彼が残した言葉の一つに、「劇の半分は、観客が(想像力で)つくる」、というのがありますが、これの原型になったと思われる言葉があります。
寺山自身がさまざまな言葉を集めた、「ポケットに名言を」(角川文庫)という本に入っている、「およそ芝居などというのは、最高のできばえでも影にすぎない。最低のものでもどこか見どころがある、想像でおぎなってやれば。」という、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」のせりふがそれです。これは確か、劇の最後の方の、町人たちが素人芝居を演じる場面で、見物している王様が言うせりふだったと思いますが、寺山が紹介しなければ、その意味の深さに気づくこともなく聞き流してしまいそうです。
私はよくアングラ演劇を観に行きますが、劇が始まる前から想像力が働き出します。パンフレットに書いてある、「私たちは日常的現実の出来事を眼で見てしまうために他の多くの経験を失ってしまっている。さあ!現象の無い現象学の領域に乗り込もう!」といった難解なコピーを読んで、これはどういう意味なのかあれこれ考えたり、白塗りの俳優たちがポーズをとっている舞台写真を見て、これはどんな場面なのか推理してみたり。舞台写真。そう、舞台写真はアングラ系に限る。新劇系のは、家族が食卓を囲んで話し合っているところ、とか、一目でわかってしまうものが多いから。そんなこんなで劇が始まって、自分の想像に勝っているかどうかで一喜一憂する。これが私の観劇スタイルになっています。別に、寺山修司の言葉を実践するつもりはなくて、自然にこうなっているのです。不思議、ですね。