風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

歴史は繰り返す(上)

2010-05-13 02:28:08 | 時事放談
 舌の根が乾かない内に、再び、政界談義・・・に見えるかも知れません。
 「首相のあまりにも軽い発言が、国民の政治に対する信頼を失わせることを憂慮している。一国の首相が、政策もよく分からないで国民を狼狽させるような発言を繰り返してしまう」「何か本質的な間違いというか、本質的な考え方がどうも違う。それが結果として表面的な失言につながっているのではないか」
 鳩山首相の軽はずみな言動、その言動がブレ続けるのを的確に批判したもののように見えますが、実はこれらはいずれも、一年半前、当時の麻生首相に向けられたもので、発言の主は、当時の民主党幹事長・鳩山さんだと言いますから、恐れ入ります。
 政治献金問題を巡っても、同じようなことがありました。「政治家は金銭に絡む疑惑事件が発生すると、しばしば『あれは秘書のやったこと』と嘯いて、自らの責任を逃れようとするが、とんでもない」「政治家と秘書は同罪」「秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべき」などと、自民党や社民党など、ライバル政党の政治家の秘書の不正が発覚するたびに、野党時代の鳩山さんは手厳しい批判を繰り返して来ました。「もし鳩山由紀夫の秘書が同じことを行っていたとすれば、すぐに国会議員のバッジを外す」とまで言い放っています。
国民の民主党政権への支持率低下は、政治とカネの問題に集約されるようですが、普天間基地移設問題も含めて、かつての政権与党に浴びせられた批判が、政権交代が実現した今の政権与党にも浴びせられるという、歴史は繰り返されることへの、やるせなさが根本にあります。所詮、政治家は自民党だろうが民主党だろうが、政権与党になれば皆同じ穴の狢だという、政治そのものへの不信が、人々の心の奥底に、深く、暗く、広がります。
 「軸がぶれる」という言葉に似て、ネガティブなイメージを持つ言葉に「朝令暮改」がありますが、非なるものです。「朝令暮改」と言えば、「朝に政令を下して夕方それを改めかえること。命令や方針がたえず改められてあてにならないこと。朝改暮変。」(広辞苑)とされ、経営者はしばしば「朝令暮改」をよしとするのは、前提条件や環境の変化に応じて方針や対応は変えても、背後にある基本的な考え方・理念や信念といった背骨の部分が変わるわけではないからです。これに対して、「軸がぶれる」と言う場合、自らの立場が変われば逆のことを言ったりやたりしても平気で、背骨の部分が全く定まらない印象です。立場ある人の「軸がぶれる」のは見っともないですし、「朝令暮改」と混同するべきではありませんね。
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政治の季節

2010-05-09 14:24:47 | 時事放談
 鳩山さんらしさが表れたエピソードがまた聞こえて来ました。5月15日に沖縄再訪の日程を組もうとして、沖縄県民から猛反発を食らったそうです。私ですらも、歴史的事実として記録されたと言うよりも経験として記憶しているこの日を、よりによって選んだ感性の低さ、あるいは異次元的なありようは、もはや天晴れと言うしかありませんね。肉離れでなかなか外出できない憂さ晴らしに、飛び込んできた鳩山さんの沖縄訪問のニュースをきっかけに、日頃の不満をつい累々と屍を積み重ねるように述べて来ましたが、5月末に設定されてかまびすしい政治の季節より一足先に、時事問題にこだわり続けた私の独り言は終わりにしたいと思います。
 最後に、今日の読売新聞に掲載された記事をもとに、普天間基地移設問題を考えてみたいと思います。その記事とは、「1969年に米軍偵察機「EC121」が日本海で北朝鮮の戦闘機に撃墜された事件の後、ニクソン米政権が朝鮮半島有事に幅広く対応するための対処方針を策定するとともに、撃墜事件への報復措置として北朝鮮の発電所や軍用空港を空爆する計画をまとめていたことが明らかになった」というものです。米国務省が4日に公表した69~72年の米韓外交に関する機密文書に関連文書が含まれていたもので、折りしも、韓国海軍哨戒艦「天安」の沈没が北朝鮮海軍の魚雷攻撃によるものではないかという疑惑で朝鮮半島に緊張が高まっている時期であり、タイミングが良過ぎますが、ただの偶然でしょう。それにしても時代が違うとは言え、当時の国際政治の緊張感が伝わって来ますし、今、明らかにされた事実とは言え、こうした対処能力こそが抑止力の基礎になるものだと、そして日本にはとても出来ない芸当だと、感心したのでした。
 その記事によると、当時のニクソン大統領は、二つのグループに対処方針を検討させています。一つは、キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官が議長を務めるワシントン特別行動グループ内の朝鮮作業部会で、想定される緊急事態を(1)米国に対する北朝鮮の深刻な敵対行為(2)同小規模な敵対行為(3)韓国に対する北朝鮮の深刻な敵対行為など、6通りに分類し、それぞれに対して、米政府が取るべき対応として、「上陸急襲の実行」「選択的な空爆」「海上封鎖」を検討したものです。もう一つは、国家安全保障会議(NSC)などに撃墜への報復措置を議論させたもので、(1)「空軍施設への空爆」(2)軍用空港や発電所一ヶ所への「限定的な空爆」の二つのシナリオを集中的に検討し、米中央情報局(CIA)が5発電所を爆撃対象として特定したと言います。空爆では空母のほか、グアムと日本へ返還する前の沖縄の戦闘機が参加するとされました。別の文書によると、国防長官が「東南アジアから兵、弾薬、装備を回さなければならない」と、ベトナム戦争への影響を心配する書簡をニクソン大統領に送付したことも明らかになり、また、NSCの議論で、大統領が「もしソ連が援助したら、別の種類の戦争になる」と慎重意見を述べていたことも明らかになったということでした。
 アメリカによる重要な意思決定、とりわけ軍事行動を含む意思決定が、どういった関係者を巻き込んでどういったプロセスを経るのか、原文の資料を読んでみたくなるような、興味深い記事でした。今の日本が同じような境遇に置かれても、そもそも軍事行動は検討オプションに成り得ないのですが、検討すらも出来ないようでは、国家としてどこか欠陥があるとしか思えません。そもそも北朝鮮のどこに軍用空港や発電所があるのか等の情報の集積も行われていないのではないかと疑問です(もちろん情報はあると思いたいですが)。
 こうして見ると、在日米軍基地はアメリカの国益に資するだけではないかという批判もあり得ます。
 かつてアメリカは、アジアにおける対ソ封じ込め戦略の一環として、当時の国務長官により所謂アチソン声明を出しました。1950年のことです。アジアにおけるアメリカの防衛ラインを、アリューシャン列島、日本列島、琉球、フィリピンを結ぶ線に設定するというもので、これによりアメリカは朝鮮半島を防衛ラインから外したと勘違いした金日成(当時首相)が朝鮮戦争を引き起こしたことでも悪評高い声明です。広大な太平洋を挟んでアジアにコミットするアメリカにとって、対ソだろうが対中だろうが、あるいはアフガニスタンのテロ対策だろうが、アチソン声明で謳われている防衛ラインは、現代においてもそれほど意義を失っているとは思えません。沖縄の地政学的な重要性はこうした文脈で理解されるべきでしょう。一方、東南アジア諸国の中に、とりわけ中国の拡張主義に対する米軍の存在意義を認める根強い意見があることから分かる通り、アジア太平洋地域において、アメリカの存在がバランス・オブ・パワーのバランサーになってることは否定しようのない事実です。江戸時代の鎖国政策に戻って内需振興だけでやって行くと言うなら別ですが、少なくともこれまで貿易立国として関係諸国、とりわけ中東産油国やアジア諸国の政治的安定を前提に経済的活路を求めて来た日本にとって、米軍の存在は重要だったと言うほかありません。
 勿論、現状を固定的に捉えるべきではなく、冷戦終結からテロとの戦いへ、またグローバリゼーション進展の中で国家間の経済的な結びつきが強まるといった、外部環境が変化していることへの対応はまだこれからで、現代はまさに過渡期にあります。日本の安全保障や国際平和協力はどうあるべきか、その時の自衛隊や日米安保はどうあるべきか、その大前提として日本の国益とは何かという議論を先ずは尽くすことだろうと思います。それ抜きに、県外や国外と言ったところで空しいだけです。
 その時に重要なことは、何を現状認識として出発点とするかということです。嘘か真か俄かに分かりませんが、ゆめゆめ「抑止力」に気が付かなかったなどと、一国の総理大臣が白状しては行けません。そして戦略の難しさは、戦略論の教科書でもお馴染み、ゼロから策定するのではなく、今ある戦略を転換する時の難しさにあります。民主党政権の危うさは、現状を正しく認識していないように見えるところと、戦略転換に配慮が見られないところから生じています。闇雲に自民党の政策と違うことを目指すのではなく、しっかり現状を踏まえた上で、一気に変えるのではなく、徐々に転換していくマイルストンを明示して欲しいと思います。
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全ては政局へ(下)経営

2010-05-08 15:57:59 | 時事放談
 万年野党だった民主党が政権を獲ってまだ一年にも満たないのに、世間が見る目は厳し過ぎるところがなきにしもあらずですが、どうしても、もう少しマシだったら・・・という思いを強くするのは致し方ありません。それは期待が大きかったことへの反動であり、また、鳩山さんをはじめとする民主党の運営が余りにもお粗末過ぎることへの失望の表れでもあります。
 民主党に欠けているものは、いろいろ挙げられるでしょうが、端的に「マネジメント(経営)」だろうと私は思います。人はいろいろなレベルで「マネジメント」を実践します。子供の頃から小遣い帳をつけ始め、やがて数千万円レベルの生命保険を購入したり家のローンを組み、家庭の主婦は家計を遣り繰りします。企業はともかくとして、市町村や都道府県などの地方自治体、そして国家にも「マネジメント」がなければ、夕張市やギリシャのように財政破綻寸前まで行ってしまいます(決して他人事ではありません)。マイク・タイソンはあれだけのファイト・マネーを稼ぎながら、何故、今は金がないのか? 日本の偉大なスポーツマンや成金の芸能人にもよく見られることですが、金を稼ぐことと、金持ちであることとは、同義ではありません。マイク・タイソンは“算盤”が出来なかったから、という小話があります。億の桁の金が動けば、当然、蟻が甘いものに集まるように、有象無象が言い寄って来ることでしょう、そうした中で自分の金を如何に守るかは容易なことではないでしょう。小泉改革が一時的にせよ国民に広く受容されたのは、少なくとも経営的な発想があったからだろうと思います。ところが鳩山政権には、残念ながらどこをどう引っくり返しても、なかなか経営のケの字も出て来ません。
 財政に限りません。国家には国境があり、領域を守る経済・外交・安全保障面でのマネジメントも必要です。
 たとえば先月の話ですが、竹島に、韓国はヘリポートを設置するなど不法占拠を続けていますが、それを30年振りに改修する動きが報じられています。9月に完成した暁には、重量25トンの軍用輸送ヘリが離発着でき、警察一個部隊(約40人)の緊急派遣が可能になり、韓国政府はこれを突発的な軍事衝突に迅速に対応する目的だと明確に伝えているにも係わらず、岡田外相は、こうした韓国の既成事実の積み重ねを牽制する積もりはさらさらないらしく、「不必要な摩擦を招かないため」などと遠慮して、日本政府が基本的な立場としている「韓国の不法占拠」という表現を国会答弁で使おうとしません。しかも竹島の北西1キロ地点という日本の領海内に、水深40メートルの海底から洋上に達する海洋科学基地の建設工事を9月から開始するため、既に国家予算(約25億円)が承認され、周辺海域で海底地質調査を始めており、政府関係者によるとこの基地は「韓国の排他的経済水域の確保と、竹島の主権強化を深める基盤にするため」と報じられているにも係わらず、です。
 先月は中国も、日本の反応を探るような露骨な威嚇行動をとりました。ミサイル駆逐艦など10隻を南西諸島から沖ノ鳥島近海にまで進出させたり、中国艦載ヘリを海上自衛隊護衛艦へ異常接近させ、こうした軍事威嚇に「慣れるべきだ」などと中国紙は勇ましく論評したそうですが、鳩山首相は警告する意図は毛頭ないらしい。
 湾岸戦争の時の米国統合参謀本部議長であり、後にブッシュ政権の国務長官を務めたコリン・パウエル氏は、「マネジメントはサイエンス」だと言いました。鳩山さんの「思い」だけは折に触れ熱弁され(余り心がこもっているようには見えませんが)、政治「哲学」としての「友愛」はなんとなく伝わって来ないわけではありませんが、今頃になって「抑止力」を言い出す始末では、一国の総理大臣として些か心許ない。確信犯だとすればなおのこと、自民党政権時代の日米合意を引っくり返してまで沖縄の人の「思い」を強調するのは結構ですが(それは誰も反対しません)、日本の国防と安全保障に対する自論をもとに、その「思い」を叶えることは可能なのか今となっては不可能なのか、論理的な裏づけを説明すべきだと思います。日米関係が多少ぎくしゃくするくらいは仕方ないにしても、日本の政治が信用を失うという意味で国益を毀損したのだとすれば、政権交代の代償は余りにも大きい。
 そもそも民主主義はポピュリズムに堕する危険を孕んでいます。とりわけ民主党には、自民党との違いを強調する余り、国民の不安や甘えに応えようとする大衆迎合的な要素が強い。消費税を上げないで、財政破綻を招かないで、どうやってばら撒き政策を続けられるのか、農家への戸別補償で果たして農業が強くなるのか、あるいは別のことを目指しているのか、もう少し明示すべきだと思います。ワタミの介護事業は、「出来ないから助ける」から「出来るように助ける」という「自立支援」の発想へと転換して運営されていると言いますが、国家経営も大いに参考にすべきだろうと思います。
 因みにパウエル氏は先ほどの発言に続けて「リーダーシップはアート」だとも言っています。まさかアートまで鳩山さんに期待しませんが、民主党には官僚や地方自治体の首長・議員を務めたことがある優秀な頭脳が集まっているはずで、自分の金勘定はすっとぼけても、国家経営(マネジメント)だけはしっかりして欲しいと切に願います。
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全ては政局へ(中)ピーターパン

2010-05-07 21:19:27 | 時事放談
 鳩山さんにはまた別の行動原理もあるように思います。
 例えば普天間基地移設問題で、鳩山さんが「県外を模索してきたが、余り遠いところに移設地を求めることは出来ない」と言うのは分かりますが、「辺野古の海を汚さない形での決着を模索していくことが重要だ」と短絡するところは、勿論、自然を守りたい気持ちは私だってやまやまですが、やや異質と言わざるを得ません。
 ピーターパン症候群という言葉があります。私が学生時代に流行った言葉ですが、Wikipediaによると以下の通り説明されています。
 「ピーターパン」は人間的に未熟でナルシズムに走る傾向を持っており、『自己中心的』・『無責任』・『反抗的』・『依存的』・『怒り易い』・『ずる賢い』というまさに子供同等の水準に意識が停滞してしまう大人を指す。ゆえにその人物の価値観は「大人」の見識が支配する世間一般の常識や法律を蔑ろにしてしまうこともあり、社会生活への適応は困難になり易く必然的に孤立してしまうことが多い。また「ピーターパン」は年齢的には大人の男性である「少年」で、母親に甘えている時や甘えたいと欲している時に、母性の必要を演じる傾向も持ち合わせている(所謂幼児回帰の要素も含んでいる)。
 なにも鳩山さんだけがそうだと言うつもりはありません。むしろ多かれ少なかれ日本人一般に当てはまることかも知れません。少なくとも敗戦後遺症に見舞われたままの我々は自省すれば思い当たるフシが必ずある。それが鳩山さんに典型的に現れているとは言えないでしょうか。
 因みにこうした症状に陥る条件として、近親者による過保護への依存、マザーコンプレックスの延長、幼少期に受けた苛めもしくは虐待による過度なストレス、社会的な束縛感・孤立感・劣等感からの逃避願望、等々が関係しているのではないかと言われますが、因果関係はあくまで推測の域を出ないようです。そして鳩山さんに関しては、これまでも主に右派の論説の中で、マザーコンプレックスを揶揄されたことがあり、それは半分は負け惜しみにしても、鳩山さんの言動に、ピーターパン的な自己中心性と無責任とを見出すのは難しくありません。
 以前(多分4月半ばだったと思いますが)、普天間基地移設問題が国民の一番の関心事になること自体がメディアが動き過ぎているからだと非難めいた発言をして、メディアから顰蹙を買いましたが、そもそもメディアを通して世間の耳目を集めようとしたのは鳩山さん本人ではなかったでしょうか。
 今回、鳩山さんは止むにやまれず「抑止力」という、ようやくまともな安全保障論議の用語を使いましたが、どこまで全体像を理解されているのか疑問です。そもそも自衛隊は、現在の憲法前文と九条のもとで、専守防衛、つまり領域内での個別防衛権に限定されている上、日米安保条約のもとで米軍を補完するだけの装備でしかないとも言われています。当然、攻撃力は持てない前提ですので、ある国が日本をミサイル攻撃するという最悪の事態に、米軍がいなければ、ミサイル発射地点を攻撃するだけの空対地ミサイルも艦対地ミサイルも持っていませんし、そもそも軍事衛星も持てないことになっていますので、正確な情報も米軍頼みにならざるを得ないのが現実です。対等な日米関係と呼んだのは鳩山さんでしたが、そのためには法整備し、何年もかけて装備を整えて(転換して)行かなければならず、防衛費が漸減する現状では、道のりは遥かに遠いと言わざるを得ません。そうした中で、在日米軍を後退させようとしていたのは、国際政治といった自分に都合の悪い現実には目を背けるピーターパン的な心性によるものと思えてなりません。
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全ては政局へ(上)バナナ共和国

2010-05-06 21:48:36 | 時事放談
 鳩山さん、ひいては民主党に対して感じる違和感、もっと言うなら、危うさは、根本的なアジェンダの違いにありそうです。政策の優先順位づけもそうですし、個々の政策における判断基準もそうです。昨年の衆議院選で、国民は少なくとも自民党のアジェンダにはっきりとNOを突きつけ、それとは異なるものを求めたのでしたが、政権を獲った民主党のそれが求めていたものだったかどうかと言うと、どうもそうではないらしいことに国民は気付き始めました。それが民主党において凋落するばかりの支持率に繋がっています。
 彼らにあっては、全てが政局、選挙対策に行き着くかのように見えてしまいます。いわば自民党に対するルサンチマン(怨念)に発し、野党時代には政権与党に対する反対のための反対を、そしていったん政権を獲得した後は、一転、政権を維持するための、なりふり構わぬ耳障りの良い「パンとサーカス」のバラ撒き政策を、と。
 自民党の支持基盤を露骨に切り崩し、自らの支持基盤を厚くもてなす小沢さんがその最たるものですが、民主党だけではなく、例えば、社民党・党首も、あれほど普天間基地の県内移設に反対し、連立政権離脱さえちらつかせながら、いざ全てを県外にということが難しいと分かると、県内移設に反対しつつも、当面はあくまで連立政権内にとどまる、との考えを示したようです。連立政権の中でいつまでたっても女子学生のような発言を繰り返していても(女子学生を貶めるつもりはありません、たまたま彼女が女性だから女子学生になっただけで、要は書生のような、という意味)、政治の世界における最低限の生存の掟だけは理解しているようです。つまり、連立三党はどんなに基本政策が異なろうとも、政権与党であることが接着剤になっているということで、それは、右から左まで様々な派閥を抱えながら、政権与党であるという一点で纏まっていた、かつての自民党を見ていれば分かります。
 今回、舛添さんが自民党を離れた時、誰も付いていく者がいなかったのもまた、舛添さんの人徳のせいと言うよりも、ひとえに舛添さん新党に、自民党と比べての影響力がなさそうなこと、言い換えると、自民党に残っていた方が政治家でいられる確率が高いという計算に尽きます。それは自民党XX県連とのコネであり、選挙の時に投票してくれた当時の支持者であり、所謂地盤というものです。政治家にとって、政治家でなくなることが一番怖いわけです。
 アメリカ政府関係者は、政争ばかりで統治能力がない政情不安な小国に対する卑称を使って、「日本は『バナナ共和国』だ。安全保障の交渉などできない」とぼやいているという話を聞きました。ルーピィは、日本の首相と言うより、バナナ共和国の元首!?
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沖縄

2010-05-05 10:41:13 | 時事放談
 昨日、鳩山首相は就任後初めて沖縄を訪問されました。遅きに失していると誰もが思っていることでしょう。政府案の詳細は明かされませんでしたが、衆議院選前に「最低でも県外」と大見得を切ったにも関わらず、「全てを県外にということは現実的に難しい」と、お詫びの行脚で、何をいまさらと誰もが思っていることでしょう。地元の人からは、アメリカに対して、住民と対話した体裁を整えて言い訳にしたいだけだと難じる厳しい声も挙がっています。
 圧巻とも言える鳩山さんらしさは、自らの認識不足を素直に曝け出したところでしょう。本当にこの方は素直過ぎますね(首相でなければ、人がいい、ちょっと変わったオヤジ、で愛されるでしょうに)。「(首相就任前は)海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」 まさかとは思いつつ、ここまで来たら正面突破するしかないだろうと思っていたら、期待通りの行動で、こぶしを振り上げる気にもなりません。首相就任前も、野党とは言えれっきとした政治家であったはずですが、一体、政治家としてどういう思いで「沖縄の人の思い」を口にしていたのか、やっぱりこの人の思いはただの思いつきなのかと、相変わらず常人には計り知れないものを感じます。
 もう一つ鳩山さんらしいと思ったのは、スーツ姿で沖縄入りしながら、仲井真県知事と会談する時には、シーサーの柄が入った黄色い「かりゆしウエア」に着替えて現れたところです。地元の服装に合せるのは、和やかな雰囲気を演出する、地元への友好の証と考えるのが常人の感覚で、今回のように地元に負担を求めるお詫び行脚では、スーツで通すだろうと思うのもまた常人の感覚です。ところがこの方ときたら・・・。黄色は「県内移設反対」の象徴であるとは知らなかったとしても、場の雰囲気への配慮のなさ加減、沖縄の人の思いに対する配慮のなさ加減もまた、常人には計り知れません。
 かれこれ二十年以上前に沖縄に遊びに行ったことがありますが、美しい海とともに、島を移動するバスの窓から、延々と基地が続くのを見せつけられ、それが島の三分の一をも占めると言われたのが、私にとって沖縄の原風景になっています。辻堂に住んでいた頃、厚木基地から発着する戦闘機の通り道になっていて、湾岸戦争の時に慌ただしく鳴り響く爆音はただごとではありませんでした。それが日常だとすれば、想像を絶します。沖縄は、私たち日本人が背負う業のようなもので、沖縄の人々の思い、などと軽々しく口にするべきではありませんでした(経済効果から基地を望む少数意見があることも含めて)。鳩山首相の発言の軽さは今更言うまでもありませんが、今回ばかりは、沖縄の人の気持ちをさんざん弄び、最後は踏みにじった、この軽さだけは罪ですらあり、政治家として致命的、良識あるオトナの発言として絶対に許されません。
 どうやら腹案などと大見得を切ったものの実態は、かつて自民党が検討した案の一つでしかなさそうです。沖縄・名護市辺野古の浅瀬にくい打ち桟橋方式で新たな滑走路を建設する案は、テロの危険性が高いためにアメリカ側から却下され、その工法が難しいため地元の建築業者では対応できず、地元に金が落ちないため、地元からも却下されて、自民党も諦めていたものです。鹿児島・徳之島にヘリコプター部隊の一部か訓練を移転させる案は、沖縄の海兵隊陸上部隊との距離が離れ過ぎているため、運用上、受け入れ難いと、これもまたアメリカ側から却下される可能性が高い。
 いよいよ追い詰められた鳩山さんの周辺からは、決着を先送りする案も浮上していると言いますが、鳩山さんのことですから、そこまで執着することはないでしょう。むしろ「公約とは、選挙での民主党の考え方。(「最低でも県外」は)党としての発言ではなく、私自身の党代表としての発言だ」と、党の公約ではないとの認識まで示したと言いますから、民主党政権を守るために、首相の座をあっさり投げ出すのではないでしょうか。またしても一年と続かないとなれば、民主党と言わず自民党と言わず、日本の政治が世界の恥さらしものになりかねませんが・・・これ以上の醜態を晒し続けるよりはマシでしょうね・・・。
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ルーピィ

2010-05-04 15:24:39 | 時事放談
 旧聞に属しますが、やはり一言、言っておきたい。
 鳩山首相のことを“Loopy”とからかったワシントンポスト紙のコラム(4月14日付)が話題になったので、わざわざ同紙にアカウント登録して読んでみたのですが、社説でもなんでもない、Al Kamen氏の個人的コラムでした。しかも、核サミットを振り返って、各国首脳の中で誰が勝ったか(Who’s first)を論じるところからして低俗ゴシップ的で、タイトルは“Among leaders at summit, Hu's first”と、Hu Jintao(胡錦濤国家主席)が一番であることをもじったところ(昔のコントに引っ掛けて)はまだしも、ちょっと原文を読み進めれば、「一国の首相に対して非礼だ」などと駐米大使や官房長官が目くじらをたてるようなレベルのものではないことは明らかでした。
 それにしても“increasingly loopy”という形容は、複数のオバマ政権高官の意見として紹介されていますが、その言葉の意味自体は明確ではありません。それに続く文章で、普天間基地移設問題では全くアテにならない(unreliability)とオバマ政権高官を落胆させていると述べていることから類推すると、その小馬鹿にしたような間抜けな語感とともに、いったん決められたことを蒸し返してなかなか前に進めない(ループ=輪に入って抜け出せない)、そしてそれは普天間基地移設問題に限らず日米同盟そのものについてもそうかも知れないから尚のこと、混迷感やら苛立ちが見て取れます。同コラム締め括りに、核サミットで鳩山首相を相手にしたのは胡錦濤国家主席だけだったと皮肉るわけですが、原文では、鳩山に「愛」を分け与えたのは胡錦濤国家主席だけだった(Meanwhile, who did give Hatoyama some love at the nuclear summit? Hu did.)と、「友愛」を知っていればこそニヤッとさせるところなど、このコラムのことを低俗ゴシップ的とは呼びましたが、低俗でも何でもない、事情通が喜びそうなネタをあちこちに潜ませた、手の込んだ裏コラムだと言えそうです。
 日本人の悪い癖で、Loopy=愚かな(foolish)、気が狂った(crazy)と辞書に記載されている通りに当てはめたがるばかりに、騒動を大きくしたところがあります。しかも、よりによって真意はそのどちらかと、本人にメールで問い合わせた大学教授がいたと言いますから、ちょっと驚かされます。そのことを引用しつつ、“Loopy”の意味を解説する悪乗りコラム第二弾がワシントンポスト紙に掲載されました(4月28日付)。今度のタイトルは、“'Loopy' takes Japan by storm“と、”Loopy“という言葉が日本でちょっとした反響を呼んだことが、こうした裏コラムニストにとってはまたとない反応で嬉しくて小躍りしている様子が看て取れます。
 先ずは、首相側近から「非礼」呼ばわりされて終わるのが普通なのに、そうはならず、首相自らが「確かに、ワシントンポストのいわれるように、私は愚かな総理かもしれません。」と認めて、同僚の国会議員を“卒倒させた(stunned)”と皮肉ります(首相の意図はご存知の通り別のところにありましたが、それは措いて置きます)。そしてインターネット世論調査で、首相が酷評されたことに対して、なんと85%がその通りだと答えたこと、“Loopy”TシャツまでAmazonで売りに出されていることを意気揚々と引用しつつ、コラム後半で、件の教授へ返信する形で、“Loopy”の真意を解説する、その仕方がまた振るっています。Foolishもcrazyも、ともに意味を捉えていないと断りつつ、半径10m以内にいる同僚と協議した結果、どこか奇妙に現実離れしていることを意味するということでコンセンサスに至った、などと、もって回った言い方をして、言わずもがなの妙を敢えて白黒問い質そうとする愚を皮肉ります。
 これに対する大学教授のコメントがスポーツ報知に掲載されていて、再度、驚かされました。時事英語・俗語の真面目な研究者である同教授は、「この新しい解釈を辞書に取り入れ、原稿を書き下ろしてみたい。」と話した上、「コラムニストは言葉に敏感な方だと思います。言葉とは常に揺れ動くものであり、改めて難しいものだと思いました。」と殊勝に答え、このスポーツ報知の記事は、教授がコラムニストに対し好意的だと締め括っていますが、俄かに信じがたい。一部で囁かれている思いつきが真面目な研究の対象として辞書に載りかねないことを知ったら、あのコラムニストは卒倒して喜びそうですね。首相もさることながら、ジョークが通じにくい日本こそ“Loopy”と言えるかも。
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肉離れ

2010-05-03 12:17:57 | スポーツ・芸能好き
 肉離れなどというケガは、スポーツ選手が負うものだとばかり思っていました。少なくとも普通の生活をしている限り、どちらかと言うと、駅まで毎朝20分弱を早歩きし、エスカレーターの昇降でも右側の列を歩くほどのセッカチで、否、運動不足を意識するタチで、たまにゴルフに行って、砲台グリーンを駆け登る程度の運動では、全く縁がないものと油断していました。
 先週の金曜日、週日でありながら会社は公休であることを利用して、一年ぶりのゴルフに出かけました。前回は昨年4月にシドニーで、前々回は一昨年4月にペナンで(ペナン滞在中は年数回やりましたが)、といった具合に、諸般の事情により年一ゴルファーですが、木々の緑が萌える季節になると、血が騒ぎます(ちょっと大袈裟)。
 高速道路を降りて一般道に出てから迷ったため、とるものもとりあえずティーオフに駆けつけ、ストレッチもそこそこに、一年ぶりに握るクラブを恐る恐る振って、前半は散々の結果でした。後半になって身体もほぐれ、ようやくスコアがまとまり始めたところで、油断があったのかも知れません。15番、打ち下ろしのショート・ホールを迎えます。得意の7番アイアンで砲台グリーンを外し、崖下から二打目をピッチングでピン手前1mに寄せて、意気揚々とグリーン上に登るはずでした。軽快に駆け上がろうとした瞬間、ブチッと筋肉が切れたような鈍い音が聞こえたような気がして、右足ふくらはぎに痛みが走り、思わずしゃがみ込んで患部を圧迫しつつ、痛みに堪えなければならなくなりました。足がツルのとは違って、時間がたっても良くなる兆しはなく、最後は、足を引き摺ったまま、パー・パットを入れたところで、リタイア。
 クラブハウスで応急用に湿布を貰ったのですが、痛みが走ってまともに歩けません。帰宅後、夜8時まで受け付けている近所のクリニックを見つけたので診てもらったところ、湿布をした上に包帯を固めに巻いて、暫く安静にすること、ふくらはぎの筋肉に負担をかけないように膝を曲げ踵は伸ばしたままの状態にすること、うっ血を避けて足を心臓よりも高い位置に置くこと、もし翌日も症状が変わらなければ松葉杖を備えるような病院に行って診てもらった方が良いと言われました。
 翌日、ちょっと楽になり、膝を曲げて爪先立ちで歩けるようになったので、連休を良いことに、自宅療養に努めることにしました。さらに昨日・今日と、徐々にではありますが、快方に向かっているのを感じます。もともと子供たちの学校の都合で大型連休とはなり得ず、何も予定を入れていなかったのですが、寝正月ならぬ寝黄金週間になってしまいました。
 Webで調べてみると、いつもの道を歩いていても、坂を登る時、段差のあるところを駆け上がったり、下ったりするだけでも、靴底が硬いとか、筋肉が衰えているとか、そのときの状況次第では起こりうる、とあります。激しい痛みがある場合と、痛みをあまり感じない場合もあり、後者でそのまま放っておいたりすると悪化することもあるので、気をつけなくてはならない、とあります。一度すると癖になることもあるようなので、きちんと治療しないといけない、とも。
 これまで何度か足がつったことはありましたが、それは、筋肉が収縮した状態でそのまま固まってしまった状態(所謂こむら返り)であり、肉離れはそれとは逆で、筋肉の収縮時ではなく、関節が伸び過ぎるのを抑えるため、筋肉が引き伸ばされつつ収縮しようとする時に起こり、瞬間的に筋肉の繊維や膜が伸ばされて断裂が生じた状態を言うようです。それにしても・・・春の陽気に誘われて、フェアウェイを走り回ったりもしましたが・・・一緒にラウンドしたかつての上司からは、いつまでも若い気でいても身体はついて行かないものだからと冗談半ばに諭され、日ごろの運動不足に加えて、年齢的に筋肉が衰えているという厳しい現実を突きつけられたようで、アスリートの端くれだと密かに自認していただけに、寂しいものがあります。
 木曜日から始まる通勤のことを想像すると、ちょっと心が寒々としてきます。駅にエスカレーターやエレベータはあるものの、電車の中で立ち続けること、揺れに耐えることですら、今の自分のふくらはぎが置かれている状態と比較すると、相当の負担がかかることが分かります。健常者であれば気がつかないようなことが見えてくる・・・これは間違いなく、老いに向かう私に神様が与えてくれた警告であり試練なのかも!?
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上海万博

2010-05-02 20:28:42 | 時事放談
 中国が、北京オリンピックに引き続き、国家の威信をかけて「改革開放三十余年の成功を示す」(胡錦濤国家主席)政治イベント、上海万博が開幕しました。参加国・地域・国際機関は246にのぼり、来場者は半年間で7千万人と予想されるなど、万博史上最大規模を誇ります。
 思い起こせば40年前、大阪万博が開かれた1970年の2年前に、日本はGDPでドイツを抜いて世界第二位に躍り出ました。そんな優越感のカケラもなく、ただ、世界の国からこんにちは・・・と、世界中から人々を招待できる緊張感と晴れがましさに日本中が沸いていたことを思い出します。当時、大阪に住んでいた私は、半年間の会期中に会場を4度訪れ、アメリカ館の名物「月の石」も確かに見ましたが、宇宙は遠過ぎたのか、宇宙への夢よりも、「すばらしい世界旅行」という30分番組と相俟って、アジアやアフリカといった異国への夢を大いにかきたてられたものでした。外国料理のレストランが街にお目見えし始めたのもこの頃からでした。
 同じように中国は今年、GDPで日本を抜いて世界第二位に躍り出ようとしています。まさに時代の流れを感じさせます。しかし当時とは違う時代相あるいは国民性を、始まる前から数々の話題の形で提供してくれました。PR曲のメロディーが、岡本真夜さんのヒット曲「そのままの君でいて」にそっくりだと指摘されたのをはじめ、公式マスコット「海宝」のデザインも、1950年代にアメリカで発売されたキャラクター「ガンビー」に似ていると指摘され、更に国家パビリオン「中国館」の外観デザインも、1992年のセビリア万博の「日本館」など、安藤忠雄さんが手がけた作品に似ていると指摘されました。またか・・・と呆れた方も多かったことでしょう。
 この「中国館」設計者の反論が振るっています。「中国館のスタイルは建築デザインの世界で広く使われているもの。安藤氏が創造したものではない。」 別の設計士に至っては「ともに伝統的な中国の建築技法から影響を受けている。盗作というのならば、最初にコピーしたのは日本の方だ。」などと、悪いのは安藤氏と言わんばかりの強弁です。面子を守りたい一心か、はたまた中華思想の根本にそうした奢りが潜んでいるのか、いずれにしてもこうした論評が平気でマスコミに出てしまうところが、相変わらず想像を絶する異形と言えます。
 また、アフリカの43の国と国際機関が共同出展するアフリカ館において販売される各国の名産品は、デザインはアフリカながら、製造はすべて中国なのだと言います。世界の工場、おそるべし。しかし・・・
 中国では「蟻族」という若者が、大都市郊外の農村部に溢れていることが、しばしば話題になります。かつて日本でも、大学は出たけれど、と言われた時代がありましたが、それは不景気な年のことでした。中国では、2000年以降、大学進学枠が増えて大学進学者が増えた割りに、ホワイトカラーの職が増えず、低賃金やアルバイトに身をやつす大卒の若者が増えていることが社会問題化しています。中国という国が、工場労働者のブルーカラーの国から抜け出ていない証と見る向きもあります。一方で自信喪失の日本が出展する日本館は、中国の若者にはハイテクを見たいと人気があるようです。良くも悪くも、今の中国の諸相を映し出して興味深いイベントです。
 さて中国の若者は、万博を見ながら、どんな夢をかきたてられているでしょうか。
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時差ぼけ

2010-05-01 10:45:05 | 永遠の旅人
 時差があるところへの旅では、時差ぼけ(英語でJet Lag)に悩まされるのが憂鬱です。
 東回りの移動では時差ぼけがひどく、西回りでは軽いと一般に言われるのは、東回りは地球の回転の先回りをして一日が短くなる(ヒトは早寝が得意ではない)一方、西回りは一日が長くなる(夜更かしは得意)せいだと説明されます。もし12時間のフライトで12時間の時差がある場所への移動があるとすれば、原理的に往復では差がないことになります。アメリカや欧州のように地球の反対側に旅する場合は、往復いずれにしても(多少の差はあれ)辛いものがあります。
 若い頃にはアメリカに2~3週間、更には1ヶ月位の出張を言いつけられることが多く、その場合には、覚悟を決めて、飛行機に乗った途端、腕時計の針を滞在先の時間に合わせ、気持ちも切り替えたものでした。そのために、敢えて出張前に夜更かしを続けて身体を疲れさせ、機内ですぐに眠りにつくというようなテクニックも使いました。今にして思えば若いからこそ出来た芸当だと思います。今では、不景気と言わず、出張日程を長く組むような悠長なご時世ではありませんし、仕事の性格も変わりましたし、年齢とともに柔軟性も衰えてきましたので、現地の時間に合わせる方が却って面倒で、覚悟を決めて、日本の時間帯を意識しながら、つまり日本の生活リズムを狂わせられているという意識をもち続けながら滞在するようになりました。
 今回の出張で、ダラスやシカゴでそうした話題になると、アメリカ人はごく当たり前にそう考えていることを知りました。そもそも彼らは生活第一であって、仕事の都合で生活のリズムを狂わせられることを酷く嫌う。それに合理的な彼らは、遠いところへ出張する折角の機会だからと、長めの日程を組んだり、必要な仕事プラスアルファのことも行動計画に入れるなどというような余計なことは考えない・・・彼らから聞いたわけではありませんが、概ねそんなところだろうと思います。必要な仕事が終わったら、さっさと出張を切り上げる。それは彼らのJob Descriptionが明確で、書かれていないことはする必要がないという発想に繋がっています。私自身は、むしろ日本のように、明確に定義されていなくても、互いの業務が重なり合って互いに助け合うというような曖昧さをもつ方が組織としては良いと思いますが、それは考え方の違いなので如何ともし難い。
 そうすると、時差ぼけと一言で曖昧に称しますが、何が辛いかと言うと、睡眠もさることながら、胃腸の方が辛くなります。尾籠な話で恐縮すが、私のように快食快便の習慣がある場合は、夕食の頃になると我慢がならなくなってくるわけです。アメリカでは、軽いディナーでさっさと切り上げられるので助かりますが、フランス人と長いディナーを取るような場合には、いったんホテルに戻って支度を整える必要があります。逆に言うと、遠くから来たお客様には、場合によっては、仕事が終わった後、いったんホテルに引き揚げてもらって、夕食時に再度ピック・アップするというような配慮が必要ですね。
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