シーザーについて書いたので、彼についても触れてみます。正確には、彼の周辺について、かもしれませんが。
2003年は、寺山の没後20年ということで、多くの演劇誌に特集が組まれました。演劇関係者がいろんなコメントを出していましたが、中には自分こそが最高の寺山理解者であると信じているんだろうな、と思われる、実にオタク的なものもありました。その最たるものが、ある評論家の先生のもので、寺山が戯曲論の中で戯曲の再演を否定していることを引用して、だから寺山作品は再演すべきでない、などとおっしゃっています。この先生は、生前の寺山が、実際には「毛皮のマリー」や「奴婢訓」を何度も繰り返し上演した、という事実を知らないらしい。また、寺山演劇の継承者としていくつかの海外の劇団を挙げているのですが、どれもこれも「かつての寺山」のイメージを引きずったものばかり、というのはなんとも皮肉です。
人は2度死にます。1度目はその人が死んだ時。2度目はその人を思い出す人がいなくなった時。この先生は、ことば(戯曲)という寺山の墓を消滅させて、彼の2度目の死を早めたいらしい。
また、劇場にはさまざまな人が集まります。昔からの演劇ファン、中年になってから演劇に目覚めた人、これから自分で演劇を始めてみたいと思っている若者、出演者の関係者、ひまだからなんとなく観に来た人。実際に舞台で上演される劇は一つでも、観客の背景は無限にあって、それぞれが違った観方をしています。時間は人たちのあいだで、まったくべつべつに流れていて、決して同じ歴史の流れのなかに回収できない。たとえ昔書かれた劇であっても、初めて観る人にとってはそれは新しい「出会い」かもしれない。再演を認めないことは、「出会い」の可能性をつぶすことにつながります。
「若い人たちが寺山作品を上演するのを観て、ああこんな表現のしかたもあるんだと驚かされる時がある」、という九條今日子さんのコメントの方が、この評論家の先生のよりも私にはずっと素敵に思えました。古代ギリシャのエウリピデスやソフォクレスの作品は、時空を超え、民族や言語も超えて、上演され続けています。それに比べたら、寺山修司はまだまだこれからの人、という見方もできるのではないでしょうか。
さて、問題です。寺山修司の言葉からの引用は、全部でいくつあったでしょうか?