『無』の鏡に映す時代。
何をメモに走り書きをしたかと言えば 『神』についてである。何度もこれまで触れて来ているから できればスルーして面倒なことを避けたかった思惟思考対象である。 『......
何をメモに走り書きをしたかと言えば 『神』についてである。
何度もこれまで触れて来ているから できればスルーして面倒なことを避けたかった思惟思考対象である。
『神』も「神」も「悪魔」も 大真面目に考えることが危険な思惟行動であることが経験上分かっているからである。考えるならば精神健全な状況において『無』の境地で試みるべきだろう。
「人間」は神を哲学してはならない。ひとたび踏み込めば有象無象の霊どもがゴミにたかるハエの如く集まってくる。「神」を考える前に『人』としてまっとうであるかを自分自身の『無』の鏡に映す時代が始まっている。
… … … … …
『神』も「神」も「悪魔」も避けて通ることは出来ないが そうであればこそ『人』の原点に還り 更に『創造原初』に還り確りと『自然クライン環』に統合意識を巡り渡らせて眞實を詳らかにすることである。表層記憶脳で大真面目に取り組む姿勢には落とし穴があることを知らねばならぬ。