Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

お札が参拝券です

2007年08月12日 | 
 古都では多くの寺院の見学に訪れる。たいがい山門を入ってしばらく歩くと入場券売り場がある。どこの寺院の入場券売り場も志向がこらしてあり、さすがに現代建築のようなものはなく、なんとなく古都にふさわしい雰囲気をかもし出している。一般的には参拝券と称しているが、料金を払って入場する人々がすべて参拝するわけではないし、とりわけ外国人を含めて「見るため」にやってくる人が大半なのだから、入場券の方が理にかなっている。最近は電車の切符売り場のように自販機でチケットを購入するところも増えている中、奈良や京都の寺院では対人式の販売を続けてもらいたいものである。
 さて暑い中、砂利を踏みながら金閣寺の入場券売り場にたどり着くと、その窓口の上には大きな表示が出ている。
 「お札が参拝券です」
 暑い中、ボーっとしながら文字を読む。少なくても私にはこう読めたのだ。
 「お礼が参拝券です」
 そしてムッとする。「お礼」とはどういうことだ?私の払う入場料は「寺院に祀られる仏様にお礼をするために払うものであって、寺院に払うものではありません」ということか?
 だいたい暑いのである。人間、寺院にいるからといってもそうそう心が豊かになれるものではない。なんといっても煩悩で満ちた私であるのだから。再度、声を出して読んでみる。
 「お礼が参拝券です」
 さらに頭にくる。金閣寺は奢っているぞ。もう黙りこくってしまう。
 そこにチケットを三人分買ったカミサンが、やってきてこういった。
 「ここの入場券は、他の場所と違ってお札(おふだ)なのよ。飾っておかないとね。」といった後、小声でこういったのである。
 「さっき、お札(ふだ)じゃなくて、お礼(れい)って言ってたでしょう?」
 心の中でちゃんと答えた。
「はい、その通りです」
まったく恥ずかしい限りである。しかしお札(ふだ)ではなくて、お札(さつ)と読まなくて本当によかった。それこそ一世一代の恥である。