木島平小学校の2年2組の子供たちから何通ものお手紙をいただいて、ここ2ケ月ばかりの間に、季節のお手紙も含めて友人知人も含めて50通もの手紙を書いた。
そう言いつつも、担任の間嶋 朋子先生へのご返事が延ばし延ばしになっている、子供たちと同じレベルでの思いついたままには書けないほど、誠意あふれたおたよりだったからである。
木島平小にアメリカから贈られてきた「ソフィア」ちゃんのこと。佐久の泉小学校にも佐久穂町の佐久西小学校にも贈られているという。その数県下だけでも14校とか。
写真での見る限りでも洋服も幾つもありそうだったから、着せ替えなんだろうな・・・・。
昨夜夜半目覚めた。そして眠り付けぬままに私の懐かしい人形を思い出していた。
母に言わせれば「人形の好きな子」だったらしい。お炬燵に3つの人形を並べて添い寝をしていたらしい・・・・かすかに覚えている。
どんなにか、いいお母さんになるだろうと思われたのに、我が子を育てる時は髪振り乱して仕事漬けであった。子供の顔を見れば、早く寝て欲しいと・・・・思っていたに違いない。
昭和35年、4年生の時、私の飼っていたアンゴラウサギの毛が950円で売れた。なぜそんなに正確に覚えているかと言えば、ものすごくいいお値段だったらしい。
母がそのお金で、着せ替え人形を買ってくれた。30cmもあって白いハイヒールを履いていた。洋服はピンク。それまでの人形の頭は周囲だけに髪の毛があるだけだったが、その人形は全体に植毛されていた。
うれしくて、うれしくて・・・・正直、中学3年まで、机の片隅に座っていた。手作りの洋服も手編みのセーターも着せた。勉強に疲れると髪の毛を結ってやっていたりした。本当に大事なお宝だった。
実はソフィアちゃんの人形の写真を見るまで、すっかり忘れていた。
高校1年の5月自宅が火災に遭い自分の物は着の身着のままという無一物状態に・・・・・。それ以来物に対しての執着をしなくなった。
でも思い出だけは残っている。
娘の初節句のお雛様を買いにいった折り、実家の父に人形をねだった。それは私の宝者だった人形よりも何倍も素敵に見えた。たぶん娘を出しにしたに違いない。
だから一応所有人は娘だったから、いつの日その人形が消えたのだろうか分からない。
やっぱり人形は好きらしい・・・・・ソフィアちゃんの出現は私の忘れていた゛執着゛を目覚めさせたようだ。
真嶋先生のお手紙は、先日読んだ「瀬尾まいこ」さんの「ありがとう さようなら」の本を彷彿させてくれた。この本を手紙と一緒に送ろうと思った。
そして今朝の信濃毎日新聞の「普段でも着物を着たい」という投稿を読んでいて、最後のお名前を見てびっくりしたのだった。そこに真嶋先生のお名前があったから。
やっぱり素敵な先生なんだと心がほんわかしたのだった。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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そう言いつつも、担任の間嶋 朋子先生へのご返事が延ばし延ばしになっている、子供たちと同じレベルでの思いついたままには書けないほど、誠意あふれたおたよりだったからである。
木島平小にアメリカから贈られてきた「ソフィア」ちゃんのこと。佐久の泉小学校にも佐久穂町の佐久西小学校にも贈られているという。その数県下だけでも14校とか。
写真での見る限りでも洋服も幾つもありそうだったから、着せ替えなんだろうな・・・・。
昨夜夜半目覚めた。そして眠り付けぬままに私の懐かしい人形を思い出していた。
母に言わせれば「人形の好きな子」だったらしい。お炬燵に3つの人形を並べて添い寝をしていたらしい・・・・かすかに覚えている。
どんなにか、いいお母さんになるだろうと思われたのに、我が子を育てる時は髪振り乱して仕事漬けであった。子供の顔を見れば、早く寝て欲しいと・・・・思っていたに違いない。
昭和35年、4年生の時、私の飼っていたアンゴラウサギの毛が950円で売れた。なぜそんなに正確に覚えているかと言えば、ものすごくいいお値段だったらしい。
母がそのお金で、着せ替え人形を買ってくれた。30cmもあって白いハイヒールを履いていた。洋服はピンク。それまでの人形の頭は周囲だけに髪の毛があるだけだったが、その人形は全体に植毛されていた。
うれしくて、うれしくて・・・・正直、中学3年まで、机の片隅に座っていた。手作りの洋服も手編みのセーターも着せた。勉強に疲れると髪の毛を結ってやっていたりした。本当に大事なお宝だった。
実はソフィアちゃんの人形の写真を見るまで、すっかり忘れていた。
高校1年の5月自宅が火災に遭い自分の物は着の身着のままという無一物状態に・・・・・。それ以来物に対しての執着をしなくなった。
でも思い出だけは残っている。
娘の初節句のお雛様を買いにいった折り、実家の父に人形をねだった。それは私の宝者だった人形よりも何倍も素敵に見えた。たぶん娘を出しにしたに違いない。
だから一応所有人は娘だったから、いつの日その人形が消えたのだろうか分からない。
やっぱり人形は好きらしい・・・・・ソフィアちゃんの出現は私の忘れていた゛執着゛を目覚めさせたようだ。
真嶋先生のお手紙は、先日読んだ「瀬尾まいこ」さんの「ありがとう さようなら」の本を彷彿させてくれた。この本を手紙と一緒に送ろうと思った。
そして今朝の信濃毎日新聞の「普段でも着物を着たい」という投稿を読んでいて、最後のお名前を見てびっくりしたのだった。そこに真嶋先生のお名前があったから。
やっぱり素敵な先生なんだと心がほんわかしたのだった。
依田美恵子
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