心技体と言うけれど眞にそうであると思える。
精神と技量それを支える身体 それらの高次融合があってこそのアスリートの
世界であろう。
アスリートの極限の世界のみならず 一般の生活人においても心技体は疎かには出来ない。ささやかな日常動作にも黄金比の素晴らしさは大きな活力となるものである。凛々しくそびえる大樹のみならず 地衣類の世界にも黄金比は息づいている。
『神義体』という言葉が閃いた。『神』は自然神そして自然量子源流である。
『義』は理に適い行うべき道であり 『体』は私たち『人』である。
この閃きの源泉を生涯大切にしたいものである。
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神業というが まさに『神義体』の極致である。大自然から学びに学んでその極みを更に選りすぐり 神業を当たり前に頻発する吾らが地球でありたいものである。