ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

ドキュメンタリー「最愛の敵 カダフィ」

2011-07-21 12:13:53 | Movie
「最愛の敵 カダフィ」とはよく言ったものだ。
1969年からリビアで独裁体制を続ける彼と、
欧米との外交政策の歴史を扱った上下編のフランス発
ドキュメンタリー番組のタイトルだ。
2011年制作。
企画段階でのタイトルは"Qaddafi : Our Best Friend"。
最終的には"Qaddafi : Our Best Enemy"となったのだとか。
テロ国家としての歴史に驚くとともに、テロの被害を受けて
いながら、石油権益に目がくらんだ欧米諸国の臨機応変さに
驚いた。
以下備忘録として。

+++
この作品を見る限り、カダフィの外交政策は3つの時期に
分けられると思う。

■1970年代。リビアで好き勝手をやり、エジプトのナセル大統領
信奉者としてアラブ連邦共和国を夢想し、石油の権益で得た金を
対イスラエルに使っていた時期。
アメリカを筆頭とした欧米諸国は、「レアル・ポリティーク」と
呼ばれるような外交策をとっていた。
すなわち、独裁制の中身はどうであれ、政治が安定しているのは悪くない。
駆け引きの窓口として利用し、石油採掘で有利な条件を引き出そう。
そのためには、カダフィ政権養護(のためにCIAに反カダフィ派を
つぶさせることなど)も厭わない。

■1980年代。リビアは暴走し、今のアルカイダクラスのテロ国家となっていく。番組ではよくわからなかったが、おそらくイスラエルへの反感、
それを支援するアメリカへの敵対心などがあるのでは。
巨額の石油収入を、アラブ諸国のテログループに渡していたとされる。
1985年にウィーン、ローマで同時テロ、
1986年に西ドイツで米兵を狙ったテロ、
1986年アメリカがリビアを空爆

1988年、ロンドンから飛び立ち、スコットランド・ロッカビー上空を
飛行中のパン・アメリカン航空機が爆発。270人が死亡する。
貨物の中の自動爆弾のメーカーなどからリビア容疑者が浮上し、のちに有罪。
1989年、アフリカのニジェールで、フランス民間航空会社UTAの飛行機が
墜落。170人が死亡。のちにリビアが関与認める。
・・・
1986年、アメリカが対リビア経済制裁

■2000年代~
各国からの経済制裁が続ける中、リビア経済は疲弊。
カダフィはアメリカに、「テロ組織の情報を持ってるよ、仲直りしようよ」と
持ちかける。
2001年にアメリカ同時多発テロ、2003年にイラク戦争開戦。
このとき、リビアも秘密裏に大量破壊兵器を保有しており、
同年に突如「大量破壊兵器保有の告白&放棄」を宣言。
アメリカらはびっくり。(イラクと違い)本当に保有していたので、
放棄を条件に、2004年に経済制裁を解いてしまった。
ヨーロッパには、アフリカからヨーロッパ大陸に移民が流入しないよう、
リビアで厳しい体制を敷くなどして協力。
その後は、ブレア首相、ライス国防長官、シラク大統領ほか欧米要人が
訪問し、あれよあれよと2009年には国連総会議長国に。
イギリスは石油採掘権契約と同時にパンナム機テロ容疑者を「健康上の理由」で
リビアに釈放。
フランスも、2007年、リビアのブルガリア看護師らを釈放させる交渉の裏で、
武器の売買契約をリビアと結んだとされる。
そして、2010年の民衆蜂起、紛争開始。

※日本は・・・
外務省のHPを見ると、2000年からしか要人往来はわからないが、
2004年以降は毎年、副大臣や政務官クラスが訪問している。
松田岩夫という元内閣府特命大臣が、その役職のときに1回、
その任にないその後にも毎年、計5回訪問している。
何なんだ・・・。元通産官僚らしいが。