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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

佐野鋤のこと

2008年12月01日 | 
 佐野博美『佐野鋤・音楽とその生涯』(三一書房)を読み終える。忙しいときでも本は少しずつ読むようにして、それでも最近は1ヶ月2,3冊のペースになってしまった。この本は、東京の古本屋で見つけたもので、だいたい購入したとき、「佐野鋤」なる人物の名前の読み方も知らず、当然のことながらこの音楽家のことは全く知らなかった。ちなみに「鋤」は、「たすく」と読む。この本を手にとり、パッと開いた頁が《ジャワのマンゴ売り》という戦前歌謡について書かれた部分で、「この人、戦前にインドネシアと関わった人なのかな?」程度で購入して読み始めたものである。
 本というのはまことにありがたいもので、多くのことを教えてくれるものである。まず、戦前の西洋音楽に関する専門的な音楽教育は、東京音楽学校とステレオタイプに考えていたのだが、デパートの音楽隊がかなりの音楽教育に貢献したという点についての知識はこの本から初めて知った。日本の近代音楽史の常識なのかもしれないが、少なくても私にはそんな常識はなかった。
 もっと驚いたのは、この佐野鋤なる人物は、戦前のジャズ界に貢献し、戦前、戦後の歌謡曲の作曲や編曲をしているのである。戦中、南方に派遣された「皇軍慰問芸術団」として、東南アジア各地を巡り、そのことがきっかけで、多くの南方の音楽作品を採譜したり、編曲したりしている。インドネシア関連だけでも相当にあり、たとえば、渡辺はま子の歌った《ブンガワン・ソロ》、《ラサ・サヤン》、《ノナ・マニス》、《サプ・タンガン》などはすべてこの人物の編曲、作曲作品には、かの有名な《ジャワのマンゴ売り》、それに《ガメラン夜曲》なんていうのもある。
 こうして新しい知識を得れば、また新しいテーマの研究がしたくなってしまう。とくに「皇軍慰問芸術団」なんていうのは私には心がときめくようなテーマである。クラシックの世界の作曲家は音楽学では研究対象になるのだが、ポピュラー音楽と関わった人々は、服部良一などの一部の人々を除いてはなかなか注目されないのが現実だ。この本の著者は、私が卒業した大学の先輩で、佐野鋤のご子息である。父親からの聞き書きを中心にしつつも、さまざまな実証的な資料にももとずいて書かかれている本書は、日本のポピュラー音楽の近代史研究にとって重要な貢献であろう。