ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

おわら風の盆

2011-09-02 14:32:34 | Private・雑感
おわら風の盆、といえば関東の人も知っているのだろうか。
当然知っているものと思っていたら、愛知出身の夫は
「島耕作で読んで知った」とのこと。
1日、富山県富山市の八尾町へ、風の盆初日を見に行った。

夜遅くまで流しで踊っているので有名な風の盆。
町に着いたのは夜10時ごろ。
シャトルバスで戻ろうとする人も多かったが、まだ
残って初秋の夜を楽しもうという人もいて、
だいぶ歩きやすくなっていた。

笠を深くかぶって顔を隠し、シンプルな着物でしとやかに
踊る、ほんとに風流な踊りで素晴らしかった。
http://www.youtube.com/watch?v=ADHEiDx4xq8&feature=related
踊りの後ろで、三味線と胡弓、控えめに響く唄がなんともよい。
踊り手がおよそ25歳以下の未婚の男女、というところも、
線の細い人がそろっているようで雰囲気のよさの要素かもしれない。

ところで、行ってみて驚いたのは立派な町並みだ。
平らに建っている家はないほど坂が多く、
道を一本はいれば細い階段というところも多い。
三百何十年も続くという踊り、というからには町も
それ以上に古いのだろうが、自然発生した町としては
不自然な地形だった。

町の人に聞いたのと、ネットで少し調べたので考えると、
この町は富山から飛騨に続く道の街道沿いで、
かつ伊勢神宮を在所に持つ神社がやってきたこともあり、
宿場町、門前町として発祥した。
田んぼは地形的になさそうだが、養蚕が栄えたらしい。
あと、蚕の卵の繁殖。和紙の生産地にもなり、財を蓄えた。
立派な祭りが残っているところは、大体商業か漁業か、
特権商売で儲かっていたところだ。

町屋造りの街道は今も立派で、風情を良く残している。
花街の一角は、料亭に看板を変えている。
この花街の文化が、まるで芸子仕込のような日本舞踊風の
踊りに影響しているのではないか―――と話しながら12時半ごろ帰った。
雨上がりの気持ちのよい空気で、贅沢な田舎の夜だ。
いやしかし、旧町ごとに若い踊り手を育て、それなりの人数で
そろえて躍らせるのは、今の時代簡単ではない。
8月20~30日には前夜祭もあり、9月1~3日は
午後4時半から12時ごろまで随所で踊る。
にぎわいに応えるだけの迫力が、なんだかうれしかった。