今年も庫裏のコースで梅干しづくりをいたします。
新聞にこの台風で梅が落下して12億の損失と書かれていたので
いつもお願いしている紀州の梅農家さんにご連絡いたしましたら、
少し落ちたところはあるそうですが、大丈夫とのことでした。
まだ、青梅で、今回使う完熟はもう少し先になります。
昨日、締め切りにしていましたが
まだ、時間に余裕があるので、もう少しの期間引き続き募集しますね。
今年は、震災による原発事故がまだまだ問題を引きずっています。
政府の対応や情報の不確かさに、不安を持つ方も多いと思いますが、
私たちが自己防衛できる確かな方法は、「食」にあることを
被爆医師・秋月辰一郎氏の著書から学ぶことができます。
それは、まさしくマクロビオティックの考えに基づいたもので、
いい塩、味噌、梅干し、海藻、そして主食となる玄米からなるものでした。
長崎の原爆投下の折、爆心地から1.8kmにあった浦上第一病院(現聖フランシスコ病院)で、秋月辰一郎医師の取った行動は、
「爆撃を受けた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁を作って毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖はぜったいにいかんぞ」と主張し、職員に命じて強引に実行させたのです。
彼の著書の一部を抜粋いたします。
「爆心地から同心円状に症状が変わる」
被爆以来、全身火傷やガラス創などの治療に専念してきた私は、8月13日ごろからあたらしい疾病に直面した。
あとになって、原爆症とよばれるものである。
その症状の患者は16日をすぎると、にわかに数を増し、数日中に症状が悪化して、バタバタ死んでいく。患者の年齢や抵抗力の強弱によって、死までの時間に多少のズレがあるが、ハッキリいえることは、爆心地からの距離に比例して照射量に大小があり、それが激症、中等度症、弱症の区別をつけていることであった。つまり、本尾町、橋口町、浦上天主堂付近、上野町の人々は激症で、本原町1丁目付近がそれにつぎ、爆心地からの同心円の直径が伸びるにしたがって、弱症になっていくことがわかった。弱症の人たちは、1週間ほどのあいだに、じょじょに症状があらわれて死んだ。
血球計算器もなく、血球を染色して顕微鏡で見る装置もない。リンゲル注射も、輸血療法もできない。
私は想像と推理によってこれを「レントゲン・カーター」に似たものと断定し、私がそれに苦しめられたとき、よく食塩水を飲んだことを思い出した。レントゲン・カーターの患者に、生理的食塩水より少しおおく塩分をふくんだ水を飲ませることは、レントゲン教室で働いていいる者の常識であった。私には原子生物学の知識はなかったが、
「爆撃をうけた人には塩がいい。玄米飯に・・・・・・」
「ミネラル栄養論を治療に実践」
それは、私が信奉しているミネラル栄養論とも一致する考え方であった。私は石塚左玄氏の桜沢式食養学を学び、自分なりに工夫して食養医学をつくり、みずから秋月式栄養論と名付けた。
この考え方にたてば、食塩のナトリウムイオンは造血細胞に賦活力をあたえるが、砂糖は造血細胞にたいする毒素である。おなじ野菜でも、カボチャはいいが、ナスはよくないということになる。
浦上第一病院の患者と職員に、こうして私のミネラル栄養論を実践したが、ついでに死の灰がいっぱい付着したカボチャもずいぶん食べさせてしまった。せっせと味噌汁にいれて食べたので、二次放射能で腸をやられたかもしれない。もっとも、味噌の解毒作用によって、プラスマイナス・ゼロになったと考えられる。
原野と化した病院の庭で、ナスはふしぎなほどよくとれた。むかしからナスの花にむだはないというが、それにしても被爆後のナスの実りは異常だった。8月末から10月にかけて、例年にない収獲があり、私たちはそれを味噌漬にして毎日食べた。
虚弱体質の私が、千四百メートルの距離で被爆しながら、原爆症にならず、病院の職員や患者全員がレントゲン・カーターに似た自覚症状をかんじながら、なんとそれを克服し、働きつづけることができたのは、私はやはり食塩のおかげであり、秋月式栄養論の成果であったと思う。私の周囲にいた人々は、みなそれを信じている。たとえ、学会には認められない説であっても・・・・。
玄米ご飯に欠かせない梅干しもまた、私たち日本人がこよなく愛してきたソウルフードです。
今年こそは、ぜひ、手作りで作っておきたいものですね。
みなさんのご参加をおまちいたしております。
お席に限りがありますので、お早めにお申し込みくださいませ。
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新聞にこの台風で梅が落下して12億の損失と書かれていたので
いつもお願いしている紀州の梅農家さんにご連絡いたしましたら、
少し落ちたところはあるそうですが、大丈夫とのことでした。
まだ、青梅で、今回使う完熟はもう少し先になります。
昨日、締め切りにしていましたが
まだ、時間に余裕があるので、もう少しの期間引き続き募集しますね。
今年は、震災による原発事故がまだまだ問題を引きずっています。
政府の対応や情報の不確かさに、不安を持つ方も多いと思いますが、
私たちが自己防衛できる確かな方法は、「食」にあることを
被爆医師・秋月辰一郎氏の著書から学ぶことができます。
それは、まさしくマクロビオティックの考えに基づいたもので、
いい塩、味噌、梅干し、海藻、そして主食となる玄米からなるものでした。
長崎の原爆投下の折、爆心地から1.8kmにあった浦上第一病院(現聖フランシスコ病院)で、秋月辰一郎医師の取った行動は、
「爆撃を受けた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁を作って毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖はぜったいにいかんぞ」と主張し、職員に命じて強引に実行させたのです。
彼の著書の一部を抜粋いたします。
「爆心地から同心円状に症状が変わる」
被爆以来、全身火傷やガラス創などの治療に専念してきた私は、8月13日ごろからあたらしい疾病に直面した。
あとになって、原爆症とよばれるものである。
その症状の患者は16日をすぎると、にわかに数を増し、数日中に症状が悪化して、バタバタ死んでいく。患者の年齢や抵抗力の強弱によって、死までの時間に多少のズレがあるが、ハッキリいえることは、爆心地からの距離に比例して照射量に大小があり、それが激症、中等度症、弱症の区別をつけていることであった。つまり、本尾町、橋口町、浦上天主堂付近、上野町の人々は激症で、本原町1丁目付近がそれにつぎ、爆心地からの同心円の直径が伸びるにしたがって、弱症になっていくことがわかった。弱症の人たちは、1週間ほどのあいだに、じょじょに症状があらわれて死んだ。
血球計算器もなく、血球を染色して顕微鏡で見る装置もない。リンゲル注射も、輸血療法もできない。
私は想像と推理によってこれを「レントゲン・カーター」に似たものと断定し、私がそれに苦しめられたとき、よく食塩水を飲んだことを思い出した。レントゲン・カーターの患者に、生理的食塩水より少しおおく塩分をふくんだ水を飲ませることは、レントゲン教室で働いていいる者の常識であった。私には原子生物学の知識はなかったが、
「爆撃をうけた人には塩がいい。玄米飯に・・・・・・」
「ミネラル栄養論を治療に実践」
それは、私が信奉しているミネラル栄養論とも一致する考え方であった。私は石塚左玄氏の桜沢式食養学を学び、自分なりに工夫して食養医学をつくり、みずから秋月式栄養論と名付けた。
この考え方にたてば、食塩のナトリウムイオンは造血細胞に賦活力をあたえるが、砂糖は造血細胞にたいする毒素である。おなじ野菜でも、カボチャはいいが、ナスはよくないということになる。
浦上第一病院の患者と職員に、こうして私のミネラル栄養論を実践したが、ついでに死の灰がいっぱい付着したカボチャもずいぶん食べさせてしまった。せっせと味噌汁にいれて食べたので、二次放射能で腸をやられたかもしれない。もっとも、味噌の解毒作用によって、プラスマイナス・ゼロになったと考えられる。
原野と化した病院の庭で、ナスはふしぎなほどよくとれた。むかしからナスの花にむだはないというが、それにしても被爆後のナスの実りは異常だった。8月末から10月にかけて、例年にない収獲があり、私たちはそれを味噌漬にして毎日食べた。
虚弱体質の私が、千四百メートルの距離で被爆しながら、原爆症にならず、病院の職員や患者全員がレントゲン・カーターに似た自覚症状をかんじながら、なんとそれを克服し、働きつづけることができたのは、私はやはり食塩のおかげであり、秋月式栄養論の成果であったと思う。私の周囲にいた人々は、みなそれを信じている。たとえ、学会には認められない説であっても・・・・。
玄米ご飯に欠かせない梅干しもまた、私たち日本人がこよなく愛してきたソウルフードです。
今年こそは、ぜひ、手作りで作っておきたいものですね。
みなさんのご参加をおまちいたしております。
お席に限りがありますので、お早めにお申し込みくださいませ。
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