瀬戸内寂聴さんが9日、亡くなった。享年99。
普段は意識しないのに、いざ亡くなると、胸の奥にぽっかり穴が開いたような喪失感に襲われて無性に恋しくなる方がいる。寂聴さんの本は、最近では数年前、近所の古本屋で見つけた「古都旅情」(装画本・・・端正な毛筆の署名&落款入りだったが、保存状態が良くなくて、店頭で段ボール箱に詰めて叩き売られていた)のほかに、数冊しか読んだことがないが、なにしろ存在感があるお方なので、ごく自然にその立ち居振る舞いは気になっていた。
人間の業のようなものと向き合って、鋼(はがね)のように頑ななわけではなく、鎧を纏って内を守るでもなく、素のままで柳のようにしなやかに(結構、わがままに!? 笑)生きて来られた方だったように思う。波乱万丈の半生を経て、51歳のときに出家されたが、「売れっ子と呼ばれ、恋愛をしてもむなしかった。良い小説を書くため、文学の背骨になる思想が必要だった」と後に語られたように、一本筋を通した方だった。生命のみずみずしさを失わず、70歳の時に、『源氏物語』の現代語訳を始め、76歳で仕上げられた。『源氏物語』のことを、「日本の文化遺産としては唯一最高のものだと思います。世界最古のこの傑作小説が、1000年も昔の日本で、紫式部という子持ちで寡婦のキャリアウーマンによって書かれたというのですから驚かされます」と痛快に語っておられる。「出家とは生きながら死ぬこと」 そう言って、剃髪後も酒を飲み、肉を食すことを公言されながら、生臭坊主ではない、庵を結んで超然とされるわけでもない、いつも隣に座ってニコニコ話を聞いてくれ、あるいは問わず語りに語ってくれる、そんな風情を思わせる(本当かどうか知らないが)方だった。
日経ビジネスが4年前に、当時の新刊『95歳まで生きるのは幸せですか?』出版記念に行ったインタビュー記事を、追悼し再掲していた。
「自分が生きている世界に起こるあらゆることに、無関心ではいられません。テレビや新聞を通じて知るトランプさんの言うことはなんだかむちゃくちゃで、戦争がおきたら困るなあ、と思っているんです。」 政治的主張は合わないが、失礼を顧みずに申し上げれば、いつまでも精神の若さを失わない、かわいらしいおばあちゃんだった。3年前、96歳の誕生日を前にInstagramを開設し、「日本最高齢のインスタグラマー」として話題になった。
「そもそも、人間、歳をとったら、だいたいうつ状態になりやすくなります。なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから。そしていったん、うつになっちゃうとそこから逃げ出すのはとっても大変です。(中略)うつになるってことは、自信を失っている。だからひたすら一生懸命褒めてあげる。(中略)古沢先生に教わった「うつの人は褒めてあげよう」は、その後の私の人生の指針のひとつになりました。(中略)こうやってお話しすると「バカみたい」って思うかもしれないけど、大人になると、ましてや50歳以上にもなると、人に褒められることってほとんどなくなります。褒められるのって、ほんとうに元気が出るの。元気がなくなっていたり、鬱っぽくなっている人が周りにいたら、ぜひ褒めてあげてくださいな。」 ただでさえ経済成長から遠ざかり、給料も上がらないギスギスした世知辛い世の中なのに、パンデミックで巣籠もりすることが多くて、世間は多かれ少なかれ心を病んでいると思う。「褒める」・・・シンプルで、人間の本質を捉えた、なんと奥深い処方箋だろう。
「法話を聞きにきたその世代の男の人たち、多いですよ。男は、女みたいに自分の悩みを口に出して私に伝えたりしません。でも、悩みは伝わってきます。(中略)つくづく男は純情だと思います。歳を取っても変わりません。(中略)女のほうがすぐに諦めて、今日と明日のことを考えますね。男は昔を振り返って泣いてばかり。男のひとたち、もっと楽しいこと、やりたいことを考えなさいな。」 自戒するところだ(苦笑)。
他にも、あちらこちらの追悼記事が寂聴さんのさまざまな言葉を懐かしがる。
「『青春は恋と革命』が私の信条です。本は大事だけど、100冊読むより本気の恋愛を一つした方がずっと成長する。人を愛することは幸せです。」
「好きな言葉は『情熱』。情熱がなければ生きていてもつまらない。『青春は恋と革命』。その情熱を失わないまま死にたいのよ」
「生きることは愛すること。愛しなさいといって私たちはこの世に送り出される。そして愛することは許すこと。それは私がまさに死のうとする今、得た悟りなのね。どんなに仲が良くても必ず嫌になるの。最後はあきらめね、嫌なことも許すようになる。誰かを好きになるのは雷に当たるようなもので、別れることになっても雷に当たった方がいいの。つらいけど、そのつらさを味わったら人間ができて優しくなれる。」
「仏教の最も大切なことは『忘己利他(もうこりた)』。自分の利益を忘れ、他者の幸せのために奉仕することです」
「出家したとき、こだわりを捨てることができた。お金も地位もほしくない。ただ一つ残っている煩悩が、ものを書くこと」
「生きることは愛すること。世の中をよくするとか戦争をしないとか、その根底には愛がある。それを書くのが小説」
そうやって世の悩める子羊たちを(勿論そこにはアバターとしてのご本人も含まれていたのかも知れない)慰めて来られたのだろう。墓碑銘は、「愛した、書いた、祈った」と決めていたそうだ。スタンダールの場合は、「書いた 恋した 生きた」だった。それぞれ三つのことの選択と順番に妙を感じる。私ならどんな墓碑銘にしようか・・・そんなことを思ったりする。寂聴さんにあやかって、気持ちだけでもその墓碑銘に従って、これから生きて行こうか、と。
ご冥福をお祈りし、合掌。
普段は意識しないのに、いざ亡くなると、胸の奥にぽっかり穴が開いたような喪失感に襲われて無性に恋しくなる方がいる。寂聴さんの本は、最近では数年前、近所の古本屋で見つけた「古都旅情」(装画本・・・端正な毛筆の署名&落款入りだったが、保存状態が良くなくて、店頭で段ボール箱に詰めて叩き売られていた)のほかに、数冊しか読んだことがないが、なにしろ存在感があるお方なので、ごく自然にその立ち居振る舞いは気になっていた。
人間の業のようなものと向き合って、鋼(はがね)のように頑ななわけではなく、鎧を纏って内を守るでもなく、素のままで柳のようにしなやかに(結構、わがままに!? 笑)生きて来られた方だったように思う。波乱万丈の半生を経て、51歳のときに出家されたが、「売れっ子と呼ばれ、恋愛をしてもむなしかった。良い小説を書くため、文学の背骨になる思想が必要だった」と後に語られたように、一本筋を通した方だった。生命のみずみずしさを失わず、70歳の時に、『源氏物語』の現代語訳を始め、76歳で仕上げられた。『源氏物語』のことを、「日本の文化遺産としては唯一最高のものだと思います。世界最古のこの傑作小説が、1000年も昔の日本で、紫式部という子持ちで寡婦のキャリアウーマンによって書かれたというのですから驚かされます」と痛快に語っておられる。「出家とは生きながら死ぬこと」 そう言って、剃髪後も酒を飲み、肉を食すことを公言されながら、生臭坊主ではない、庵を結んで超然とされるわけでもない、いつも隣に座ってニコニコ話を聞いてくれ、あるいは問わず語りに語ってくれる、そんな風情を思わせる(本当かどうか知らないが)方だった。
日経ビジネスが4年前に、当時の新刊『95歳まで生きるのは幸せですか?』出版記念に行ったインタビュー記事を、追悼し再掲していた。
「自分が生きている世界に起こるあらゆることに、無関心ではいられません。テレビや新聞を通じて知るトランプさんの言うことはなんだかむちゃくちゃで、戦争がおきたら困るなあ、と思っているんです。」 政治的主張は合わないが、失礼を顧みずに申し上げれば、いつまでも精神の若さを失わない、かわいらしいおばあちゃんだった。3年前、96歳の誕生日を前にInstagramを開設し、「日本最高齢のインスタグラマー」として話題になった。
「そもそも、人間、歳をとったら、だいたいうつ状態になりやすくなります。なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから。そしていったん、うつになっちゃうとそこから逃げ出すのはとっても大変です。(中略)うつになるってことは、自信を失っている。だからひたすら一生懸命褒めてあげる。(中略)古沢先生に教わった「うつの人は褒めてあげよう」は、その後の私の人生の指針のひとつになりました。(中略)こうやってお話しすると「バカみたい」って思うかもしれないけど、大人になると、ましてや50歳以上にもなると、人に褒められることってほとんどなくなります。褒められるのって、ほんとうに元気が出るの。元気がなくなっていたり、鬱っぽくなっている人が周りにいたら、ぜひ褒めてあげてくださいな。」 ただでさえ経済成長から遠ざかり、給料も上がらないギスギスした世知辛い世の中なのに、パンデミックで巣籠もりすることが多くて、世間は多かれ少なかれ心を病んでいると思う。「褒める」・・・シンプルで、人間の本質を捉えた、なんと奥深い処方箋だろう。
「法話を聞きにきたその世代の男の人たち、多いですよ。男は、女みたいに自分の悩みを口に出して私に伝えたりしません。でも、悩みは伝わってきます。(中略)つくづく男は純情だと思います。歳を取っても変わりません。(中略)女のほうがすぐに諦めて、今日と明日のことを考えますね。男は昔を振り返って泣いてばかり。男のひとたち、もっと楽しいこと、やりたいことを考えなさいな。」 自戒するところだ(苦笑)。
他にも、あちらこちらの追悼記事が寂聴さんのさまざまな言葉を懐かしがる。
「『青春は恋と革命』が私の信条です。本は大事だけど、100冊読むより本気の恋愛を一つした方がずっと成長する。人を愛することは幸せです。」
「好きな言葉は『情熱』。情熱がなければ生きていてもつまらない。『青春は恋と革命』。その情熱を失わないまま死にたいのよ」
「生きることは愛すること。愛しなさいといって私たちはこの世に送り出される。そして愛することは許すこと。それは私がまさに死のうとする今、得た悟りなのね。どんなに仲が良くても必ず嫌になるの。最後はあきらめね、嫌なことも許すようになる。誰かを好きになるのは雷に当たるようなもので、別れることになっても雷に当たった方がいいの。つらいけど、そのつらさを味わったら人間ができて優しくなれる。」
「仏教の最も大切なことは『忘己利他(もうこりた)』。自分の利益を忘れ、他者の幸せのために奉仕することです」
「出家したとき、こだわりを捨てることができた。お金も地位もほしくない。ただ一つ残っている煩悩が、ものを書くこと」
「生きることは愛すること。世の中をよくするとか戦争をしないとか、その根底には愛がある。それを書くのが小説」
そうやって世の悩める子羊たちを(勿論そこにはアバターとしてのご本人も含まれていたのかも知れない)慰めて来られたのだろう。墓碑銘は、「愛した、書いた、祈った」と決めていたそうだ。スタンダールの場合は、「書いた 恋した 生きた」だった。それぞれ三つのことの選択と順番に妙を感じる。私ならどんな墓碑銘にしようか・・・そんなことを思ったりする。寂聴さんにあやかって、気持ちだけでもその墓碑銘に従って、これから生きて行こうか、と。
ご冥福をお祈りし、合掌。