リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

贋作はなぜ魅力的なのか(11)

2021年02月18日 19時48分46秒 | 音楽系
BWV565が贋作である二つ目の理由は、この曲のフーガは短調の曲なのにアーメン終止で曲を終えているから、です。これだけではよくわからないかも知れないので、もう一度以前にあげた楽譜を見ながら詳しく説明していきましょう。



これはフーガの一番最後の部分ですが、赤で囲まれている和音は、B♭メイジャーに9度音(C)がプラスされています。次に来る青で囲まれている和音はGマイナー、そして最後の和音はDマイナーです。

少し理論的な話になってしまいますが、どうやって曲とかフレーズの区切りをつけるか、そのやりかたを終止(カデンツ、ケイデンス)と言います。終止にはいろんな形、すなわす終止形がありますが、この曲の場合だとGマイナーからDマイナーに移って終わる部分が終止形になります。バスはG→Dです。

ニ短調の場合、D(レです。日本語では「ニ」ですね)の音を根音(一番下の音)にする和音は主和音、Gの音を根音にする和音は下属和音、Aの音を根音にする和音を属和音といいます。

もっとも一般的?と言えるカデンツは、属和音から主和音に移るものです。しかしBWV565の場合はそのタイプではなく、下属和音から主和音に移って曲を閉じます。このタイプの終止は「アーメン終止」とも言われています。讃美歌の最後の部分、アーーメーーンと歌うところの和音進行が下属和音→主和音なのでそう呼ばれています。

BWV565のフーガは短調の曲ですが、バッハが生きていた時代ともう少し前の時代も含めて、短調でアーメン終止をする曲は聴いたことがないのです。たださらに前の時代に短和音のアーメン終止の実例はあります。

桑名モデル

2021年02月17日 20時28分40秒 | ローカルネタ
桑名市では65歳以上の高齢者は集団接種をせず、かかりつけ医の個別接種のみで行う方針を決めたようです。市内には約37500人の高齢者が在住していて、その60%が接種するとして4月開始で6月には高齢者分は完了とのことです。

私も高齢者に入っていますので、近所のお医者さんのところで接種ということになりますが、その方が何かと安心ですね。ただ他の年代の人もこの方式で接種するのかは未定ということです。

正確に数を数えたことはありませんが、来年度(今年の4月~)に実施予定のバロック音楽の旅14を受講される方の一定数は高齢者の方です。高齢者に対して速やかに接種が完了すれば、その分他の年代の方たちの接種も早まるでしょうから、来年度受講される方も増えようというもの。久しぶりに明るい話題が出てきました。

バロック音楽の旅14講座(レクチャー&コンサート)は10月から開始ですが、ワクチン接種が広まったと言えどもまだまだこの時期では以前と同じように実施できるわけではないとは思います。以前と同じようになるのは来年の終わり頃か再来年に入ってからでしょう。それでもワクチン接種の話題は遠い先に一筋の光が見えてきた感じがします。

贋作はなぜ魅力的なのか(10)

2021年02月16日 12時43分22秒 | 音楽系
まず一つ目についてです。

バッハのフーガはとても精緻に作られていて、楽譜を見るとよくぞこんなにきれいに音を書くことができるものだとただただ畏れ入ってしまいます。しかも単に仕組みがに複雑・精緻なだけでなく、肝心のサウンドが情感あふれ、目にも(耳にも?)鮮やかな世界を創り出しています。一方BWV565のフーガは、バッハの他のフーガと比べるととてもシンプルな作りです。とても分かりやすく速いパッセージが出て来たり、圧倒するような大音量になる部分もあります。速弾きと大音量は分かりやすい曲を書く鉄則です。

例えばシベリウスの交響曲第4番は全体としてとても「静か」で第2番の終結部のような大音量で迫りくるような部分は全くありません。第4番はオケ全員で大きな音で弾く箇所がほとんどなかったと思います。でもとても魅力的な曲で退屈な部分などひとつもありません。しかし世間では第2番の方が圧倒的に有名ですし演奏される機会も多いようです。やはり華麗なラッパには負けます。(笑)

さて件のフーガですが、テクスチャがシンプルなのは先述の通りですが、それがだんだん薄くなりついにはバスを全く伴わないシンプルなアルペジオの繰り返しに至ります。(前回の一つ目の譜例における→と←の間の部分)この曲の流れとしてはこういう形もありでしょうが、バッハのフーガでバスを伴わず「素っ裸」で「あっぱっぱ」になってしまう展開部を持つ曲はありません。

ラインが単音になるものは、例えばヴァイオリンのためのフーガBWV1001なんかにも出てきますが、単音のラインであってもポリフォニックなラインが聞こえてくるようにバッハは(というかバロック時代の作曲家は)書きますし(無伴奏チェロ組曲でもそのような書法は一杯出てきます)、BWV1001も実際そうなっています。前回の一つ目の譜例のようなポリフォニックなラインの聞きようがない単音のラインはバッハの手によるものではありません。

贋作はなぜ魅力的なのか(9)

2021年02月15日 21時38分16秒 | 音楽系
ではまずYouTubeでBWV565を聴いてみましょう。


特にこれを推薦しているというのではありません。念のため。

ざっと聴いていただきましたか?贋作っぽいと言いますか、バッハの作、あるいはバロックっぽいくない感じがする箇所は何か所かありますが、ここでは比較的わかりやすい2か所を示してみたいと思います。

まず一つ目。YouTubeのビデオクリップの5:05あたりから聴いてみてください。この部分の楽譜は以下の通りです。



この→と←の間の部分が問題の箇所。同様の箇所がこの3小節後にも延々と続きます。中学生の頃この曲を聴いていてここに差し掛かると退屈で退屈で仕方がありませんでした。(今でもそうですが)

次に二つ目です。これは一番最後の部分です。



赤で囲った和音、青で囲った和音と続き最後のニ短調の主和音に続きます。

どうですか?この2つはいかにも贋作だと言わんばかりの箇所です。え?言ってることがよくわからないですって?では次回に詳しくお示し致しましょう。

(続)呪われたオリンピック

2021年02月14日 15時45分22秒 | 音楽系
昨夜ぼちぼち寝ようかなと思い、最後のネットニュースを見て驚きました。関東地方を中心に何十万戸が停電しているとあるではありませんか。何が原因かと思い他の記事を見てみますと、福島沖を震源地とする震度6強の大きな地震がありました。10年前の東日本大震災の余震だそうです。

昨日のエントリーで、「とどめの一発」の話をしましたが、このような自然災害が「とどめ」になる可能性もあります。最近では夏の豪雨災害が毎年のように各地で起こっています。日本はもともと災害の多い国ですが、最近は地震や豪雨災害が以前よりは明らかに増えている感じがします。仮に昨年の夏のような豪雨災害が起これば、オリンピックをやって浮かれているのはおかしいでしょう。

幸いにして伊勢湾台風を上回る台風はその後襲来していませんが、温暖化している昨今であればなおのこと用心しなくてはなりません。戦後からしばらくは大きな地震はなかったですが、20世紀の後半からまた「地震期」に入ったかのように大きな地震が続いています。と言いますか今の状態が日本列島にとっては普通で、地震が少なかった戦後50年くらいが例外的だったのかも知れません。その例外期に東京オリンピックが開催され、高度経済成もありました。

日本はこう言った災害の備えを絶えずしておく必要があります。「とどめの一発」で2020オリンピックが終止にならなくても、この先10年くらいのスパンでみますと大きな災害は必ず起こると見ておいた方がいいです。そんなときオリンピックで浮かれて沢山の国の資産を浪費してしまい、いざというときに対策が手薄になったり、長期的な対策がとれなくなったりするのでは困ります。

「とどめの一発」で中止になるのは最悪のストーリーですが、仮に実施できたとしても財政的には疲弊してしまうでしょうから、将来の災害に強靭な国づくりは後退します。

感染者数が減ってワクチン接種も始まろうとしているとはいえ、まだまだコロナ禍が継続している現状では、オリンピックに関してはもうすでにハッピー・ストーリーはありません。少しでもマシにするために即刻オリンピックは中止です。延期ではありません。


呪われたオリンピック

2021年02月13日 13時35分50秒 | 日々のこと
財務大臣の麻生太郎氏が、昨年3月18日の参院財政金融委員会で、新型コロナの感染拡大によって東京大会が大ピンチに陥っていることを引き合いに「呪われた五輪」と表現したことが改めて話題になっています。

新国立競技場設計のドタバタやエンブレムぱくり問題、汚職疑惑でJOCの会長の辞任、そこへ新型コロナ禍が襲い掛かり延期になりさらに今回の森氏の辞任が重なりさらに新しい会長の選任でまたひともめです。

麻生氏は40年ごとに「呪われた」オリンピックになるみたいなことをおっしゃっていましたが、なるほど1940年の東京オリンピックは中止になり1980年のモスクワオリンピックではソ連のアフガニスタン侵攻でボイコットが起こりました。そしてその40年後の東京です。確かに周期的なものがあるのかも知れません。

これだけケチがついてくると、これからもまだひとつやふたつ問題が起こっても不思議ではありません。次に何が起こるか注意深く見ていますが。(笑)とどめの一発がくる前にさっさと止めちゃえばいいんでしょうけど、そうはいかない事情がいろいろあるんでしょう。

贋作はなぜ魅力的なのか(8)

2021年02月12日 12時44分04秒 | 音楽系
バッハの贋作は、例えば以前取り上げたカッチーニのアヴェ・マリアみたいに分かりやすい形で存在しているものはありません。仮に誰かが贋作をでっちあげたとしても、出典を提示を求められた時点ですぐバレるし、そもそもバッハ作品のクオリティで曲を作ることはそうやすやすとできるものではありません。AIがバッハ風の作品でござい、とした曲を聴いたことがありますが、それは作品としてオソマツなものです。それでも贋作、偽作ではないかとくすぶっている曲は何曲かあるようです。

ヨハン・セバスチャン・バッハの作品とされている中で、私は超有名なオルガン曲、トッカータとフーガ ニ短調BWV565はかなり怪しいと見ています。えー!!バッハの看板作品じゃんとおっしゃる方もいらっしゃるかも知れません。

角倉一郎氏の「バッハ作品総目録」でもBWV565は「偽作説あり」と記されています。同書によれば、成立年代は1700年代、つまりまだバッハが10代か20歳になったばかりということになっています。バッハの「若書き」と言えるかもしれません。そして自筆譜は消失しており筆写譜だけが残されているということです。

この作品自体がいつ頃の成立なのかは筆写譜の成立を見ないとわかりませんが、角倉氏の総目録には、ベルリンの国立図書館蔵のMus. ms. Bach P595だけが記されています。他のソースはないようです。そしてこのソースの成立時期は同書からはわかりません。

私はこのようなソースレベルの話ではなくて、作品のスタイルから見てこの作品が怪しいのではと見ています。本作品の偽作説でときどきネットで見かけるのは、ダレソレ先生(博士、氏、さん)がこういう論文や記事でこのように言っているのでBWV565は偽作だ、というような言い方です。

有名な先生のお説を引用しているので説得力があるように見えますが、実は具体的にどの部分が例えば問題があるかには全く触れず偽作説を唱えています。その有名先生のお説を読んでみると実はその先生も具体的に根拠は示していなかったりします。

でもそれを読んだ別の読者が受け売りをし、また別の人が受け売りを、という具合にどんどん広がっていきますが、それって実態は単なる噂レベルの話ですよね。「実物」とか「実態」を確認していないからです。

ここではとりあえずわかりやすい箇所を少し挙げて、それらを楽譜と実際の音で示して行きたいと思います。ただモノが音楽だけに問題点を数値で表したり絵で見えるようには表すことができないのでわかりにくかったらご容赦願います。楽譜では多少「実態」をビジュアライズできると思いますが。

贋作はなぜ魅力的なのか(7)

2021年02月11日 22時06分59秒 | 音楽系
また音楽の分野に戻りまして、今度はバッハについて見ていきましょう。

バッハは研究自体が19世紀に始まり、その研究史もあるくらいですから研究し尽くされているといいてもいいかも知れません。それでも10何年か前に新発見の曲がありましたし、有名なト長調とト短調のメヌエット、アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳にある曲、ト長調の方はラヴァースコンチェルトの原曲でもある曲、が実はペツォールトの作品だったというのはもう定説になっています。

このメヌエットはヨハン・セバスチャン・バッハの名前で紹介されていたからこそ有名になった曲と言えるでしょう。もし最初からペツォールトの名前で曲が紹介されていたら有名になっていなかった可能性もあります。でもバッハのお眼鏡にかなったくらいですから、いい曲であることは間違いありません。

これらのメヌエットは最初に紹介した人がいい加減だったから生じた誤解ですから贋作というのではありません。ではバッハの贋作というのはあるのでしょうか。

Speak & Spell

2021年02月10日 19時57分20秒 | 日々のこと
アメリカにテキサスインスツルメンツ(T.I.)という有名な半導体企業があります。創立は1930年代といいますからほぼ100歳企業といえます。そんなT.I.が1970年代に製造、発売した教育玩具がこちら、Speak & Spell です。



新発売時に小さな紹介記事が新聞に掲載されていましたので、当時から新しもの好きの私は早速購入いたしました。確か1978年頃だったと思います。本体には1978年製造とあります。その名の通り、本体がしゃべります。そして綴りを表示したり、こちらから入力して正誤の判定をしてくれます。いくつかの学習モードがあり、結構面白く役に立つ感じがしました。当時の中学生には大人気でした。ただ1台しかなかったのが玉に瑕でしたが。

保管してあったのをなにげに思いで出して引っ張り出してみました。ちょっと心配だったのは電池を入れっぱなしにしていて電池ボックスの金属が腐食していないかどうかでしたが、ちゃんと電池を抜いて保管されており大丈夫でした。電源は単四電池4本ですので、早速コンビニで購入、動作テストをしました。

スイッチをONにしますと懐かしいロボットボイスが聞こえてきました。ディスプレイの表示が液晶ではなく電光管なのが時代を感じさせます。液晶だったらもう40年以上経っていますのでだめになっていたでしょうね。さすがこの当時のものはタフです。ボディもところどころ金属部品も使われていることもあり古さを感じさせません。全ての学習モードをチェックしましたがすべて正常に動作しました。スピーカーのびびりもまったくなく各ボタン類の接触不良もなし、イヤホンジャックの接触不良もありません。

ジャパン・アズ・No.1の時代の前の製品です。誇り高きアメリカの製造業が健在でした。さてこれをどうするか。そもそも思い立ったのは完全動作品だったらメルカリで売ろうと思って引っ張り出してきたのでした。早速メルカリに出品をしましたら、なんと1日も経たないうちに売れてしまいました。今だに欲しい方がいらっしゃるというか、名前が知られていることに驚きです。何はともあれメデタシメデタシです。

贋作はなぜ魅力的なのか(6)

2021年02月09日 14時49分40秒 | 日々のこと
テレビの「鑑定団」を見ていますと、美術の分野でも贋作は数多く出回っているようです。といいますかこちらの分野の方が音楽の贋作よりずっと多いみたいです。やはりカネになりますからねぇ。

昨日のニュースで東山魁夷や平山郁夫らの贋作が発見されたというのがありました。どっかの美術館の館長さんが「作家は精魂傾け全身全霊で作ったものです。その贋作が出るということは非常に悲しい」とおっしゃっていました。また別の美術館の方は「偽物を流通させるのは作品の価値をおとしめる行為だ」として非難しています。

「悲しい」のは館長さんなんでしょうが、コレクターや美術商の方たちも悲しいのだと思います。また作品の価値をおとしめるといいますがよく考えてみたら、どれだけ贋作が出ても作品自体の価値は変わるはずがないでしょう。変わるのは絵のお値段です。

この贋作事件、もう少し詳しく調べてみますと、画伯が制作した一枚ものの作品のリトグラフによる無許可複製を作り売ったということらしいです。リトグラフ複製を無許可で制作する場合は、正規の複製(正規の贋作?)が沢山あるわけだから発覚しにくいわけです。今回の事件、いわば贋作の贋作事件でしょう。

この作者公認、制作限定サイン入り(でしょう多分)のリトグラフ複製が何十万ときには何百万で取引されているといいますから驚きです。版画を何枚か制作するというのは、これらはすべて本物でしょうけど、一枚物の作品のリトグラフによる複製は、作家本人が作ってない以上は贋作ですよね。しかも何枚も制作が可能ですから、このいわば公認贋作商売は画商、制作者、そして作家本人にとってもおいしい話でしょう。

今回の贋作事件、そもそもこういったリトグラフによる複製に高値をつけるような仕組みがあったから起こった事件でしょう。こういう独占的な仕組みを構築できる美術界は実にうらやましい世界です。門外漢から見ると、複製する権利は誰にも開放すべきで独占すべきではないと思います。ちなみにその贋作の贋作、技術の高い職人によるものらしいので安いお値段なら欲しいですね。(笑)