先日、仕事で行った研修で、「キャラバン隊 講演会」に参加しました。
キャラバン隊、というと、「普及、啓発」を目的とした活動をしている団体の名称となっていることが多いようです。
私が行ったのは、発達障害についてのキャラバン隊です。
主に自閉症などの障害を持つ子供を育てている母たちが、ボランティアで活動しています。
1時間の講演、ほんとに濃い内容で勉強になりました。
特に、「体験してみよう」のコーナーが面白かった
「不器用な手先」を体験するため、軍手を指先を余らせてはめ、折り紙で鶴を折る、とか。
しかも、ただでさえイライラするのに、時間を制限され、ずっとスタッフの人に声を掛けられ続ける。
「はい。頑張って頑張ってー。丁寧に!!角をちゃんとそろえてよ。時間ないよー
」ってな具合に。
一生懸命集中しようと思ってるのに、やたらとせかされたり、頑張れと言われつづけ・・・。
集中できずに余計作業は遅くなってしまい、精神的にも疲れるんだってことが、わかりました。
「今やってるとこだから、ちょっと黙ってて!」って思わず言いたくなる無駄な声掛け。
私もみゆみゆにやってるかも
あと、面白かったのが。
「理解の出来ない言葉で話し掛けられる」体験。
司会者が「ケロケロ王国の人
」
という仮定のもと、何も聞かされていない参加者1名が、ケロケロ語で指示される、というもの。
椅子を前にし、
「ケロケーロ!ケロケロ?ケロケロケロケロ
」と急に笑顔で話し出す司会者。
とりあえずわけわからんながらも「ケロケーロ!」と返す参加者(こうやって返せるのは立派!)。
何やら椅子を指差して言われてるので、参加者が笑顔でうなずきながら椅子に座ったら。
「ケロケロッ!ケロケロ!
」
怒ってる
カエル語で激怒する司会者に対し、椅子から飛びのき反射的に謝る参加者。
次に、また気を取り直して、「だーかーらー」といったふうに
「ケーロ。ケロケロ。ケロケロケーロケロ。」と諭すように話す司会者。
参加者、思い付いたように、今度は椅子を畳もうとすると。
「ケロケロ
ケロケーロ!ケロケロッ。
」
さっきより興奮気味に怒っている…。
なんかめちゃめちゃ怒られてるけど、どうしていいかわからず不安いっぱいになる、参加者。
そこへ「ケロケーロ」とやってきた第三者。
手にボードを持っている。
見るとそこには、椅子を机の中に片付ける絵が描いてある。
なるほど、とやっとわかった参加者。
きちんと椅子を片付け、めでたく「ケロケロ
」と褒められました。
なるほど、言葉や理解に遅れのある子の感覚はこんな感じなのね。納得。
お互い一生懸命なのに伝わらないもどかしさ。
よかれと思ってやったことを頭ごなしに叱られる悲しさ、情けなさ。
そして、これを繰り返すことにより失われていく「自己肯定感」。
10言うより、絵カードなどの視覚支援がいかに有効であるか…。
まとめて言ってしまうと、「その子にあった個別支援」ということになるのだけど。
体験してみることで、楽しく勉強でき、身を持って理解できました。
にしても、「ケロケロ王国の人
」最高でした。
面白すぎる。
予断ですが。
あまり面白かったので、早速職場と家で再現。
家では、こんなことがありました。
「ドーナツもう一個食べたい
」とだだをこねたみゆみゆ。
いつものようにガミガミ叱ったら逆ギレされ「もう知らないから!おかーちゃんなんて嫌い
」と半泣きでトイレにこもられました。
こういうとき、普段はお互い譲らず長引くのですが。
この日、一人ケロケロブームだった私は、しばらくしてすねながら出てきたみゆみゆに。
「ケロケロ」と話し掛けてみた(!)。
そのまま不思議そうな顔をしながら抱きついてきたみゆみゆに、
「あのね、ドーナツは一個の約束だったでしょ。なのに約束破ろうとして、しかもワーワー泣かれて、お母さんほんとに悲しかったよ。」
という意味のことを、声を落として誠心誠意、ケロケロ語で伝えてみた。
「ケロケロ、ケロケロケロ。ケーロ。…。」てな感じ。(本人は真剣
)
ひとしきり話したあと。
みゆみゆがとても自然に、「ごめんなさい。」と言ってくれました。
日本語で。
これは、研修の逆バージョンですね。
言葉をぶつけ合って傷つけあうより、
言葉が通じなくても誠実に気持ちを伝えようと努力することのほうが、お互いを分かりあえることもあるということ。
みゆみゆが教えてくれました
というか、周りから見たらどんなだろ。
「ケロケロ」言いながらしっかと抱き合う母娘
コント以外の何モノでもないですね。