互いに『神』を観る。
大自然神はあらゆる視座観座を与え給うた。それを裏打ちするのが自然クライン環連座である。 それらが既に与えられているのであるから 『人』がその気にさえなればあり......
大自然神はあらゆる視座観座を与え給うた。
それを裏打ちするのが自然クライン環連座である。
それらが既に与えられているのであるから 『人』がその気にさえなれば
ありとあらゆる個々が自由意志で存在し 廻り巡って『無であり同時に無限量』の宇宙から発動&効果せしめられている様が観えて来るだろう。
『人』が原初自己に向かえば それは即ち『神』であるから 対峙すれば対峙するほどその全身全霊に『光』を宿す。平面知の偽たる反射光ではなく自己内奥の眞の『光』で輝きわたるのだ。
それある故に 『人』が真摯に向き合い輝き合う時 お互いの立ち姿に『神』を観るのである。
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ちょうど 本物の『神』と偽物の「神」についてさまざまな閃きが降りて来ていた。やはり『自然クライン環連座』が必須だと思い至った時 一年前の記事が飛び込んで来た。眞實はリニア平面認識の中には無い。意識平面に蜷局(とぐろ)を巻くのは悪魔である。平面を脱却し立体意識へと生まれ変わろう。それは『自然クライン環連座』を自覚すれば すぐにでも誰にでも『光』は観えて来る。