物部の森

日常感じたこと、趣味のこと、仕事のこと・・・等々
日記風に書いてます。

【書籍】優雅の条件

2010年04月22日 | Weblog
 『優雅の条件』(加藤和彦著、ワニブックス新書)を読む。

 優雅な文章がいっぱいあった。

<以下抜粋>

・何もしないということは、何もすることがないのとはちがう。することがあるのになまけてしないのとはもっとちがう。意志をもって何もしないのである。

・自分のプロフェッションとちがうことをたくさん知識として身に付けているからこそ、人間としての立体感が出てくるのである。

・諸君はレストランなどで食事をした後に、どこで時を過ごすのが一番楽しいか知っているかな。本屋でブラーッと時を過ごすというのがぼくは気に入っている。外国ではちょっときどった本屋は夜11時くらいまで開いているのでアフター・ディナーの格好の遊び場となっている。

・日本人はまだ自分の街をあまりうまく使いこなしていないと思う。自分の部屋や家を使うのと同じように街を使いこなしたいものだ。カフェも自宅の居間となるし、公園は庭となるし、本屋は書斎となるし、道はローカでありレストランは食堂なのである。

・バーというと、酒を飲む、酒を飲むから夜のものという単純発想の人にはこのバーの良さは一生分かりっこない。自分自身のための時間にバーを使うのである。それの友として酒があるに過ぎない。

・ホテルの部屋というものは気に入らなかったら、その旨伝えて変わるべきで一方的に向こうの言うことを聞くことはない。だいたい外国においては妻の要求を満たすように行動する男達はとてもすてきに見える。男にとって旅行とはほとんど妻のアテンドの旅みたいなものと心すべし。

・ヴァカンスに当たる日本語がないということにフト気づいた。休暇、という響きは何やら休みっぽいし、夏休みというのは最も正反対であると思う。ヴァカンスは休みではないのである。働くという観点から見ると休みであるかもしれないが、人生という観点から見るとむしろ仕事である。「休むという仕事」。

・70年代といえば、多分一番格好の悪い時代であるようにとらえられているが、この格好の悪さこそが次の何かを生み出す原動力ではあるまいか。

<以上、抜粋終わり>

 うん、やはり優雅である。
 こうやって生前のエッセイを読むと、この人はつくづく似つかわしくない死に方をしたものだと思ってしまう。
コメント (4)
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