米国では最後の良識とも言えるマティス国防長官の辞任表明があり(しかも来年2月末の退任時期を前倒し、1月1日付でパトリック・シャナハン国防副長官が国防長官代行に就任する見込み)、お隣・韓国海軍の駆逐艦による海上自衛隊P1哨戒機への火器管制レーダー照射事件があり、同盟関係が不穏な事態に揺れているが、言いたいことはぐっと堪えて、昨日に続けて今日もクリスマスに免じて穏やかなテーマを続けたい。
公の仕事をしているある知人から、年末の挨拶とともに来年のカレンダーを頂いた。「皇室御写真集」と銘打った卓上式(上の写真)と壁掛け式のカレンダーで、制作者の名前はどこにもない。その筋でのみ配られているものと思われる。来年と言えば改元の年で、興味津々、開けて見ると、表紙には「平成31年・元年・2019」とある。1/2月はご一家の集合写真、3/4月は天皇・皇后両陛下お揃いの写真、5/6月は皇太子・雅子妃両殿下お揃いの写真、以後、天皇・皇后両陛下は登場しない・・・まさに改元の年のカレンダーだ。
折しも23日、天皇陛下は85歳の誕生日を迎えられ、恐らく最後となる記者会見と、最後となる誕生日一般参賀が行われた。記者会見では、感極まって、何度か声を震わせておられたのが、涙を誘った。とりわけ次の一文はじ~んと胸に迫るものがあった。
「(前略)天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います(後略)」
私たちにとって皇室は必ずしも近くない。とりわけ戦後世代の私たちには、正直なところ馴染みが薄い。しかし、少なくとも私は控え目ながら、皇室伝統(谷沢永一さんに倣って、左翼用語の「天皇制」とは呼ばない)は、世界広しと言えども唯一無二の歴史的存在であり、日本の精神文化の柱だと思っているが、合理主義を絵に描いたような(笑)ある知人から、皇室の必要性など全く感じられないと面と向かって言われて、唖然としたことがある。文化というものの何たるか(言葉は悪いが、生活実感からすれば無駄とも言えることにも価値がある)を知らない奴だ(苦笑)。
かつて森喜朗元首相の「神の国」発言が物議を醸したことがあったが、この齢になってみると、ユーラシア大陸から少し離れた島国で、2000年(神話上は3000年)になんなんとする系図が断絶せずに続いているのは奇跡だと思うし、ハンチントン教授に言われずとも、一国(と言うか一つの島)で独自の文明圏を構成しているのは、韓国を含む中華圏とは明らかに異質であるという自覚からも明らかであろう。故・渡部昇一さんがある本で次の様なエピソードを披露しておられた。
「(前略)何年か前に、私は曽野綾子さんと伊勢神宮に参拝したことがある。曽野さんはバチカンから勲章を授けられた立派なカトリック信者であり、私もそのはしくれだが、違和感はなかった。この島国を作ったという伝承が残り、そのカミの子孫が「国民統合の象徴」と憲法に記されて現存している国に生まれ、その住人であるなら、その皇室のご先祖を祀った社に心から敬意を払う行為をするのに、なんの躊躇があろうか(後略)」
日本が神道の国であること、そして皇室の位置づけ、また(キリスト教や仏教などの)宗教との関係を語って(甚だ言葉不足ではあるものの)、私なんぞはなんとなく妙に納得してしまうのである(笑)。日本国憲法には「国民統合の象徴」と記されているが、何もGHQに言われたからそう記したのではなく、昔からそうだった。織田信長は恐らくその禁忌に触れたから暗殺されたのだろう。天皇陛下の次の言葉には、「国民統合の象徴」としての慎ましやかな思いが込められていて、その真摯な姿勢の(文字通りの)「有り難さ」には頭が下がるのである。
「(前略)私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います(後略)」
事実上、移民を認めるような法案が通り、日本らしさが失われるのではないかとの懸念の声があがるが、東日本大震災やさまざまな災害で見せてきた日本人の気高さが維持される限り、杞憂だろうと思う。世界標準からはかなり外れた(!?)不思議な国民だが、この民度の高さは失いたくないものだと、「皇室御写真集」を見てつらつら思うのだった。
公の仕事をしているある知人から、年末の挨拶とともに来年のカレンダーを頂いた。「皇室御写真集」と銘打った卓上式(上の写真)と壁掛け式のカレンダーで、制作者の名前はどこにもない。その筋でのみ配られているものと思われる。来年と言えば改元の年で、興味津々、開けて見ると、表紙には「平成31年・元年・2019」とある。1/2月はご一家の集合写真、3/4月は天皇・皇后両陛下お揃いの写真、5/6月は皇太子・雅子妃両殿下お揃いの写真、以後、天皇・皇后両陛下は登場しない・・・まさに改元の年のカレンダーだ。
折しも23日、天皇陛下は85歳の誕生日を迎えられ、恐らく最後となる記者会見と、最後となる誕生日一般参賀が行われた。記者会見では、感極まって、何度か声を震わせておられたのが、涙を誘った。とりわけ次の一文はじ~んと胸に迫るものがあった。
「(前略)天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います(後略)」
私たちにとって皇室は必ずしも近くない。とりわけ戦後世代の私たちには、正直なところ馴染みが薄い。しかし、少なくとも私は控え目ながら、皇室伝統(谷沢永一さんに倣って、左翼用語の「天皇制」とは呼ばない)は、世界広しと言えども唯一無二の歴史的存在であり、日本の精神文化の柱だと思っているが、合理主義を絵に描いたような(笑)ある知人から、皇室の必要性など全く感じられないと面と向かって言われて、唖然としたことがある。文化というものの何たるか(言葉は悪いが、生活実感からすれば無駄とも言えることにも価値がある)を知らない奴だ(苦笑)。
かつて森喜朗元首相の「神の国」発言が物議を醸したことがあったが、この齢になってみると、ユーラシア大陸から少し離れた島国で、2000年(神話上は3000年)になんなんとする系図が断絶せずに続いているのは奇跡だと思うし、ハンチントン教授に言われずとも、一国(と言うか一つの島)で独自の文明圏を構成しているのは、韓国を含む中華圏とは明らかに異質であるという自覚からも明らかであろう。故・渡部昇一さんがある本で次の様なエピソードを披露しておられた。
「(前略)何年か前に、私は曽野綾子さんと伊勢神宮に参拝したことがある。曽野さんはバチカンから勲章を授けられた立派なカトリック信者であり、私もそのはしくれだが、違和感はなかった。この島国を作ったという伝承が残り、そのカミの子孫が「国民統合の象徴」と憲法に記されて現存している国に生まれ、その住人であるなら、その皇室のご先祖を祀った社に心から敬意を払う行為をするのに、なんの躊躇があろうか(後略)」
日本が神道の国であること、そして皇室の位置づけ、また(キリスト教や仏教などの)宗教との関係を語って(甚だ言葉不足ではあるものの)、私なんぞはなんとなく妙に納得してしまうのである(笑)。日本国憲法には「国民統合の象徴」と記されているが、何もGHQに言われたからそう記したのではなく、昔からそうだった。織田信長は恐らくその禁忌に触れたから暗殺されたのだろう。天皇陛下の次の言葉には、「国民統合の象徴」としての慎ましやかな思いが込められていて、その真摯な姿勢の(文字通りの)「有り難さ」には頭が下がるのである。
「(前略)私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います(後略)」
事実上、移民を認めるような法案が通り、日本らしさが失われるのではないかとの懸念の声があがるが、東日本大震災やさまざまな災害で見せてきた日本人の気高さが維持される限り、杞憂だろうと思う。世界標準からはかなり外れた(!?)不思議な国民だが、この民度の高さは失いたくないものだと、「皇室御写真集」を見てつらつら思うのだった。