昨日あたりから冬型の気圧配置によって一気に冷え、慣れない身体に寒さが沁みる辛い週末となった。ようやく遅い11月の到来といった感じだ。昨年までは、11月の声を聞けば、ビジネス・スーツの衣替えをするのが常だったが、今年は二週間近く、夏服のままで過ごし、朝夕の通勤客の中には、ちらほら上着なしの若者もいるほどだった。
今年は記録的な暑さで、国連事務総長が「地球温暖化の時代は終わり、『地球沸騰化』の時代が到来した(The era of global boiling has arrived.)」と警鐘を鳴らしたことが話題になった。何を大袈裟な、と言おうものなら、きっと欧米の環境活動家から面罵されるのだろう。私はそこに、環境を言いながら人間中心主義的なニオイを嗅ぎ取って、つい胡散臭く思ってしまう。私たち日本人はただ自然を畏敬するが、西洋人にとって自然は神が造ったものであり、その神が死んだと言う人も現れて(言わずと知れたニーチェだ)、その神を人間が引き継いだかのように「神-人間ライン」と自然を対置し、自然を観察対象とするだけでなく介入・征服する対象と見做してさんざん弄んで来て、今頃になって自然が破壊されているとは、昔も今もキリスト教的(ひいてはユダヤ教的)な「神-人間ライン」の相も変らぬ傲慢さが垣間見えて、イカガワシク思うのだ。勿論、地球環境保全に吝かではないし、CO2濃度の上昇が地球温暖化に影響するという予測モデルがノーベル賞を獲るくらいだから、関連がないとは言わないが、地球はそこまでヤワなのか(太陽の影響だってあるだろうに)と拗ねてみたくなるし、自然とともにあった日本人が今、環境後進国などと、西洋人には言われたくないが、まあそれは余談である。
そんな発言があった7月は特に暑かったようで、過去12万年で最も暑い月だった可能性があるようだ(BBC 11月10日付)。世界各地で高温や山火事などの異常気象・災害が続き、私も小さい話ではあるが、帰宅後に窓を開け放てばエアコンの世話にならなくて済んで来たのに、この夏はたまらず数日だけ生まれて初めて(!)エアコンで部屋を冷やしてから寝入るハメになった。実際に東京都心では「猛暑日」(最高気温35度以上)22回、「真夏日」(同30度以上)90回を観測し、どちらも過去最多だったと、日経・春秋が書いた(10月31日付)。その時点で「夏日」(同25度以上)140回は、最多だった昨年に並んでいたが、11月に入ってからも小春日和ならぬ小夏日和!?があって、過去最多となった。先週火曜日には、東京都心の気温は27.5度と、11月の最高気温を100年ぶりに更新する暑さを記録し、朝、駅まで歩くと汗ばむほどだった。
こうして「夏日」は実に3月から11月まで(断続的にではあるが)続いたことになる。本来、寒い冬と暑い夏を両極端として、その間の移行期間を春や秋と称して、一年をほぼ四等分して、季節の移り変わりを楽しんで来たが、夏がやたらと長くなり、春と秋が短くなって行くような感覚だ・・・などと、人間は悠長なことを言っていられるが、魚はそうは行かない。温度上昇の影響は、恒温動物のヒトより変温動物の魚の方が5~7倍は大きいと言われ、ヒトはアラスカでも赤道直下でも生活するが、魚は生息できる温度帯が限られ、旬がずれて、全国で地魚が変調を来していると、同じ日の日経(迫真・荒波に向かう漁業)は書いた。
11月は旧暦そのままに「霜月」などと呼ばれるのは、大袈裟ではなく旧暦が一ヶ月ほど先行していた(すなわち新暦で言う12月頃だった)からで、他にも、(10月=「神無月」に出雲大社に出掛けて不在だった)日本各地の八百万の神々が戻って来る「神来月」「神帰月」(かみきづき)、神様に歌や舞を奉納する「神楽月」(かぐらづき)、「雪待月」(ゆきまちつき)などと呼ばれ、「霜月」も「しもつき」ではなく「そうげつ」と読んで、霜と月の光の情緒を表す呼び方もあるようだ。日本人は実に風雅な日本語で表現豊かに季節の変化や気候を語って来た。いつまでも日本人らしく悠長なことを言い続けたい(そして旬の魚を楽しみたい)ものだと心から思う。