミサイル発射実験などの対外的挑発を繰り返し、その能力と実績を誇示しようとする。民主化からまだ30年しか経っていない韓国は、直近の日本を含め1000年にわたる中国への隷属の歴史の呪縛のもとに、異常なほど根強い民族意識を形成し、ファンタジーとしての民族の歴史を語ることに執心し、国家よりも(朝鮮)民族に対する忠誠を誓い、民族に対する忠誠の程度によって政治的正統性(legitimacy)が担保されるような有り様であり、現実との矛盾を解消するための方便として反日を利用する。つまり、三ヶ国とも(西欧のような)民主制の議論をする以前に、国内統治における正統性の問題を抱え、国内問題の延長として対外関係を弄し(古今東西、多少なりとも国家にはこうした側面はあるが)、その中で日本を敵国扱いし、露骨に反日を煽る。それに対して日本は、講和条約によって正式に戦争を終結し晴れて国際社会に復帰しながら、今なお中韓からは侵略国呼ばわりされて、ことあるごとに反省を促され(と言うことは、日本を畏怖することの裏返しでもあるのだが)、自衛隊を名乗りながら米軍を補完する形でしか自国の安全を保障できず、国民はあの8月15日以来(と象徴的に言うが、より正確にはGHQの占領支配を通して)、「国家」と名のつく言葉は無条件に嫌悪し、「戦争」と名のつくものは全て忌避し、自らの「安全保障」について思考停止したままである・・・とはちょっと言い過ぎか。
 などと、つらつら、いつになく過激に思いを馳せながら、この夏は、平和構築を中心とする国際関係論を専門とされる篠田英朗氏の本を読んでいる。日本国憲法を、起草された当時の国際環境や国際法の文脈の中で捉え直すという、言われてみれば当たり前の、歴史実証主義的な取組みには目に鱗・・・ながらも、考え方は私の皮膚に馴染む上、安保法制をはじめ日本の憲法学者の象牙の塔ぶり(国内に閉じた世界で理屈をこねくり回すことを皮肉っているのだが、篠田氏は端的に「訓詁学」呼ばわりされたのは蓋し名言)には辟易していたこともあり、東大法学部の所謂「通説」を挑発するのがなかなかスリリングで小気味いい。憲法解釈が変容(私は憲法が許す枠内での政策論の変容だと思っているが)したことに拘るのも結構だが、やはり原点回帰し、では今の現実に対処するに、日本には何が必要かを虚心坦懐に考えることが重要だとあらためて思い直した次第である。
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