土曜、日曜、月曜(生まれて初めてとった有給休暇)でおとなり、ラオスのルアンパバーンに
行ってきた。1時間ちょっとのフライト。木曜日に出発を決め、金曜日に有休届を出しました。
写真はこちら
一言でいえば、1に自然、2に歴史、3から5は衣食住、と素晴らしく恵まれた場所で、
本当にリラックスできた。
日本の田舎、たとえば岐阜県の高山が思い浮かんだのだけど、いろんな場所が
ルアンパバーンに学ぶところがあると思う。
6月は雨期に入ったところでローシーズン。とはいえ多くの西洋人が2週間とか、もっと多く
滞在している。それは町全体が世界遺産だから、ではない。おそらく点在するWat(寺)を
ひとつひとつ回っている人は少ないに違いない(私を含めて)。
ではなぜか。1つはメコン川に面した、山々に囲まれているという自然環境と、それらを簡単に
堪能できるように発達している1デイツアーなどの企画(これは日本を除くどこの観光都市にもあると思うけど)。
それと、「歴史の中」にいる感覚―――色やデザインが揃えられた町並み、うるさい広告の看板やネオンもなく、
モーターバイクも多くない町、美しいシルクの織物を巻いたスカートをはく女性たち。
そして、その調和した町並みのひとつに値段も幅広い宿があって、町並みの中に宿泊でき、
レストランや喫茶店も充実していて時間を過ごすインフラが整っていること。
(ホテルや喫茶店の類は、ラオス人が投資してフランス人マネジャーを雇うケースが
多いらしく、家具やメニューもとってもセンスがいい。ハノイにはない雰囲気)
逆に言えば、上のような条件がそろえば、人を惹きつけ、長く過ごしたいと思わせるような
場所になる。簡単に言えば避暑地+歴史(or something)という感じ。
もちろん、世界遺産になるくらいの歴史があり、13世紀ごろから入ってきたという
比較的新しい上座仏教が根付いていて、今も「家族から男の子1人が、
必ず出家しなければいけない。最低7日間で、それ以上は何年でもいい」(ラオス人談)
という息遣いがあるから、すべてがそろっているように見える。
ただ、備忘録として書いておくと、ラオスは共産党国家(人民革命党)。
政治の話はしなかったが、「ベトナムと似ている」と思うエピソードがあった。
最終日に仲良くなったBounmaという25歳の男の子。地方から出てきてルアンパバーンの大学で英語を学び、
今、政府の交通関係機関の仕事に応募しているのだという。
「でも、だめかもね。政府の仕事に就くにはお金を払わなくちゃいけないから」
「何?いくらくらい?」と私。
「例えば警察だったら3000ドルくらい」
3000ドルなんて私にとっても高い!それだけ「元のとれる仕事」ということだ。
わいろは、共産国家の専売特許ではないが、硬直的な組織の一端ともいえる。
そしてベトナムへ帰ると・・・
空港から市内へのミニバスは飛ばしすぎ、運転荒すぎで疲れたし、
バス停から家まで歩いたら道は汚いし、
私がいない間に我が家に鼠が現れたらしく、インスタント麺がかじられているし
大家さんに替えておいて頼んでいた寝室の蛍光灯は替わっていないし、
洗濯器の脱水は最近のご機嫌斜めを超えて動かなくなってしまったし。
はーあ、リフレッシュもつかの間という感じですが気を取り直しましょう。
明日の朝は、おいしいおこわを買いに行こう。
行ってきた。1時間ちょっとのフライト。木曜日に出発を決め、金曜日に有休届を出しました。
写真はこちら
一言でいえば、1に自然、2に歴史、3から5は衣食住、と素晴らしく恵まれた場所で、
本当にリラックスできた。
日本の田舎、たとえば岐阜県の高山が思い浮かんだのだけど、いろんな場所が
ルアンパバーンに学ぶところがあると思う。
6月は雨期に入ったところでローシーズン。とはいえ多くの西洋人が2週間とか、もっと多く
滞在している。それは町全体が世界遺産だから、ではない。おそらく点在するWat(寺)を
ひとつひとつ回っている人は少ないに違いない(私を含めて)。
ではなぜか。1つはメコン川に面した、山々に囲まれているという自然環境と、それらを簡単に
堪能できるように発達している1デイツアーなどの企画(これは日本を除くどこの観光都市にもあると思うけど)。
それと、「歴史の中」にいる感覚―――色やデザインが揃えられた町並み、うるさい広告の看板やネオンもなく、
モーターバイクも多くない町、美しいシルクの織物を巻いたスカートをはく女性たち。
そして、その調和した町並みのひとつに値段も幅広い宿があって、町並みの中に宿泊でき、
レストランや喫茶店も充実していて時間を過ごすインフラが整っていること。
(ホテルや喫茶店の類は、ラオス人が投資してフランス人マネジャーを雇うケースが
多いらしく、家具やメニューもとってもセンスがいい。ハノイにはない雰囲気)
逆に言えば、上のような条件がそろえば、人を惹きつけ、長く過ごしたいと思わせるような
場所になる。簡単に言えば避暑地+歴史(or something)という感じ。
もちろん、世界遺産になるくらいの歴史があり、13世紀ごろから入ってきたという
比較的新しい上座仏教が根付いていて、今も「家族から男の子1人が、
必ず出家しなければいけない。最低7日間で、それ以上は何年でもいい」(ラオス人談)
という息遣いがあるから、すべてがそろっているように見える。
ただ、備忘録として書いておくと、ラオスは共産党国家(人民革命党)。
政治の話はしなかったが、「ベトナムと似ている」と思うエピソードがあった。
最終日に仲良くなったBounmaという25歳の男の子。地方から出てきてルアンパバーンの大学で英語を学び、
今、政府の交通関係機関の仕事に応募しているのだという。
「でも、だめかもね。政府の仕事に就くにはお金を払わなくちゃいけないから」
「何?いくらくらい?」と私。
「例えば警察だったら3000ドルくらい」
3000ドルなんて私にとっても高い!それだけ「元のとれる仕事」ということだ。
わいろは、共産国家の専売特許ではないが、硬直的な組織の一端ともいえる。
そしてベトナムへ帰ると・・・
空港から市内へのミニバスは飛ばしすぎ、運転荒すぎで疲れたし、
バス停から家まで歩いたら道は汚いし、
私がいない間に我が家に鼠が現れたらしく、インスタント麺がかじられているし
大家さんに替えておいて頼んでいた寝室の蛍光灯は替わっていないし、
洗濯器の脱水は最近のご機嫌斜めを超えて動かなくなってしまったし。
はーあ、リフレッシュもつかの間という感じですが気を取り直しましょう。
明日の朝は、おいしいおこわを買いに行こう。