アメリカ 2002年 ロバート・ライシュ
金融市場のヒートアップ、CEOのびっくりするような高給、インターネット支配、人々の過剰労働―――アメリカでいったい何が起こっているのか!?を見事に解明している本。的確な抽象化、言葉の選び方、ストーリーの創り方、そして説得力に驚く。本の中核部分は以下のようなものである。
・ニューエコノミーがもたらした新しい仕組み
大量生産時代から、いろいろなものが変わった。とくにITが、生活や仕事を変 えたと実感している。これが意味しているものは何か?
それは、「取引コストの著しい低下」である。
消費者は非常に低いコストで情報を手に入れ、比較し、買うものを決めるようになった。生産者側への圧力は飛躍的に大きくなり、
→常に技術革新が求められるようになった
→一部の創造的労働者の価値が急上昇した
より良い製品・サービスへの消費者の願望に応えられる、アイディアマンのニー ズが急上昇した。新しい分野を作り出してしまう創造者と消費者の潜在的な欲求 を掘り起こすのに成功する創造者(変人と精神分析医、と著者は呼んでいる)に 仕事が集中し、
→常時対応を求められるようになり、、「常時出勤中」の仕事中毒状態が恒常化した
→ブランドの力が増大
「ハーバード」を含め、ブランドがブランド・ポータル化し、名前を使ってナンにでも進出するようになった
・雇用の終焉
雇用システムが変化し、誰もが「企業人」でなく「個人」で働くようになった。これは「不確実性の増大」を意味する。人々は(時折仕事の出来不出来に関わらず)解雇されうる状況に居る。その不確実性をカバーするために猛烈に働く。
前工業時代にも雇用関係は無かった。ただ、そのリスクをプールすることのできる地域や大家族のコミュニティがあった。それがない今、人々は自らの「今」で未来のリスクをプールするしかない。
・・・「人々がこれまでにないほど「今日」一生懸命働くようになったのは、「明日」の支払いの必要のためなのである。」
すなわち、人々は進んで残業を申しであるのである。
・「個人的な気配り」の削減
個人的な気配りは、総じて生産性の低いサービスとも言える。技術に代替できるサービス―――電話交換手、銀行の窓口係、小売店の店員など―――からはもうすでに人がいなくなっており、それが出来ない「個人的な気配り」産業へと人が流れてきている。
・・・
つまり、「ひとは、消費者であると同時に生産者である」ということを彼は随時呼びかけている。ニューエコノミーの恩恵を、消費者として、自由でハイレベルな取引を行えるようになった。より買いたいものをより安く、より簡単に手に入れられる。しかし、その分生産者として、非常に長い労働時間と、過労と、粗悪な地域サービスと、気配りの無い生活を受け入れなければいけない―――代償として。
この、ひとつの要因に対する二つの側面を、どのように対処すればアメリカ人はよりハッピーになれるのか。
いくつかの提言は、社会保障の枠組みの中にあった。急激な所得変化への社会保険、義務教育などのサービスの公共化などである。
このような経済構造の変化は、多くの面で日本と共通している。その中で、情報の重要性―――著者は、ブランド力の増加、顔見知りネットワークの価値増加について言及している―――は増すばかりだろう。「メディアの権力」はまさに現実のものとなっている。かつては企業の「予測整合性の上昇」のために生まれたのが広告だ、と著者は言う。独占を試みて価格、収益の予測性を高めるというのと同じ行動原理である。
メディアは、逆かもしれない。それ自体が「不安定性」を求めているかのように動く。
より、「ビジョン」が重要になってきているとも言えるのかもしれない。アメリカの労働長官だった著者は、それを仕事とするために執筆活動をしているのかもしれない。(いずれにせよ、労働長官というような行政トップの仕事をする人が、これだけ創造的な、上手い文章と分析をしていることが結構ショッキングだった。)
クリントンからブッシュに変わり、ITバブルが崩壊した後のアメリカについて、この次の著作も読んでみたいと思う。
金融市場のヒートアップ、CEOのびっくりするような高給、インターネット支配、人々の過剰労働―――アメリカでいったい何が起こっているのか!?を見事に解明している本。的確な抽象化、言葉の選び方、ストーリーの創り方、そして説得力に驚く。本の中核部分は以下のようなものである。
・ニューエコノミーがもたらした新しい仕組み
大量生産時代から、いろいろなものが変わった。とくにITが、生活や仕事を変 えたと実感している。これが意味しているものは何か?
それは、「取引コストの著しい低下」である。
消費者は非常に低いコストで情報を手に入れ、比較し、買うものを決めるようになった。生産者側への圧力は飛躍的に大きくなり、
→常に技術革新が求められるようになった
→一部の創造的労働者の価値が急上昇した
より良い製品・サービスへの消費者の願望に応えられる、アイディアマンのニー ズが急上昇した。新しい分野を作り出してしまう創造者と消費者の潜在的な欲求 を掘り起こすのに成功する創造者(変人と精神分析医、と著者は呼んでいる)に 仕事が集中し、
→常時対応を求められるようになり、、「常時出勤中」の仕事中毒状態が恒常化した
→ブランドの力が増大
「ハーバード」を含め、ブランドがブランド・ポータル化し、名前を使ってナンにでも進出するようになった
・雇用の終焉
雇用システムが変化し、誰もが「企業人」でなく「個人」で働くようになった。これは「不確実性の増大」を意味する。人々は(時折仕事の出来不出来に関わらず)解雇されうる状況に居る。その不確実性をカバーするために猛烈に働く。
前工業時代にも雇用関係は無かった。ただ、そのリスクをプールすることのできる地域や大家族のコミュニティがあった。それがない今、人々は自らの「今」で未来のリスクをプールするしかない。
・・・「人々がこれまでにないほど「今日」一生懸命働くようになったのは、「明日」の支払いの必要のためなのである。」
すなわち、人々は進んで残業を申しであるのである。
・「個人的な気配り」の削減
個人的な気配りは、総じて生産性の低いサービスとも言える。技術に代替できるサービス―――電話交換手、銀行の窓口係、小売店の店員など―――からはもうすでに人がいなくなっており、それが出来ない「個人的な気配り」産業へと人が流れてきている。
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つまり、「ひとは、消費者であると同時に生産者である」ということを彼は随時呼びかけている。ニューエコノミーの恩恵を、消費者として、自由でハイレベルな取引を行えるようになった。より買いたいものをより安く、より簡単に手に入れられる。しかし、その分生産者として、非常に長い労働時間と、過労と、粗悪な地域サービスと、気配りの無い生活を受け入れなければいけない―――代償として。
この、ひとつの要因に対する二つの側面を、どのように対処すればアメリカ人はよりハッピーになれるのか。
いくつかの提言は、社会保障の枠組みの中にあった。急激な所得変化への社会保険、義務教育などのサービスの公共化などである。
このような経済構造の変化は、多くの面で日本と共通している。その中で、情報の重要性―――著者は、ブランド力の増加、顔見知りネットワークの価値増加について言及している―――は増すばかりだろう。「メディアの権力」はまさに現実のものとなっている。かつては企業の「予測整合性の上昇」のために生まれたのが広告だ、と著者は言う。独占を試みて価格、収益の予測性を高めるというのと同じ行動原理である。
メディアは、逆かもしれない。それ自体が「不安定性」を求めているかのように動く。
より、「ビジョン」が重要になってきているとも言えるのかもしれない。アメリカの労働長官だった著者は、それを仕事とするために執筆活動をしているのかもしれない。(いずれにせよ、労働長官というような行政トップの仕事をする人が、これだけ創造的な、上手い文章と分析をしていることが結構ショッキングだった。)
クリントンからブッシュに変わり、ITバブルが崩壊した後のアメリカについて、この次の著作も読んでみたいと思う。