国連総会の一般討論演説では、各国、言いたい放題だったようだ。トランプ大統領が、あのような場で愛国主義を語ったのは論外で、ここでは触れない。
韓国の文在寅大統領は、「朝鮮半島で奇跡的ともいえることが起きた」「金氏と私は戦争の恐れを取り除き、平和と繁栄の時代を先導した」と自慢し、今月の南北首脳会談では、金氏が非核化に向けた「固い意欲」を示したと紹介し、「今度は、国際社会が北朝鮮の新たな決断と努力に前向きに応える番だ」とムシのよい訴えをしたらしい。ブルームバーグ通信は、文大統領のことを「金委員長のスポークスマン」などと揶揄した。前のめりな姿勢には相変わらず危うさが漂う。
北朝鮮の李容浩外相は、信頼関係がなければ「我々が一方的に核武装を解くことはあり得ない」「制裁には屈服しない」としながら、北朝鮮が核・ミサイル実験を中止したのを受け、国連安全保障理事会は制裁を解除すべきだとの立場も表明したらしい。金正恩委員長はつい8月半ばには、「強盗のような制裁封鎖で我が人民を窒息させようとする敵対勢力との激しい対決戦であり、党の権威を擁護するための決死戦だ」などと強い不満を表明していた。盗っ人猛々しいとは、まさにこういうことを言うのだろう。
国連安全保障理事会の閣僚級会合では、ロシアのラブロフ外相が「北朝鮮が段階的な(非核化などの)軍縮措置を行った後には、制裁緩和が続くべきだ」と述べ、中国の王毅国務委員兼外相も、非核化の進捗状況に合わせた緩和措置を要求したという。これが、米国を中心とする戦後のリベラルな国際秩序に抗ってきた「少数派」のロジックだ。事象だけ捉えれば、核・ミサイル実験を行ったことに対する制裁は、その事由となる実験がなくなったら解除するのはその通りだが、実験の前と後とでは景色は一変し、北朝鮮は核やミサイルの技術を持ってしまったのである。はい、そうですかと制裁解除して旧に復するならば、やった者勝ちの無法がのさばってしまう。独立自衛のためなのか、近隣の大国に見放され、別の近隣の大国を牽制し、別の遠い大国を招き寄せてバランスを取るためなのか、いずれにしても如何なる理由であれ、人類が多大な犠牲を払って学んだ歴史に逆行し、核不拡散のために政治だけでなく民間企業までもが続ける地道な努力を踏み躙る、悪質な行為であって決して許されるものではない。
トランプ大統領の話にも通じることだが、国際社会で誰もが「得」をすることなどあり得ない。誰もが小さな「損」あるいは「負担」を引き受けながら、また自国の利害が一番なのは当たり前で、それでもタテマエとして国際的な平和と繁栄を語って見せるのが、国際社会の慎みだろうと子供心に思っていたものだが、最近はそうでもないようだ。戦後70数年も経てば、メッキも剥がれ落ちるのだろうか。
前置きが長くなってしまったが、表のやりとりはともかく(それを追いかけるだけのメディアはともかく)、それぞれどこを目指しているのかを見極めるのが重要だろう。その点、戦略家の発言は暗い荒野に道筋を照らし出すようで参考になる。
エドワード・ルトワック氏が日本向けの最新刊で、トランプ大統領がシンガポールの米朝首脳会談で金正恩委員長に(ビデオを見せながら)語ったのは、実質的に「ベトナム・モデル」だけだったと言う。文大統領も金委員長に話して聞かせていると聞いたことがあるが、誰が言い出した「モデル」かは知らない。同じアジアで、一度は米国と激しく戦火を交えたものの、和解するや、社会主義体制下でも米国から投資を呼び込み、経済発展を続けているという意味では、核開発とは関係がないにしても、「リビア・モデル」よりも余程親しみを感じるだろう。ルトワック氏は、この「ベトナム・モデル」が日本にとっても「最善」で、現状維持、すなわち核武装したままの北朝鮮が「次善」だと言う。何故なら、核武装が中国からの北朝鮮の独立を保障し、中国による朝鮮半島の支配を防いでいるからだと言う。そして「最悪」なのは、北朝鮮が非核化し、朝鮮半島が中国の支配下に入ることだと言う。日清・日露の両戦争に至った帝国主義の時代の極東の歴史をよくご存知だ。そしてここで問題となるのが、韓国という国の戦略的な脆弱さだと言う。現実をよく見ておられる。韓国に振り回されないよう注意する必要がある。
小国意識が抜け切らず、何を言っても許されるといった甘えが根底にある。民主化して30年にしかならず、三権の独立が曖昧で、政治はポピュリズムに流される。そう言えば、お隣の大国は、大国が何を言おうが、大国が言うことに小国は従うべきだと公言して憚らない。そして日本は素直で騙されやすいときている。三者三様、極東というのはなんともややこしいところだ。
韓国の文在寅大統領は、「朝鮮半島で奇跡的ともいえることが起きた」「金氏と私は戦争の恐れを取り除き、平和と繁栄の時代を先導した」と自慢し、今月の南北首脳会談では、金氏が非核化に向けた「固い意欲」を示したと紹介し、「今度は、国際社会が北朝鮮の新たな決断と努力に前向きに応える番だ」とムシのよい訴えをしたらしい。ブルームバーグ通信は、文大統領のことを「金委員長のスポークスマン」などと揶揄した。前のめりな姿勢には相変わらず危うさが漂う。
北朝鮮の李容浩外相は、信頼関係がなければ「我々が一方的に核武装を解くことはあり得ない」「制裁には屈服しない」としながら、北朝鮮が核・ミサイル実験を中止したのを受け、国連安全保障理事会は制裁を解除すべきだとの立場も表明したらしい。金正恩委員長はつい8月半ばには、「強盗のような制裁封鎖で我が人民を窒息させようとする敵対勢力との激しい対決戦であり、党の権威を擁護するための決死戦だ」などと強い不満を表明していた。盗っ人猛々しいとは、まさにこういうことを言うのだろう。
国連安全保障理事会の閣僚級会合では、ロシアのラブロフ外相が「北朝鮮が段階的な(非核化などの)軍縮措置を行った後には、制裁緩和が続くべきだ」と述べ、中国の王毅国務委員兼外相も、非核化の進捗状況に合わせた緩和措置を要求したという。これが、米国を中心とする戦後のリベラルな国際秩序に抗ってきた「少数派」のロジックだ。事象だけ捉えれば、核・ミサイル実験を行ったことに対する制裁は、その事由となる実験がなくなったら解除するのはその通りだが、実験の前と後とでは景色は一変し、北朝鮮は核やミサイルの技術を持ってしまったのである。はい、そうですかと制裁解除して旧に復するならば、やった者勝ちの無法がのさばってしまう。独立自衛のためなのか、近隣の大国に見放され、別の近隣の大国を牽制し、別の遠い大国を招き寄せてバランスを取るためなのか、いずれにしても如何なる理由であれ、人類が多大な犠牲を払って学んだ歴史に逆行し、核不拡散のために政治だけでなく民間企業までもが続ける地道な努力を踏み躙る、悪質な行為であって決して許されるものではない。
トランプ大統領の話にも通じることだが、国際社会で誰もが「得」をすることなどあり得ない。誰もが小さな「損」あるいは「負担」を引き受けながら、また自国の利害が一番なのは当たり前で、それでもタテマエとして国際的な平和と繁栄を語って見せるのが、国際社会の慎みだろうと子供心に思っていたものだが、最近はそうでもないようだ。戦後70数年も経てば、メッキも剥がれ落ちるのだろうか。
前置きが長くなってしまったが、表のやりとりはともかく(それを追いかけるだけのメディアはともかく)、それぞれどこを目指しているのかを見極めるのが重要だろう。その点、戦略家の発言は暗い荒野に道筋を照らし出すようで参考になる。
エドワード・ルトワック氏が日本向けの最新刊で、トランプ大統領がシンガポールの米朝首脳会談で金正恩委員長に(ビデオを見せながら)語ったのは、実質的に「ベトナム・モデル」だけだったと言う。文大統領も金委員長に話して聞かせていると聞いたことがあるが、誰が言い出した「モデル」かは知らない。同じアジアで、一度は米国と激しく戦火を交えたものの、和解するや、社会主義体制下でも米国から投資を呼び込み、経済発展を続けているという意味では、核開発とは関係がないにしても、「リビア・モデル」よりも余程親しみを感じるだろう。ルトワック氏は、この「ベトナム・モデル」が日本にとっても「最善」で、現状維持、すなわち核武装したままの北朝鮮が「次善」だと言う。何故なら、核武装が中国からの北朝鮮の独立を保障し、中国による朝鮮半島の支配を防いでいるからだと言う。そして「最悪」なのは、北朝鮮が非核化し、朝鮮半島が中国の支配下に入ることだと言う。日清・日露の両戦争に至った帝国主義の時代の極東の歴史をよくご存知だ。そしてここで問題となるのが、韓国という国の戦略的な脆弱さだと言う。現実をよく見ておられる。韓国に振り回されないよう注意する必要がある。
小国意識が抜け切らず、何を言っても許されるといった甘えが根底にある。民主化して30年にしかならず、三権の独立が曖昧で、政治はポピュリズムに流される。そう言えば、お隣の大国は、大国が何を言おうが、大国が言うことに小国は従うべきだと公言して憚らない。そして日本は素直で騙されやすいときている。三者三様、極東というのはなんともややこしいところだ。