居住地交流について、重い腰を上げ、動き始めました。
(あ、この記事長いです。)
そうちゃんは、昨年度、2学期に1回、3学期に1回の計2回、地元小学校へ行きました。これを「居住地交流」と呼びます。
体育・音楽・給食の交流を実施しましたが、そうちゃんにとってはわからないことの連続だったようで。
体育は2回とも校外へ脱走され、音楽はひたすら他の子に話しかけたりウロウロ歩き回ったり。
唯一落ち着いて参加できたのが、給食の時間でした。
元々小学校の特別支援学級にいたころから、交流は「朝の会」と「給食」が中心でした。
そうちゃんにとって、言葉の指示が多かったり集団で動いたりする時間よりは、「食べる」という基本的な動作である給食の時間が、もっともわかりやすく安心できる時間だったからです。
2年生まで地元小学校に在籍し、他の子供たちもそうちゃんを知っていてくれているので、今年度も「居住地交流」に行きたい。
特別支援学校の規定では、「原則年間3回の交流とする」とあったけど、それでは少なすぎる。
そうちゃんは重度の自閉症で、繰り返し経験することで不安が減りその場を理解することができる子なので。
できれば月1回、それが無理でも学期にせめて2~3回給食を食べに行かせてもらうと、そうちゃんも、受け入れ側の先生や子ども達も、お互い慣れて意味のある交流が持てるだろう。
学校間や先生同士の日程調整や交流計画の作成などが大変なら、私が小学校に出向いてそこをやってもいいし。
そもそも昨年度の交流も、私がついていってそうちゃんを追いかけただけで、支援学校の先生は一度も来なかったし。
地元小学校の校長先生に去年「ほんとは毎月給食食べに来たいです。」と話した時は、「小学校としては一向に構いませんよ。」とウェルカムな感じだった。
本人にとって安心で、親が望んでいて、受け入れ先が良ければいいでしょ?
そんな風に考えた私は甘かったらしい。
結論から言えば、支援学校・地元小学校の双方から難色を示されました。
地元小学校は、はじめの電話では大丈夫そうだったのに、1時間半後にかかってきた電話では「受け入れ予定のクラスの教員が若い先生ばかりで、そうちゃんと接したこともありませんし、何かあるといけませんから1学期は1回ということで・・・」とえらく後退した内容のお返事。
慎重に話し合った結果、とも言えるし、県(特別支援学校)の方針に従うことにした、とも取れる。
若い先生なら、なおさら回数重ねた方が経験になるのでは?と思ったので、
「給食だけでも、若い先生だと難しいということですか?親がついてても?」と突っ込んだら、
「ええ・・・そうですね・・・。何かあってもいけませんし・・・。」とぼそぼそ。こういうのを「奥歯に物が挟まったよう」というのだろう。最初に電話で話した時は「○○先生」だったのに、2回目の電話では「立場先生」になった感じ。
支援学校の先生の対応はもっとはっきりしていて。
「年3回、というのは当校の決まりです。一人だけ特例を、というのは非常に困難です。」
「月に一度でも休まれるのは、カリキュラム上困ります。」
「お母さんが直接小学校と話されるのは困ります。うちの学校のお子さんなので、あくまでうちの学校の管理で進めさせていただきます。」
という調子。
私としては、月に一度と言っても結局は行事や長期休暇の関係で年間7~8回になるだろうし、病院受診や病気で休むことも考えれば、年間7~8回休んだところで失う「特別支援学校の授業」よりは、地元小学校での交流に行くことの意義の方が高いと考えています、と話しました。
そもそも休むんじゃなくて中抜けだし。児童精神科受診や児相の検査時の「いってきまーす」という早退となんら変わらず、それも回数重ねれば本人は慣れると思う。
それよりも、周りの「普通の子」に、そうちゃんを見てもらい、感じてもらうことが大事。それが、将来の地域づくりにつながっていくと信じてるから。
先生は、「居住地交流以外の地域交流を考えていただけませんかね?」と言われたけど。
そうちゃんはこだわりが強く、過敏性も衝動性も高い自閉っ子なので、「運動会などの行事での交流」や「地元子供会のお祭りに参加」などというイレギュラーで刺激の強い交流はできない。混乱してパニックになったら今は連れ帰るのも無理。そんな冒険はできません。
わかりやすく慣れたところで実施する、「給食のみの交流」くらいしかできないから言ってるのです。
とか。
いろいろ訴えたけど、平行線で。
ついには「そんなに地元のつながりを大事にしたいなら、籍をこちらにうつさなきゃよかったのに。」と言われました。
「支援学校に転籍される時に、十分に話し合ってれば、こんな宙ぶらりんなことにならなかったのに。今はそうちゃんはうちの学校の子だから、当校のカリキュラムや規則がありますので。」
ああ、ばっさり、だ。
この時、悲しみの涙がついにあふれてしまいました

地元で専門的な教育を受けられるなら、そうしてるよ。
ほんとはせめて3年生までは通いたかったけど、いろんな事情で無理だったから、2年の途中でリタイアしてそっちの学校に行ったんじゃん。
誰が好き好んで、手元に置いておきたい(弱さのある、だからこそ大事な)小さな子供を45分もバスに乗せて遠くにやるのさ。
個人ではなんともならない事情の中、苦しんで考え抜いて、もちろん支援学校の校長にも相談して、最終的には納得して決めたんだよ。今ある現実の中での、苦渋の選択だよ。
そうちゃんは確かに今は「特別支援学校の子」だけど、同時に私の住んでいる「市の子」でもあるわけで、歩いて5分の学校に行くのに待ったがかかるのは納得ができない。
文科省は「共に生き、共に学ぶ」ために「居住地交流を推進する」と言っているのに、全く逆の方向に排除された気がして、悲しみが止まりませんでした。
ああ、うちの子は「よその子」になっちゃったのか。と。
他の地域ではもっと頻回に交流しているところもあるし、地元小学校のご厚意で毎週月曜日地元小に通っている子どももいると聞いたことがあります。(近隣市町村です)
大阪では、修学旅行や宿泊研修などに行かせてもらえるところもあるとか。(しかも支援学校の先生が付き添って)
横浜などの先進的な自治体では、「副籍」を地元小学校に置く制度があり、地元小も「うちの子」として接してくれ、一緒に話し合いにも参加してくれるそうです。ま、他地域のこと言っても仕方ないけど。
久々に現れた大きなハードルを前に、たくさん泣いて。
しんどいよぉ、と嘆き迷いながらも。
はい、涙のあとは前を向いて。
年間回数を増やすことを最終目標とするよりは、「こんな気持ちの親もいる。その理由はこうだ。」とまずは訴えることから頑張ろうと思う。
言わなきゃ伝わらないし、伝えなきゃその意見はなかったことになるもんね。
今朝は県の総合教育センターにさっそく電話し、年間3回は県の標準なのかどうか尋ねました。
「年間3回、というのは愛知県として目安にあげてはいない。回数は学校で決めるというよりはその子その子に応じて話し合って決めるもの。県内でももう少したくさん交流している例は他にあります。」と回答をもらいました。
ついでに県の教育委員会特別支援課にも、メールで同様の内容を問合せ中。
夫は、地元小学校に電話して、真意(受け入れ側の事情)を聞くべく、校長・教頭に面接予約を取ってきました。
来週くらいに、夫婦で特別支援学校に「年3回」の根拠を聞きに行き、そうちゃんのことも話し合ってくるつもり。
決してけんかを売りに行くわけではなく、話し合い、ね。
ああ、パワーがいる。
そこまでするべきか、迷う自分もいる。
別に誰に頼まれたのでもなし、余計な気苦労せずあきらめるっていう選択肢だってある。
でも、一度やるだけやってみよ。
前例を作ることをそんなにも嫌がるのなら、前例を作ることで喜んでくれる未来の親子もいるかもしれませんし。
ダメでも去年と同じってだけだ。
一石を投じることにはなるだろう、たぶん。
きっと。
この長い文章を最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。