いよいよ「来るべき時」が来たか・・・という感じだった。もっとも頭では理解していても、いつも良い意味で期待を裏切ってくれたイチローなので、何かあるかも・・・などと、心の中ではショックを、そして覚悟を避けて来たのだった。
昨晩、共同通信の第一報(19時19分発)に気が付いたのは何時頃だっただろうか。それからはパソコンの前を離れられず、漫然と記事検索しながら、時折り涙をぼろぼろ流し、時節柄の花粉症のせいではない洟をかみながら、日本酒をぐいぐい煽った(深夜に至るまで、50台半ばのジジイが、なんとおぞましい姿・・・)。
前回ブログでは、たった一本、ギネスに載ったプロ通算安打4367分の1の安打を待望したが、叶わなかった。オープン戦では僅か2安打、凡退するたびに首をかしげ、表情の険しさが増し、最後の24打席はノーヒット、開幕早々の6打席もノーヒット、その現役最後の打席は、かつて母校・愛工大名電の監督に豪語した「センター前ヒットなら、いつでも打てる」はずが、センターに抜けることなく平凡なショート・ゴロに終わった。バット・コントロール巧みな天才イチローにして、本人も打ちたかった後一本を生み出すのに苦しむという、何と皮肉な寂しい結末だろう。否、これも野球の醍醐味じゃないかと、野球の神様は微笑んでおられるかも知れない。
そもそもイチローがメジャーに渡った当時は、野球の神様がイチローに乗り移り、光臨したかのような印象だった。
イチローがメジャーに渡る前、1990年代後半は、筋肉増強剤の使用が蔓延ったとされる時代で、本塁打が飛び交う(という意味ではアメリカらしい)大味の野球全盛だった。そこに颯爽と登場したのが、本場メジャーの選手と並べるといかにも華奢で、体力的に大いに不安視された、しかし俊足巧打のスピードと技術で、次々に安打記録を塗り替え、本場アメリカの野球ファンに野球本来の魅力を再認識させることになる、“外来”希少種のイチローだった。
ところが最近は、データ分析や動作解析の進化により、投手の急速は年々アップし、直球の平均急速は、イチローがメジャーに渡った2001年当時は88.5マイル(約142キロ)だったのに対し、昨季は93.6マイル(約151キロ)に達し、全直球の22%は95マイル(約153キロ)以上を計測したそうだ(このあたり、今朝のスポニチによる)。これに対抗する打者はスウィング・スピードや打球角度を重視して転がすより打ち上げ、より安打の確率を高める「フライボール革命」なるトレンドが生まれ、再び長打力がある打者が評価され、高齢選手は敬遠されるようになったという(同)。イチローが存在価値を見出して来た野球とは、残念ながら真逆のスタイルである。時代を塗り替えたはずのイチローが、再び時代に取り残されたような・・・
深夜に行われた引退会見は1時間23分に及んだ。
印象的な場面を問われて、「去年の5月以降、ゲームに出られない状況になったが、それ以降もチームで練習してきた。それがなかったら、今日という日を迎えられなかったと思う。誰にもできないことかもしれない。それはささやかな自分の誇りになった。ほんの少しだけ誇りを持てたかもしれないです」とイチローらしい逆説的なウィットに富んだ答えだった。後悔がないかと問われると「今日のあの球場での出来事、あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません」と、日本のファンに素直に感謝した。イチローの、いかにも年齢を重ねた丸みを感じさせる。
白眉は、現役生活を陰で支えた弓子夫人と愛犬・一弓への感謝の気持ちの表明だった。本拠地での試合前には弓子夫人が握った「お握り」を食べることを明かし、「それが(合計で)2800個くらいなんですね。(夫人は)3000個いきたかったみたいですね。そこは3000個握らせてあげたかった」と、自らの安打数にひっかけて3000という数字を挙げ、引退後は「僕はゆっくりしないと言いましたが、妻にはゆっくりしてもらいたい」と、イチローらしい、ひねったユーモアでくるみながら、奥様の支えに素直に感謝したのだった。そして愛犬・一弓の存在感である。今年で18歳になることを明かし、「さすがにおじいちゃんでフラフラなんですけど、懸命に生きている。その姿を見ていたら俺も頑張らなきゃなあと。まさか僕が現役を終える時まで一緒に過ごせるとは思っていなかった。これは大変感慨深い。妻と一弓には感謝の思いしかないですね」と、家族の支えに、愛情一杯の賛辞を送ったのだった。
最後に・・・ 昨晩のゲームを実況した日本テレビ・佐藤義朗アナの“4分間の沈黙”に、ネットでは賞賛の声が上がっているらしい。8回、いったん守備に就いたイチローが大歓声の中でダグアウトに戻り始めた時から、佐藤アナは一切、言葉を発しなかったという。その時間にして約4分。イチローが選手やスタッフとハグを交わし、菊池雄星が号泣している間も、画面はその様子だけを伝え、スタンディング・オベーションがようやく終わるや、佐藤アナはおもむろに口を開き、「同じ国に生まれ、同じ時代を生き、この瞬間に立ち会えたことに感謝したいと思います」と、言葉を選んで実況を再開したという。なんとドラマチックなこの言葉、まさに私にしても日本中のファンにしても、思いを同じゅうしていることだろう。以て瞑すべし。
物理的にはほんの数時間なのに、まさに走馬灯のようにさまざまな思いが行き交い、感覚的には長い、長~い数時間だった。
昨晩、共同通信の第一報(19時19分発)に気が付いたのは何時頃だっただろうか。それからはパソコンの前を離れられず、漫然と記事検索しながら、時折り涙をぼろぼろ流し、時節柄の花粉症のせいではない洟をかみながら、日本酒をぐいぐい煽った(深夜に至るまで、50台半ばのジジイが、なんとおぞましい姿・・・)。
前回ブログでは、たった一本、ギネスに載ったプロ通算安打4367分の1の安打を待望したが、叶わなかった。オープン戦では僅か2安打、凡退するたびに首をかしげ、表情の険しさが増し、最後の24打席はノーヒット、開幕早々の6打席もノーヒット、その現役最後の打席は、かつて母校・愛工大名電の監督に豪語した「センター前ヒットなら、いつでも打てる」はずが、センターに抜けることなく平凡なショート・ゴロに終わった。バット・コントロール巧みな天才イチローにして、本人も打ちたかった後一本を生み出すのに苦しむという、何と皮肉な寂しい結末だろう。否、これも野球の醍醐味じゃないかと、野球の神様は微笑んでおられるかも知れない。
そもそもイチローがメジャーに渡った当時は、野球の神様がイチローに乗り移り、光臨したかのような印象だった。
イチローがメジャーに渡る前、1990年代後半は、筋肉増強剤の使用が蔓延ったとされる時代で、本塁打が飛び交う(という意味ではアメリカらしい)大味の野球全盛だった。そこに颯爽と登場したのが、本場メジャーの選手と並べるといかにも華奢で、体力的に大いに不安視された、しかし俊足巧打のスピードと技術で、次々に安打記録を塗り替え、本場アメリカの野球ファンに野球本来の魅力を再認識させることになる、“外来”希少種のイチローだった。
ところが最近は、データ分析や動作解析の進化により、投手の急速は年々アップし、直球の平均急速は、イチローがメジャーに渡った2001年当時は88.5マイル(約142キロ)だったのに対し、昨季は93.6マイル(約151キロ)に達し、全直球の22%は95マイル(約153キロ)以上を計測したそうだ(このあたり、今朝のスポニチによる)。これに対抗する打者はスウィング・スピードや打球角度を重視して転がすより打ち上げ、より安打の確率を高める「フライボール革命」なるトレンドが生まれ、再び長打力がある打者が評価され、高齢選手は敬遠されるようになったという(同)。イチローが存在価値を見出して来た野球とは、残念ながら真逆のスタイルである。時代を塗り替えたはずのイチローが、再び時代に取り残されたような・・・
深夜に行われた引退会見は1時間23分に及んだ。
印象的な場面を問われて、「去年の5月以降、ゲームに出られない状況になったが、それ以降もチームで練習してきた。それがなかったら、今日という日を迎えられなかったと思う。誰にもできないことかもしれない。それはささやかな自分の誇りになった。ほんの少しだけ誇りを持てたかもしれないです」とイチローらしい逆説的なウィットに富んだ答えだった。後悔がないかと問われると「今日のあの球場での出来事、あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません」と、日本のファンに素直に感謝した。イチローの、いかにも年齢を重ねた丸みを感じさせる。
白眉は、現役生活を陰で支えた弓子夫人と愛犬・一弓への感謝の気持ちの表明だった。本拠地での試合前には弓子夫人が握った「お握り」を食べることを明かし、「それが(合計で)2800個くらいなんですね。(夫人は)3000個いきたかったみたいですね。そこは3000個握らせてあげたかった」と、自らの安打数にひっかけて3000という数字を挙げ、引退後は「僕はゆっくりしないと言いましたが、妻にはゆっくりしてもらいたい」と、イチローらしい、ひねったユーモアでくるみながら、奥様の支えに素直に感謝したのだった。そして愛犬・一弓の存在感である。今年で18歳になることを明かし、「さすがにおじいちゃんでフラフラなんですけど、懸命に生きている。その姿を見ていたら俺も頑張らなきゃなあと。まさか僕が現役を終える時まで一緒に過ごせるとは思っていなかった。これは大変感慨深い。妻と一弓には感謝の思いしかないですね」と、家族の支えに、愛情一杯の賛辞を送ったのだった。
最後に・・・ 昨晩のゲームを実況した日本テレビ・佐藤義朗アナの“4分間の沈黙”に、ネットでは賞賛の声が上がっているらしい。8回、いったん守備に就いたイチローが大歓声の中でダグアウトに戻り始めた時から、佐藤アナは一切、言葉を発しなかったという。その時間にして約4分。イチローが選手やスタッフとハグを交わし、菊池雄星が号泣している間も、画面はその様子だけを伝え、スタンディング・オベーションがようやく終わるや、佐藤アナはおもむろに口を開き、「同じ国に生まれ、同じ時代を生き、この瞬間に立ち会えたことに感謝したいと思います」と、言葉を選んで実況を再開したという。なんとドラマチックなこの言葉、まさに私にしても日本中のファンにしても、思いを同じゅうしていることだろう。以て瞑すべし。
物理的にはほんの数時間なのに、まさに走馬灯のようにさまざまな思いが行き交い、感覚的には長い、長~い数時間だった。