風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

平成から令和へ(中)

2019-05-03 01:08:41 | 日々の生活
 前回からの続きになるが・・・実際のところ、私たちはロイヤル・ファミリーがあることを当たり前のこととして(このたびの御代替わり以外には)なかなか思いを致さない。最近、私は徒然なるままアメリカという国家の成り立ちと対外政策のありようについて気紛れに調べていて、アメリカの共和政がもつ革命的な意味合いがなんとなく分かるようになったのだが(今さらながら)、当時の旧大陸(欧州)の絶対王政の横暴ぶりと比べ日本の王室の(権力闘争がなかったわけではないが)権威として控え目なありようにも今さらながら驚かされる。そしてここ数日、王朝絵巻を見るような儀式を垣間見て、世界と日本の平和と安寧を望まれる天皇陛下という存在は、長い歴史と伝統文化とともに、21世紀にあって不思議の国・日本を文化的に重層的に奥床しくするし、政治利用されることのない皇室外交の存在は、生臭くもならざるを得ない日本の外交をも重層的に奥床しくして、戦略的に極めて重要に思う。
 上皇陛下は、平成の世に20回にわたって計36ヶ国に足を運ばれたらしい。昭和天皇が戦後2回、欧州と米国の計8ヶ国にとどまったことと比べても、国際化が進展し動きやすくなったとは言え、国際親善を重視されていたことの証だろうと思う。中でも、昭和天皇が果たし得なかった東南アジア3ヶ国(タイ、マレーシア、インドネシア)に加え、翌平成4年には歴代天皇として初めて中国を訪問された(しかも天安門事件以降、国際的に孤立していた中でのご訪問で、中国の国際復帰を先導され、今なお賛否両論あるところではある)。さらに平成9年には、天皇として初めて南米に入り、ブラジルとアルゼンチンを訪問された。
 皇室外交の効用を示す実例2つばかりに触れたい。
 一つは台湾との微妙な関係についてである。東日本大震災のとき、台湾の人々から(他国の倍に相当する)2億ドルを超す義援金が届いたのはよく知られるところだが、翌年の追悼式典に台湾の駐日代表の姿がなかったことは、「一つの中国」政策をとりあえず“理解”し、従い如何に台湾との関係がややこしいとは言え、日本人として内心忸怩たるものがあった。当時の野党政治家から攻撃された当時の野田首相は「台湾の皆さまには温かい支援をいただいた。その気持ちを傷つけるようなことがあったら、本当に申し訳ない」と述べるに至っている(これ自体は1972年の日台断交以来、日本の首相が初めて台湾に謝罪した出来事とされる)。ところが、その春の赤坂御苑での園遊会には、台湾の駐日代表も招待されたのだそうである! 日本側は対外的に公言しないよう求めたらしいが、断交後、初めてのことだという。そして天皇陛下(当時)は台湾の中日代表に笑顔で歩み寄り、あらためて台湾の支援に感謝の言葉を述べられたという。その翌朝の産経1面トップには、「陛下、台湾の震災支援に謝意」との見出しでそのときの写真が掲載されたらしいが(多分、こんなことをするのは産経だけだと思うが 笑)、どうやら北京(中国政府)は日本に抗議しなかったという(このあたり産経電子版による)。
 もう一つは、アラブの王室が日本の皇室を尊敬しているという話だ。サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン副皇太子が二年半前、訪日した際、御所で天皇陛下(当時)と会見された時の写真が、フェイスブックやツイッターなどを通じて世界で大きな反響を呼んだというのだ。何の飾り気もない部屋で、装飾といえば草花を活けた花瓶が1つあるだけ。障子から明かりが差し込む凛とした気品ある空間の中で、天皇と副皇太子が向かい合い、言葉を交わしている・・・フェイスブックの声は、
 「この写真を見ると嬉しく感じる。サウジアラビアの副皇太子が、シルクやジュエリーなどの派手な装飾に頼らずとも、とても穏やかな気持ちで対談されていることが分かるからだ」「本当に素晴らしい場所だ。うるさくないシンプルな作りで、大事な部分1点にまとめられている。日本らしいよ!」(サウジアラビア)
 「日本の天皇陛下と最高のミニマリズムの形」(カタール)
 「これこそが真のミニマリズムだ!」(マレーシア)
 「金も装飾もなく、衝撃的な1枚だ。この謙虚さが美しいのだろう」(米国)
 「写真は最低限のものしか置かれていないにもかかわらず、部屋から美しさや気品があふれています」(モロッコ)
 両陛下の私邸の御所もそうだが、皇居・宮殿も、そこに足を踏み入れた外国の賓客の多くが、その簡素なたたずまいに感嘆するらしい。また長年、駐米大使を務めたバンダル・ビン・スルタン王子は帰国後、国家安全保障会議の事務総長という重責ポストに就いたが、面会が極めて難しいことで知られていたところ、日本の大使とは2度私邸で会い、イランとの水面下の交渉などを明かしてくれたのは、「通常、外国の大使には会わないが日本は例外である。日本の皇室を尊敬しているからだ」と述べたという。
 かつて1970年代の石油危機のとき、大協石油(当時、現コスモ石油)の中山善郎社長は、アラブ諸国から石油の安定供給を受けるには「皇室外交があれば最高」「菊の御紋の威光はアラブの王様に絶大」と語ったらしい。こうした、サウジだけではなくアラブの王室に見られる日本の皇室に対する尊敬の念は、一つには日本の皇室が万世一系の、世界でも珍しい長い歴史と伝統を保持していること、二つには皇室が日本国民の幅広い尊敬と支持を集めていて、「自分たちもこうありたい」という願望をもつものであること、三つには華美や贅から一線を画した精神性の高さだとされる(このあたりは以前、新潮フォーサイトに掲載された西川恵氏のコラムによる)。西川恵氏が敢えて触れていないことを補足すると、そこには日本人の(排他的ではなく)包摂的な宗教のありよう(なんと言っても一神教じゃなく八百万の神だからね)が大きく影響していそうだし、「誠実」「禁欲」「慈悲」といったイスラームの善を日本人からは感じることができ、日本人はムスリムでもないのにイスラームの教えを実現しているとアラブの人から語られるようなところも、影響していそうだ(このあたりは宮田律氏の論を借用)。
 上皇后陛下は、昨年の誕生日に、「陛下はご譲位とともに、これまでなさってきた全ての公務から御身を引かれますが、以降もきっと、それまでと変わらず、国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います」と文書で答えておられる。「国と人々のために祈る」ことこそ、象徴としての天皇をはじめとする皇室のありようなのだろう。これからも日本国と日本国民統合の象徴として大切に戴きたいものだと思う。
コメント
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