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この時期の台所仕事

2022年02月17日 | 料理

またまた大雪予報が出ていますね。

今年は雪が多くて、雪国の皆さんは大変ですね。

私、用心のため雪が解けるまではお籠りしています。

せっせと越冬野菜を消費したり、野沢菜漬の煮物を何回も煮たり。

越冬野菜のさつまいもと人参が終わりました。

自家製の干しシイタケも終わり。

使え終えた時の満足感。

今日は最後のヤーコンを使い切るつもり。

一番豊富なのがじゃがいも。

人様に差し上げられるレベルではない小粒を丸ごと大鍋で茹でておきます。

熱いのを皮をむくのですが、スッーと夫の手が出てきました。

夫の手の平、熱いのに慣れていないですね。

長年の主婦は、熱いものに強い・・・・・顔の皮もかしら(笑)

今朝ジャーマンオムレツにしようとしたら、卵が足りません。

前日カキフライのタルタルソース用に茹でちゃったのね。

 

ただ今、冷凍庫発掘中です。

出てきました、竹の子が。

土佐煮になのか、煮物用なのか不明。

知人から竹の子の水煮の瓶詰をいただいて、冷凍より利便性がいいのを知り、昨年から瓶詰も始めましたど、昨年は不作で2瓶しかできませんでした。

今年は冷凍よりも、瓶詰にします。

と、捕らぬ狸です。

暮にいただいた百合根が3つ残っていて気になっていました。

夫に振るにはハードルが高くて。

それも使い終えました・・・・・まだ食べていませんが・・・・・百合根の茶わん蒸しもいいわねえ。

雪が振る前に買い物に行ってきます。

野沢菜漬の煮物・・・・・・少々懐古的な煮物ですので、昔風に煮ます、その食材を求めてです。

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この遅れどうしょう

2022年02月16日 | 日々のこと

昨日、午後は家で料理。

久しぶりにスーパーへ行ったら、「春」が目に付いてしまう。

牡蠣もホタルイカも生ひじきも。

大きなイカは、ワタと共にパスタにしたいわと。

もう献立無視。

前日、ペチャ豆を煮たので、2時過ぎから2胴おこわを蒸す。

その間に、大量の野沢菜漬けを水出しして、煮物とキムチ炒めにする。

今月お誕生日の90才半ば方、夫と共にご招待いただいていたが、ここ2年それも中止。

おこわにキムチ炒めに、やまぶきの山椒煮を夫が届けてくれた。

私も毎月顔をだしている先に、骨折で顔が出せていない。

90才も過ぎての一人暮らし、きっと心待ちしているだろうなと、おこわにキムチ炒めと、野沢菜の煮物・・・・・なつかしいと喜んでくれそう・・・・を持って、ディサービスから帰宅した頃を見計らって伺った。

すぐ食べれるものがうれしいと言う。

何とか一人暮らしをしていると、介護度もあがらない。

けど3度3度の食事は大変だろう。

このところの骨折騒ぎでお世話になった先にもお届けできた。

ところで・・・・・冷蔵庫に一杯の保存容器・・・・・これどうやって食べ尽くすの(笑)

いっぱい作りました。

でも、さすが疲れました。

まだ全開は無理なのねえ、きっと。

いろんなことに目を瞑っていたけれど、気になり始めました。

この遅れ・・・・・どうしょう(笑)

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平和の祭典の傍らで、世界の平和は?

2022年02月15日 | 日々のこと

久しぶりに出勤しました。

お家でのんびりヌクヌクしている経験が、今までの人生の中でなかったから、うれしくて毎日ゆっ~たりと過ごしていました。

少しだけやらなければならないことがあって出社したのですが、その仕事まで辿りつけません。

義母の有料老人ホームに夫が、支払に行くと言うので、義母の洋服や、おやつや身の回りの物を用意しました。

引っ越しの時、まったく何もしてやれなかったので、不自由しているものがないかと今朝部屋の中をチェックしました。

どうしているのでしょう。

移動は車イスにしますね、と言われたとか。

そうなると家に帰って来て、どうなるのだろう。

今まで、ギリギリ食卓に辿り着いていたのだけど。ばあちゃん車で3メートルの移動に難儀していたから。

心配。

 

オリンピック、カーリングを見始めたらおもしろい。

相手国の作戦の違いみたいなものがあって興味深い。

ズッと「メダルが期待されている」という形容詞が付いていた選手たち、プレッシャーが凄かっただろうね。

かわいそう。

平和の祭典の傍らで、世界の平和が脅かされている。

人類はなぜこんなに愚かなのだろう。

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バレンタインの前夜の話

2022年02月14日 | 日々のこと

日曜日、Cちゃんがバレンタイン用のチョコレートケーキを焼いてくれました。

温かいうちも美味しいからと3時のおやつにいただきました。

ミルクチョコレートとバターと牛乳で作ったそうです。

オープン使わなくてもいいケーキです。

おいしい。

うん?

ねえー、これ1つにどの位のチョコとバター入っているのかな?

ハイ、夕飯はさっぱりとお蕎麦にしました。

お供に揚げた天ぷらの8割が残りました。

気分は若いけど、私の胃は若くないことを思い知りました。

息子の所から、中1の釣った魚のお刺身が届いたのです。

テストが終わったので海釣りに行って来たそうです。中1とパパは釣りキチなのです。

魚を捌くのは、中1です。きれいなお刺身になっていました。アジともう一つは・・・・・高級魚だとか(笑)

ツマはママ作でしょうね。

夕食に間に合うようにお刺身が届き、その後メールで釣っている様子と釣果と捌いている動画と写真が送られてきました。

そして今朝は荒汁と、捌いた魚も焼いてくださいと届きました。

お魚がうれしいのね。

孫ちゃんが、マイ包丁で捌いているのだけど、刺身包丁プレゼントしたいわ(笑)

 

Cちゃんがオープンが欲しいわ、と言います。

アラーいいわね、と私。

今使っているのはレンジと兼用のとオープントースターです。

この兼用が使いづらくて、オープンとしてはほぼ使っていません。

 

私が高校生の時、ガス台に載せるオープンを使っていました。

クッキーにパンにグラタンにと、若い娘が憧れる物を作っていました。

当然嫁入りの時には持参。

新築した時システムキッチンにオープンが付いていました。

設置してくれた農協のガス屋さん、「この部品余りました」と50cmほどの銅管を置いていったと言います。

「えー、大丈夫なの」と不信感が募った私、結局一度も使いませんでした。

ある日帰宅したら、私の嫁入り道具のオーブンは無くなっていました。

まさか・・・・まさか買い直すなんてこと言えませんでした。

それ以来、オープンを使うパンとケーキ作りはあきらめました。

昨日Cちゃんが、粉ふるいがあるかと聞きます。

ハイありますよ、とお菓子作りの道具一式を取り出しましたら「道具だけはあるんだね」と。

えー、ほぼ新品・・・・・50年前のね。

買いに行く時は連れていってね、とCちゃん。

この春休みに使いたいわって。

いいなあー、私もパンを焼こうかな。

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キクイモのスピード漬け

2022年02月13日 | 料理

立春も過ぎました。寒い寒いと言っても、各地から花だよりも聞かれるようになりました。

そうなると、何が気になるかっていうと、冷凍庫の中身です。

それでこのところ、物色しています。

食べきれない野菜は、とにかく下処理をして冷凍してあるのです。

さらに煮物も。この頃どんどん食卓に登場です。

今朝は「うどの葉」です。

どなたかのブログで、少し大きくなったうどの芯の若葉を茹でて冷凍とありました。

胡麻あえにしました。

こんなものがの代表は、きゆうりでしよう。

きゅうりもスライスして1パーセントの塩で揉んで水分を絞って冷凍。

これはポテトサラダ向き。

さっと茹でて冷凍した、山椒の実は、ちりめん山椒や豚肉の炒め物に。

山椒の葉やバジルのペーストは、パスタやピザに。

バジルを大量に投入したトマトソースはパスタやピザやグラタンやシチューに重宝です。

この時期は野沢菜を細かく刻み、そこに刻みねぎを加えていただくのが、この地方の食べ方。

これがおいしいのです。

野沢菜漬けの樽を終わりにしたくて、キムチ炒めを量産中。

来週はこの野沢菜漬けを煮物にしなければなりません。

まだ手づかづの1樽があるのですから。

越冬野菜の白菜も、今月中には終わりにするべく、キムチを度々漬け、良く漬かったところでキムタクごはんにして消費拡大です。

 

 

先日、知人から「キクイモ」をたくさんいただいたので、料理法を教えてとメールが入りました。

私とて、そうそう知りません。漬物と、油で揚げて甘辛く味付けするのをメールしました。

キクイモはポピュラーな野菜でないので、レシピ本にはまずありません。

先日「週刊さくだいら」に高地清美さんのレシピが載っていました。

キクイモのスピード漬け

材料 キクイモ700グラム・セロリ200グラム・人参100グラム・昆布15cm1枚

調味料 醤油350ミリリットル・砂糖150グラム・酢50ミリリットル・みりん50ミリリットル

作り方 ①キクイモは洗い、薄くイチョウ切りにする。酢水に漬けてあく抜きをし、ザルに上げて水気を切る。

    ②人参は皮をむき薄くイチョウ切り、セロリは筋を引いて薄切りにする。昆布はハサミで細く切る。

    ③①と②をボウルに入れて混ぜ合わせる。

    ④調味料を鍋に入れて火にかける。沸騰したら③の上から回しかけ、蓋をして1晩置く。

漬けた翌日から食べられます。キクイモの代わりに大根でもOKです。保存は冷蔵庫で早めに食べきりましょう。というメモ付きでした。

道の駅などで見かけましたら、お試しください。身体にいいと言われている食材です。

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紀元2600年に植林した山

2022年02月12日 | 日々のこと

すっかり雪景色の佐久です。

また次の雪がやってくるみたいな空模様。

雪かきしないで済んだ年はありません。

今年は寒~い、なんて言うけど私は、毎日ヌクヌクと家ごもりしていました。

骨折から今日で1ケ月になり、少しずつ日常に戻してきました。

それでも、夫が家事をやつてくれているのを取り上げるのも偲び難く(笑)

甘えた毎日を過ごしています。

夫も試練の日々でしたが、予行練習になったのではと。

 

昨年の今頃は竹林の整備に励んでいました。

あの元気、骨折しなくてもあの元気はないかもしれません。

年々体力・・・・いや気力も落ちてくるものですね。

夫が退職してから、いろんなものを片付けてきました。

畑の小屋から始まって、公図片手に所有地の確認と整備、その一つが竹林でもあったのです。

そして今年は、山林を何とかとなくてはと考えていました。

どこだったかしらは、私。嫁にきた年に1度キノコ採りに連れていってもらっただけ。

夫はだいたいあの辺りだと。

義父の生前中、私たちの息子に界を教えてもらいました。

大きな台風が来た後、道が壊れて軽トラしか入れなくなってそれで息子だけ。

先日息子に聞いたら、分かるとのこと。

高速道路が通って山が変わってしまっているのです。

その山、義父が紀元2600年を記念して、カラマツを2600本植林したというのです。

私が嫁に来てからも、森林組合に間伐を2度してもらっていたはずです。

紀元2600年は昭和15年のこと、樹齢は80年を越えました。

どうなっているのだろう。

界あたりには赤松も植えられていました。

その赤松は松くい虫にやられている可能性も大です。

それならばそれなりの対処もしなくてはなりません。

木だって人間と同じ、樹齢80年は80歳なのです。

伐採するにも適期もあります。

孫の代に役に立てば、と思って植林したそうです。

木材価格は長い間低迷していました。

ここ20数年、プレカットの普及により、大工さんが手刻みするという建物は、一般住宅ではほぼ無くなりました。

赤松は、国内の木材では一番強度があり、梁として重宝されていました。

特に雪国では欠かせない木でした。

赤松は曲がっているので、プレカットでは無理、でも当初は大工さんがその部分を手刻みしていた時期もありますが、今あまり聞きません。

そこへきて松くい虫ですから。

暖かくなったら、とりあえず息子と夫と私、山に行って見ることにします。

どうやってもこのまま朽ちるまで置いておくことはできません。

義父が孫の代にはと植えた思いを叶えたいです。

そしてその後には息子が孫の代にと植林してもらいたいです。

問題は林道かなあ~、トラックが入らないことにはねえ。

やることが多すぎて、いつまでも安静にしている訳にはいきません(笑)

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集団免疫ってどうなの?

2022年02月11日 | 日々のこと

コロナの世界の感染者が4億人を越えました。

新聞に載る、世界上位10か国の数字を記録しているのですが、電卓をたたいてみました。

2月9日発表の数字、米国79.053.494人 死亡者909.016人 死亡率0.012% そして全人口のうちの感染者は23.4%。

つまり1000人のうち234人は感染したことがあるということ。人口は2019年のものを使いました。

同様にインドの死亡率も0.012% 感染者は3.1%

ブラジル0.024% 12.7%

フランス0.006% 32.5%

イギリス 0.009% 26.7%

ロシア 0.025%  8.8%

トルコ 0.007%  15%

イタリア 0.013% 19.4%

ドイツ  0.010% 13.9%

スペイン 0.009% 22.3%

そして日本 0.006% 2.8%

感染すると免疫ができるものだと思っていましたが、変異型には免疫が効果ないのでしょうか。

4億人というのは、世界の人口から見てかなりの割合です。2019年は78億7500万人だと約20人に1人です。

アメリカのジョンズ・ポプキンズ大の発表が世界のすべての国を網羅しているとは思えないので、実際の感染者も死亡者はもっと多いかもしれないと想像してしまいます。

100年以上前のスペイン風邪の死亡者が2000万とも4000万ともの数字をかなり前に目にしました。

今の医療体制はその頃とは違いますし、だんだんワクチンや治療薬も出てきましたので、そこまでにはならないでしょう。

また一方、当時より地球は狭くなり、人々の交流が増えています。

我が国の感染者数は発表されている国に比較して多くはありません。

集団免疫は、どの程度の感染者が出れば、そういわれるのでしょうか。

このまま、ズッとワクチンを打ち続けるようになるのでしょうか。

日夜努力をして、それらを解明してくださっている皆様、毎日増え続ける感染者に対応してくださっている皆様に感謝しています。

マスクにうがいに手洗いにワクチンを打つこと、そして不要不急の外出をしないこと、しかできないけど、感染者がだんだん近づいてきているようなこの頃です。

待っています・・・・・本当に春だなあって思える日を。

皆様もお気を付けくださいね。

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信州カラマツを宝に・・・・・続きの続き

2022年02月10日 | 信州の木材

「信州カラマツを宝に」シリーズは、2月3日の15回目をもって終了しました。

ロシアが高い関税を掛けたことにより、国内の木に脚光が集まり、長い不遇の時代ほ経ていたカラマツも伐られるようになりました。

それでも、搬出費用が高いので、山主に木の代金がたくさん還元されはしません。

木材価格が低迷していた時期、本来なら山全部を伐って、植林をして更新されなければいけない時も、あくまで間伐と称してオロヌキをしていたと思うのです。

本来なら皆伐したら、そこに植林をしなければなりません。

植林した後、下草刈りなど手がかかる、そうなんですお金がかかるのです。

僅かばかりの木の代金では賄えません。

いろんな補助金をもらったとしても、持ち出しになるでしょう。

広葉樹林なら、切り株から芽が出てきて再生されますが、カラマツにはそれがありません。

じゃあ自然に任せればとは簡単に言えません。

禿げ山は災害を起こします。

山を覆っていた土が雨で流されて、岩山になったら、そこに草木は生えません。

そして資源としての木材が必要なのです。

戦後我が国は世界中から木材を輸入して凌いできました。

我が国は木の文化だったから。

札びらを切ってよその国の資源を買える時代は終わりました。

ここのところ、木材価格は高騰しました。ひさしぶりにです。

太陽光発電で、道路脇の山林が軒並みパネルでおおわれてもいたりします。

かっては、木を伐れば植林がセットだったのですが、植林されない山が増えたのです。

赤堀さんも、植林されているのは、全体の3~4割と書いています。

私たちの親の年代は、持山の整備に通いました。

私たちの年代はそれがありません。ここに住んでいない不在地主も多いのです。

愛着もないし、自分の山がどこにあるかも知らないでしょう。

そんな時、売れます、という言葉がかかってきます。

周囲の山一帯を伐りたいからね。

私、伐られた山を見れば、ついつい植林されているかチェックしてしまうのです。

植林されていないことが心配なのです。

赤堀さんは、「伐ったら植える」をされた小海町の方を取り上げていました。

植林後10年間の保育作業は森林組合が請け負うシステムで。

かっては森林組合が全部把握していたのですが、その仕組みが解体されてしまったのですね。

 

県の林務部が試験的に植栽をしていると赤堀さんが、最終回で書かれていました。

これがとっても興味深かったのです。

試験地で植栽密度を通常の2~4倍で植栽。

いままでは、植林コストを下げるために、少なく植えることが奨励されていたからです。

本数を増やして、カラマツの主要用途の一つの杭材を10年程度で効率よく収穫することを目指す。

前にも書きました。北海道は平らな所に植えて、大根のように収穫していたと。

長野県は戦後の植林は山のてっぺんまで植えました。

そのため伐採コストもばかにならなかったのです。

これからは、従来の発想を止めて、大根のように収穫して、今の需要にそうことが求められていると思います。

でもねえ、この試験地まだ植えられて2年とのこと、先が長いです。

でも、カラマツを植林しない時期が結構あったから、私としてはうれしいです。

退屈な記事でごめんなさい、でもどこかに書き残して置きたいと、ついつい長く書いてしまいます。

カラマツを語り始めると、3日間はしゃべっていられる私です。

お読みいただきありがとうございました。

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信州カラマツを宝に・・・・続き

2022年02月09日 | 信州の木材

昨日、書きたいところまで辿りつけないままに、字数いっぱい・・・・・・長いのは読んでいただく方にご迷惑だから。

そんな訳で続きです。

30年ほど前、実家の父が東京の病院に入院した時、その話相手に義姉と義妹と私が毎日交代で付き添った時でした。

病室のテレビに「カラマツ」のドキュメント番組が流れました。

新緑の薄緑色が、夏の濃い緑になり、黄金色の秋から晩秋の濃い茶色に変わっていく美しい風景を見ていました。

戦前、戦中の荒廃した山に、長野はカラマツが植林されました。

それはまた、失業対策でもありました。

このカラマツ、寒冷地向きだったのですが、この当時は土木用材くらいの用途しかありませんでした。

ナレーションで「お荷物となったカラマツ」の言葉が流れて来た時、私は飛び上がる程びっくりしたのです。

お荷物なんて・・・・・・毎日カラマツと共に生きている私にとって考えられない言葉でした。。

新しい植林にカラマツが選ばれなくなったのです。

そうなると、どうなるか。

つまり若木が供給されなくなってきたのです。

戦後植林された木が間伐材の時期を迎えたのが、昭和50年代です。

それまで国内に十分な木材が無かった時代に、木材を使わない住宅が推奨されましたね。

高度成長時代、列島改造が進んで、国中で土木事業が盛んに行われた頃、ソ連からカラマツが入ってきていました。

海のない長野県でも、新潟や富山、もっと遠くの港から毎日トラツクで運ばれてきました。

そうこうしているうちに、国内の木を間伐しなければならない時期がきても、近くの山の木よりも、海を渡って陸路を走ってきた木の方が価格が安かったのです。

それが、昭和54年か55年の台風で、ガラリと変化したのです。

山の木が全面なぎ倒されたのです。

 

間伐の時期を通り、中目材の時期、そして伐期を迎えと、その都度、技術が進歩し、カラマツの用途も土木材だけでなく、建築材に広がって行きました。

その流れを赤堀さんはよく書かれています。

北海道の皆さんが、視察にこられたことがありました・・・・・かなり昔です。

長野県のカラマツの苗木を植えられて、製材して販売を考えられていた頃でしょうか。

その時、ツインバンドというワンマンの画期的な機械が出来て、生産能力は格段にあがったのです。

私は「製造することよりも販路拡大の方が問題」と語ったことを思い出します。

まさにカラマツ、ねじれという特性を持っていましたから、製品を長く在庫しておけなかいからです。

長野の悩みはいずれは北海道の悩みになります、とも。

でもひとつ大きな違いがありました。長野は高い山のてっぺんまで植林しましたが、北海道は畑に大根を作るように植林したと聞きました。

長野からたくさんの苗木が東北、北海道に運ばれ苗木で利益をあげたのでしょうが、それがライバルとなり長野の業者は大変でした。

そして先の「お荷物」の頃より、長野県での苗木の製造も極端に少なくなったと思います。

植林されなくなって、ここ何年も細い材木が無くなりました。

大変なんです、これが。

まだまだ本題にたどりつけません。

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「信州カラマツを宝に」を読んで

2022年02月08日 | 信州の木材

昨年の10月7日から、週1回信濃毎日新聞に掲載されている、林材ジャーナリストの赤堀楠雄氏の「信州カラマツを宝に」を興味深く読ませていただいている。

信州カラマツは、私の仕事の8割方を占めていたと言っても過言ではない。

平成20年に製材工場部門を閉め、木材の流通と建築の仕事に特化するまでの40年間、このカラマツと共に生きてきた。

誰よりもカラマツを愛し、先人が苦労して植林したカラマツを1本でも多く市場に載せたいと。

紆余曲折がありました。

 

今回の赤堀さんの連載を読みながら、その過去を思い出しました。復習していました。

興味のある方は、私の「信州の木材」のカテゴリーをご覧ください。

製材工場部門を閉めるには、あまりにも先の見通しがない国の方針もありました。

それで後継者に、木材と建築の仕事のどちらをやりたいかを選択させ、5年計画で工場を閉める計画だったのですが、結局3年前倒しになりました。

そこまでに持っていくには並大抵でない、水面下の準備が必要でした。

一番は社員です。

公にした日、仕入れ先に社長に同行して挨拶に伺い、そこで社員を雇ってもらうようお願いをしたのです。

「お宅で勤めていた社員なら」と仕入れ先から2つ返事をいただきました。

そして、社員に発表して、仕事先の確保はしたので、それぞれ自分が行きたい会社を選んでもらうようにしました。

これが一番心配でしたが、製材工ってある意味貴重なのですね。

製材機の音がなくなって、その静けさになれるまで2年かかりました。

工場を閉めてから、カラマツを取り巻く環境が大きく変わり、その変わりように驚きます。

それでも、日本の山の将来を考えると、これでいいのかと不安も感じます。

いえいえこんなことを書くつもりではなかったのですよ。

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