数日前の話になるが、河野太郎外相は、東アジアサミット(EAS)外相会議のため訪問していたフィリピン・マニラで中国の王毅外相ほかと会談した。就任したばかりの河野外相にとっては所謂外交デビューと言われる緊張する場面であり、このときの王毅外相との初顔合わせがなかなか興味深い。
王毅外相は、2013年3月、李克強国務院総理の下で外交部長(=外相)に就任して4年になるベテランである。もともと、1989年から94年まで駐日中国大使館・参事官を、さらに2004年から07年まで駐日中国大使を務めた外交官であり、知日派である(だからと言って親日であるとは限らない)。日本語、英語に堪能で、日本では日本人相手の会見や講演を、しばしば日本語で行う、とWikipediaにはある。日本で外務大臣と言えば主要閣僚になるが、旧ソ連や中国のような一党独裁国家で外務大臣というポストは必ずしも高いものではないようで、彼の上に外交担当国務委員(副首相級)の楊潔篪氏(先代外交部長)がおり、その楊氏ですら党の中では中央政治局常務委員および委員の25名に入っていない。
それはともかく、王毅外相は50分の会談の冒頭、父・河野洋平元外相を引き合いに出し、「正直な政治家で、中国を含む周辺国との友好関係を望む外交官だった。彼は当時、歴史の話をすれば(自らの)心の態度を表明した。慰安婦問題で発表した談話も日本の誠意を代表し、国際的にも日本の良いイメージを打ち立てた」と昔語り、「あなたが外相になると知って以降、私たちの多くの人が期待を抱いた」と持ち上げながら、「あなたが国際的なデビューを果たし、初めて東アジアサミット(外相会議)で発言した。だが、発言を聞いて、率直に言って失望した」とこき下ろした。河野外相が中国の海洋進出を批判した発言をとらえたものらしい。さらに「EASでの発言をうかがったが、完全に米国があなたに与えた任務のような感じがした」とまで言い切った。
これに対して産経新聞は社説で、「一国の外交の責任者に対し、礼を失するにもほどがある」と憤ったのに対し、朝日新聞は社説では取り上げず(因みに社説で取り上げたのは韓国外相との会談の方で、「慰安婦問題 救済の努力を」と呼びかけている)、一般記事で「王氏が洋平氏を引き合いに出しつつ、河野氏の発言を批判したのは『奇手』といえる」と受け流した。同じ日本の日刊紙でありながらこうも受け止め方が違うものかと感心するが、まあ、真実はその中間あたりにあるのだろう。中国が、韓国を含めて、今回の外相人事に期待したのは事実だろうし、西側の友好国ならともかく中国の外交責任者との初顔合わせでこの程度の牽制は当然予想されるところだろうし、なにしろ中国共産党(あるいは国務院の外交部・部長)はこの秋の党大会を控えて、いかなる外交失点も許されない状況にあるのだ。
実際に、中国共産党の機関紙・人民日報系の環球時報は1面で、王毅外相が河野外相と会談した際、河野外相が頭を下げて握手した瞬間の写真を掲載したらしい(産経新聞電子版)。絶妙なタイミングと言えよう。
王毅外相の発言に戻ると、続けて「今日は良い機会なので、直接あなたの考え方を聞きたい。お父さんの長年にわたる外交努力を重視することを望んでいる。彼(洋平氏)が経験した歴史の教訓と、正確な意見を大切にすることを望む。あなたは外交の重い責任を担っている。日本が今後進む道は、河野大臣の世代にかかっている。中国は長期的な友好関係をつくりたいと思っている。しかし、それは互いの努力が必要だ。だから私はあなたの考え方を聞きたい」と結んだ。これは「結んだ」と言うより、字面から察するに「凄んだ」と言った方が適切かも知れない。もともと表情が表に出ない王毅外相は、だからこそ外交部長の任についたのか、外交部長だからこそ党幹部の手前、ポーカーフェイスを気取らざるを得ないのか、いずれにしても、これこそ伝統的な中華帝国の面目であろう。
これに対し、河野外相は「王毅外相とこういう形でお目にかかれて光栄だ」と切り出し(中略)「今回のASEAN関連外相会合に来て、私のおやじを知っている方が大変多い。いろんな方からおやじの話をされ、その息子ということで、いろんな方から笑顔を向けていただいた。親というのはありがたいもんだなと改めて思った次第だ」と話を合わせた上で、「北朝鮮の問題もあるし、海洋をめぐる問題もあり、安全保障をめぐる環境が東アジアの中で急速に変わっていく。大変難しい時代に外相になったが、それだけにやりがいがある時期にこの仕事をやれることになったことに半面、喜んでいる」と自身の決意を述べるとともに、「日本は戦後一貫して平和外交を進めてきた。戦後、一度も日本の自衛隊が戦火をまみえることなく、日本の平和がずっと維持されてきた」と、戦前の日本ではなく戦後70年以上を経た日本の立場を強調し、「中国は戦後さまざまあったが、経済的に発展していこうとしている。中国には大国としての振る舞い方というのを、やはり身につけていただく必要があるだろうなと思っている」と牽制し、「こういう形で、これから何度も率直な意見交換をさせていただきたいと思う。よろしくお願いします」と締め括った(このやりとりの全文は産経新聞電子版から)。正直なところ、外交デビューにしては無難に良く出来たメッセージだったと思う(冒頭部分のやりとりしか見ていないが)。何より(当たり前だが)安倍政権の外交方針に則って毅然と対応したことと、さらに今後も何かと比較されるであろう(とりわけ日本の保守派からは毛嫌いされる親中派の代表格だった)父・河野洋平元外相とは違う一個の人格としての河野太郎外相を売り込んだ、という意味において。
惜しむらくは、河野外相に対して、ブリーフィングだけでなく、握手のときの仕草まで徹底するべきだった。まあ、緊張すると人はつい地である日本人(の慇懃さ)が出てしまうものだ。王毅外相に、とりあえず言うべきことは言ったので、この程度の姿勢(写真)はサービスとして差し上げてもよかったのかも知れない。朝日新聞デジタルが伝えるところによれば、「王氏は会談後、中国メディアに対し『河野氏の本当の考え方や外交理念、父親から学んだことを知りたかった。話を聞くうちに、本当に付き合える人だと感じた』とも語った。南シナ海問題では厳しく日本側を牽制しながら、河野氏の外相就任を両国の関係改善への弾みにしたいとの立場をにじませた」ということである。
王毅外相は、2013年3月、李克強国務院総理の下で外交部長(=外相)に就任して4年になるベテランである。もともと、1989年から94年まで駐日中国大使館・参事官を、さらに2004年から07年まで駐日中国大使を務めた外交官であり、知日派である(だからと言って親日であるとは限らない)。日本語、英語に堪能で、日本では日本人相手の会見や講演を、しばしば日本語で行う、とWikipediaにはある。日本で外務大臣と言えば主要閣僚になるが、旧ソ連や中国のような一党独裁国家で外務大臣というポストは必ずしも高いものではないようで、彼の上に外交担当国務委員(副首相級)の楊潔篪氏(先代外交部長)がおり、その楊氏ですら党の中では中央政治局常務委員および委員の25名に入っていない。
それはともかく、王毅外相は50分の会談の冒頭、父・河野洋平元外相を引き合いに出し、「正直な政治家で、中国を含む周辺国との友好関係を望む外交官だった。彼は当時、歴史の話をすれば(自らの)心の態度を表明した。慰安婦問題で発表した談話も日本の誠意を代表し、国際的にも日本の良いイメージを打ち立てた」と昔語り、「あなたが外相になると知って以降、私たちの多くの人が期待を抱いた」と持ち上げながら、「あなたが国際的なデビューを果たし、初めて東アジアサミット(外相会議)で発言した。だが、発言を聞いて、率直に言って失望した」とこき下ろした。河野外相が中国の海洋進出を批判した発言をとらえたものらしい。さらに「EASでの発言をうかがったが、完全に米国があなたに与えた任務のような感じがした」とまで言い切った。
これに対して産経新聞は社説で、「一国の外交の責任者に対し、礼を失するにもほどがある」と憤ったのに対し、朝日新聞は社説では取り上げず(因みに社説で取り上げたのは韓国外相との会談の方で、「慰安婦問題 救済の努力を」と呼びかけている)、一般記事で「王氏が洋平氏を引き合いに出しつつ、河野氏の発言を批判したのは『奇手』といえる」と受け流した。同じ日本の日刊紙でありながらこうも受け止め方が違うものかと感心するが、まあ、真実はその中間あたりにあるのだろう。中国が、韓国を含めて、今回の外相人事に期待したのは事実だろうし、西側の友好国ならともかく中国の外交責任者との初顔合わせでこの程度の牽制は当然予想されるところだろうし、なにしろ中国共産党(あるいは国務院の外交部・部長)はこの秋の党大会を控えて、いかなる外交失点も許されない状況にあるのだ。
実際に、中国共産党の機関紙・人民日報系の環球時報は1面で、王毅外相が河野外相と会談した際、河野外相が頭を下げて握手した瞬間の写真を掲載したらしい(産経新聞電子版)。絶妙なタイミングと言えよう。
王毅外相の発言に戻ると、続けて「今日は良い機会なので、直接あなたの考え方を聞きたい。お父さんの長年にわたる外交努力を重視することを望んでいる。彼(洋平氏)が経験した歴史の教訓と、正確な意見を大切にすることを望む。あなたは外交の重い責任を担っている。日本が今後進む道は、河野大臣の世代にかかっている。中国は長期的な友好関係をつくりたいと思っている。しかし、それは互いの努力が必要だ。だから私はあなたの考え方を聞きたい」と結んだ。これは「結んだ」と言うより、字面から察するに「凄んだ」と言った方が適切かも知れない。もともと表情が表に出ない王毅外相は、だからこそ外交部長の任についたのか、外交部長だからこそ党幹部の手前、ポーカーフェイスを気取らざるを得ないのか、いずれにしても、これこそ伝統的な中華帝国の面目であろう。
これに対し、河野外相は「王毅外相とこういう形でお目にかかれて光栄だ」と切り出し(中略)「今回のASEAN関連外相会合に来て、私のおやじを知っている方が大変多い。いろんな方からおやじの話をされ、その息子ということで、いろんな方から笑顔を向けていただいた。親というのはありがたいもんだなと改めて思った次第だ」と話を合わせた上で、「北朝鮮の問題もあるし、海洋をめぐる問題もあり、安全保障をめぐる環境が東アジアの中で急速に変わっていく。大変難しい時代に外相になったが、それだけにやりがいがある時期にこの仕事をやれることになったことに半面、喜んでいる」と自身の決意を述べるとともに、「日本は戦後一貫して平和外交を進めてきた。戦後、一度も日本の自衛隊が戦火をまみえることなく、日本の平和がずっと維持されてきた」と、戦前の日本ではなく戦後70年以上を経た日本の立場を強調し、「中国は戦後さまざまあったが、経済的に発展していこうとしている。中国には大国としての振る舞い方というのを、やはり身につけていただく必要があるだろうなと思っている」と牽制し、「こういう形で、これから何度も率直な意見交換をさせていただきたいと思う。よろしくお願いします」と締め括った(このやりとりの全文は産経新聞電子版から)。正直なところ、外交デビューにしては無難に良く出来たメッセージだったと思う(冒頭部分のやりとりしか見ていないが)。何より(当たり前だが)安倍政権の外交方針に則って毅然と対応したことと、さらに今後も何かと比較されるであろう(とりわけ日本の保守派からは毛嫌いされる親中派の代表格だった)父・河野洋平元外相とは違う一個の人格としての河野太郎外相を売り込んだ、という意味において。
惜しむらくは、河野外相に対して、ブリーフィングだけでなく、握手のときの仕草まで徹底するべきだった。まあ、緊張すると人はつい地である日本人(の慇懃さ)が出てしまうものだ。王毅外相に、とりあえず言うべきことは言ったので、この程度の姿勢(写真)はサービスとして差し上げてもよかったのかも知れない。朝日新聞デジタルが伝えるところによれば、「王氏は会談後、中国メディアに対し『河野氏の本当の考え方や外交理念、父親から学んだことを知りたかった。話を聞くうちに、本当に付き合える人だと感じた』とも語った。南シナ海問題では厳しく日本側を牽制しながら、河野氏の外相就任を両国の関係改善への弾みにしたいとの立場をにじませた」ということである。