洗心 senshin

2022,07,01.autopageからgoo blogへと移行しました。

一年前の記事。

2024-02-01 19:54:35 | つぶやき

一年前の記事。

 次第にすべてが『今』に集約して来ている。過去概念に取り込まれた所謂、人の一生というものが如何に薄っぺらな投影であったかそれらの価値線が悉く崩壊し時空の.........

すべてが

『今』に集約して来ている。


過去概念に取り込まれた

所謂、人の一生というものが

如何に薄っぺらな投影であったか


それらの価値線が悉く崩壊し

時空の縛りも解けている。


球体地球も

想像宇宙も

規定された日常さえも

これまでの縛りを大っぴらに

反転するだろう。


次第に

私たちは時空間というものが

過去や未来さえもが


『今』の深奥から

繰り出されたものであることを

互いに共感するようになるだろう。 

… … … … …

(一年後の感想) 
つまらない記事を書いたなと赤面することも多いが 時には改めて思惟思考の
大切さを知らしめられることもある。
自然量子ネットワークを極めよ。

(二年後の感想)
確かに 説得力に欠ける文章面である。
やはり 書く以上はたとえ稚拙でもクライン環を唸らせる振動数帯に居て言葉と格闘したいものである。理想は格闘ではなく共鳴共振の『舞い』である。


一年前の記事。「霊現両世界を味わい尽くす。」

2024-02-01 19:41:24 | つぶやき

霊現両世界を味わい尽くす。

何を最優先に位置付けるか?それでこの世のあらかたの価値が決まるようである。 物質界が全てであり霊質次元が無いという見立てであれば 産まれる前と死んだ後の己に関......

何を最優先に位置付けるか?
それでこの世のあらかたの価値が決まるようである。
 
物質界が全てであり霊質次元が無いという見立てであれば 産まれる前と死んだ後の己に関心なく 神も仏も物質世界に都合の良い偶像に仕立てられてしまう。
 
それらは神仏と謂えども偽の神仏であるから衆生が自ら救われる質のものではない。 益々 迷妄の淵に自ら自身を追いやるものとなる。
 
あの世とこの世をバランスよく熟知し 真実の最優先次元である霊質次元即ち自然量子界に自己生存の根拠を模索する者は眞の神仏を覚り 霊現両世界を遍く味わい尽くすことが可能となるように思われる。

… … … … …

あの世(霊界)とこの世(現界)の眞の意味が分からなくとも あの世もこの世もバランスよく味わい尽くせるなら そのどちら側に立っても満足のいくものになるだろう。それが出来得れば改めて意味を詮索することなど如何でもいいことなのである。 

表層記憶価値に固執しないことである。

2024-02-01 10:42:09 | つぶやき
私は所謂宗教及び宗教教義には距離を置いて来た。若き頃 表層記憶脳で研鑽した結果 先進高次文明に寄与するところは現状の宗教には無いものと判じている。その後はその当時の体験による概要を私的知識図鑑として俯瞰し反面教師的概念に位置付けている。それは何も宗教に限らずスピリチュアルに於いてもそうである。要するに 如何なる眞理と思しき概念も表層記憶脳概念化した瞬間に自然創造根源から劣化逸脱するのが三次元生活の習いであるから表層記憶価値に固執しないことである。