Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ビックマック・カニバーガー

2007年08月15日 | 
 お盆にカミサンの母親の十三回忌でお墓参りにいった帰り、親族で会席料理を食べる。74歳の義理の父から、2歳の甥っ子までの総勢10人。とんでもなく賑やかである。特に2歳と5歳の甥が、おとなしく1時間も椅子に座っているわけはない。10歳になった息子がやっと席を立たたずにいられるようになったのだから、当たり前である。
 さて5歳の甥が席をまわって集めはじめたのが、厚紙のコースターとカニの形をした陶器の箸置きである。全員のものを集めると、個室の床に座って、「カニ屋さんごっこ」をはじめた。コースターをカニの入った皿にみたて、その上にカニ型の箸置きを並べるのである。「いらっしゃいませ」と声を出して、店屋の主人となる。それを目の前に2歳の甥はきょとんとしている。しばらくすると子どもは一つの遊びに飽きるものだ。この二人もごたぶんにもれず、「カニ屋さんごっこ」を放棄して別の遊びに夢中になった。
 ところがである。数分すると5歳の甥がとんでもない「オブジェ」を制作して、私たち大人に見せたのだ。コースターの間に2個のカニ型箸置きをのせ、その上にまたコースターを置き、またその上にカニの箸置きをのせて、再びコースターでサンドする。これが何重かになっている。そして彼はニヤリと笑ってこういったのだ。
 「ビックマック・カニバーガーだよ。」
 なんということだ。5歳の子どもがマクドナルドの製品をもじって新たな製品名を考えているのだ。作品もさることながら、私が驚いたのはこの名称である。マック(あるいはマクド)は、グローバルな食品として有名である。ヨーロッパに行ってもアジアに行っても、マクドナルドを目にしないことはない。悪く言えばアメリカ発「帝国主義」バーガーの火付け役がマクドナルドである。5歳の甥は頻繁にマクドナルドに行くわけではない。たまたま最近、新聞の折込広告のクーポン券をじっと眺めたに過ぎないのだ。しかし彼の脳には重層構造のビックマックがしっかりと刻み付けられた。ビックマックを食べたことのない子どもに、その名称とイメージを記憶させてしまうマクドナルドの戦略は偉大である。だからこそ、マクドナルドは「帝国の覇者」になりえたのである。


おみやげについて考える

2007年08月14日 | 
 おみやげは大きくその種類を二つに分類できる。一つはその地域独特の「特産品」である。沖縄でいえば、紅型、琉球漆器、壺屋焼きなどがあるだろう。その一方で、どこにでもあるようなおみやげもまた存在する。たとえばキーホルダー、ストラップ、絵葉書、一昔前はペナントや通行手形などもそうしたお土産ものだった。
 さて奈良や京都といった古都を歩くと、やはり沖縄と同様に、特産品とはいえないようなお土産が、お土産屋の軒先を占領していることに驚く。キャラクターものを登場させるこの種のおみやげは、「琉球リカちゃん」のように、その土地独自の「何か」を一つ用いることで、地域限定の付加価値をつける。リカちゃん人形は、ジャパン・グローバルだが、エイサーの格好をして,パーランクーをたたくリカちゃんは「沖縄限定」である。
 それはそれで地域色がないわけではない。わかりやすいキャラクターであるからこそ、ディープな伝統工芸品よりは、若者のお土産としては的を得ているのかもしれない。しかも、大量生産で値段が安い。地域限定とはいえ、たぶん作られている場所はどれも同じであろう。
 さて京都で私が気になったのは、キャラクターにどんな付加価値をつけて「京都らしさ」を表象しようとしたかである。この写真が語るように「舞妓」、「弁慶」、「牛若丸」、「生八橋」、「新撰組」、「抹茶団子」などなど。確かにどれも京都と無関係ではなさそうだ。しかしこれらを買う若者たちは、弁慶と牛若丸、新撰組については京都との関係を正確に説明できないだろう。「京の五条の橋の上・・・」なんて歌えないだろうし、池田屋といっても、インテリアのIKEAと勘違いするかもしれない。
 しかし、目玉おやじが新撰組の袢纏をきたストラップを携帯につけて、毎日それを眺めながら京都に行ったときのことを思い出すならば、それでいい。お土産をもらった人が、くれた人が京都から買ってきてくれたのだと思いだせるならばそれでいい。


いざイノダコーヒーへ

2007年08月13日 | 
 先週の水曜日、京都四条烏丸にあるホテルにチェックインして少し休んだ後、家族と散歩に出た。行き先は、というと三条堺町の「イノダコーヒー」である。息子にとっての京都は、このコーヒー屋から始まっており、息子と最初の京都散策はまずはこの店から始まらなくてはならなかったのである。
 イノダコーヒーは京都の老舗コーヒー屋の一つであるが、わが家にとってこのコーヒー屋は、フォーク歌手の故高田渡の有名な《コーヒーブルース》に登場する喫茶店でもある。60年代のフォークソングの素朴なメロディーは覚えやすく、家でかかっているうちに子どもはすぐに記憶してしまった。そして小学校低学年から意味もわからず「三条堺町のイノダってコーヒー屋へね。」と繰り返し口づさむようになってしまった。息子にとってフォークソングの原点も高田渡であり、《自転車に乗って》や《コーヒーブルース》なのである。
 四条通りから三条通りへ向かいながら、まず息子に京都の道路の名称について教える。そして堺町通りに出ると、三条堺町というのが、「三条通りと堺町通りの交差する付近」であろうことを話す。二人で道路の標識を確認しあう。
 そして・・・イノダコーヒーに到着する。なんだか連れて行った親の方が感動してしまっている。しかし息子の方は結構冷静沈着、無言で店屋に入って売られているコーヒー豆などを黙って眺めている。
 さて後日、息子に感想を聞いてみた。
「高田渡の歌を聞いていたときは、もっと小さくて、安っぽい店だと思っていたんだけど、あんまり高級なお店だったので、少しぼくの考えていたイメージと違ったかな・・・」
 確かにそうかもしれない。私も最初にこの店に入ったときは、高級感あふれるたたずまいと、値段の高さに驚いた。なんとなく高田渡の庶民的な歌とのズレを感じたものだ。
 どちらにしても現場に行くというのは重要なことだ。私のような民族音楽学者が常に現場で音楽を学んだり、調査したりすることは当然のことだが、歌の歌詞に出てくる場所だけでも、あるいは石碑一つを見るだけでも、現場にいくことでそれまでの見方や解釈が変わるはずだ。
 私は息子をイノダコーヒーに連れていってよかったと思っている。それによって彼の持っていた高田渡や《コーヒーブルース》に対するイメージが変わったとしても、それはそれでいい。解釈するのは彼の自由だし、解釈するための素材は多ければ多いほどいイノダ。

お札が参拝券です

2007年08月12日 | 
 古都では多くの寺院の見学に訪れる。たいがい山門を入ってしばらく歩くと入場券売り場がある。どこの寺院の入場券売り場も志向がこらしてあり、さすがに現代建築のようなものはなく、なんとなく古都にふさわしい雰囲気をかもし出している。一般的には参拝券と称しているが、料金を払って入場する人々がすべて参拝するわけではないし、とりわけ外国人を含めて「見るため」にやってくる人が大半なのだから、入場券の方が理にかなっている。最近は電車の切符売り場のように自販機でチケットを購入するところも増えている中、奈良や京都の寺院では対人式の販売を続けてもらいたいものである。
 さて暑い中、砂利を踏みながら金閣寺の入場券売り場にたどり着くと、その窓口の上には大きな表示が出ている。
 「お札が参拝券です」
 暑い中、ボーっとしながら文字を読む。少なくても私にはこう読めたのだ。
 「お礼が参拝券です」
 そしてムッとする。「お礼」とはどういうことだ?私の払う入場料は「寺院に祀られる仏様にお礼をするために払うものであって、寺院に払うものではありません」ということか?
 だいたい暑いのである。人間、寺院にいるからといってもそうそう心が豊かになれるものではない。なんといっても煩悩で満ちた私であるのだから。再度、声を出して読んでみる。
 「お礼が参拝券です」
 さらに頭にくる。金閣寺は奢っているぞ。もう黙りこくってしまう。
 そこにチケットを三人分買ったカミサンが、やってきてこういった。
 「ここの入場券は、他の場所と違ってお札(おふだ)なのよ。飾っておかないとね。」といった後、小声でこういったのである。
 「さっき、お札(ふだ)じゃなくて、お礼(れい)って言ってたでしょう?」
 心の中でちゃんと答えた。
「はい、その通りです」
まったく恥ずかしい限りである。しかしお札(ふだ)ではなくて、お札(さつ)と読まなくて本当によかった。それこそ一世一代の恥である。

旅行と季節

2007年08月11日 | 
 奈良と京都はとてつもなく暑かった。天気予報の最高気温予想は34,35度だったし、たぶんコンクリートの照り返しも手伝って、街中では体感温度はもっと高かったのではないだろうか?両方とも盆地であり、沖縄のように海風が常に吹いているわけでもない。とにかく暑さの中に立つと、時間をねっとりと感じるのである。水面がとろりと感じるようなそんな時間の感覚である。法隆寺の回廊を歩きながら目を瞑ってみる。蝉の鳴き声が鼓膜を刺すように聞こえてくる。汗が額を流れるのを感じる。
 暑い奈良と京都・・・、夏に行けば暑いに決まっているわけで、文句を言うなら涼しい時期に行け、と言われそうである。しかし、私はこの時期の古都が好きだ。というよりはこの時期だからこそ、私にとっての古都なのである。
 私が最初に奈良と京都に行ったのは、小学校高学年の夏休みで、弟とともに母に連れられて古都をめぐった。私の記憶の中にはとてつもなく暑かった古都の記憶が残っている。今から35年近くも前の話である。当然のことながら、冷房施設はほとんどなかった。のどが渇けば、アルミ製の水筒に入った生ぬるい水を飲んだ。このときの旅はもう一つの大事件にみまわれた。奈良滞在中に祖母が危篤になって、朝早く奈良を発って、新幹線で座る椅子もなく、東京まで急ぎ戻った記憶がある。その祖母は危篤を乗り越え、今95歳である。
 最初に旅行にいったときの季節というのはとても重要だ。その季節がその土地のイメージを旅行者の中に作り出してしまう。6月に金沢に行ったときにそれを強く感じた。最初にいった金沢は寒い時期だったこともあって、梅雨の金沢に降り立ったとき、なんだか妙な違和感があった。今回の古都めぐりは、まさに自分の中でイメージができあがっている奈良、京都とまさにぴったりである。先日の祇園祭もそうだったが、今回の季節はさらに幼少時代の古都体験と重なるものがある。
 息子もまた私の幼少時代と同じように、真夏に古都を訪れた。二人で何度も寺院の参道で目を瞑った。彼の脳裏にも蝉の鳴き声が刻みついたはずだ。私と同様に、古都はきっと暑い夏と強く結びつくに違いない。

京都の鹿

2007年08月09日 | 
 仕事の前に北山の金閣寺に行く。10数年ぶりの金閣寺であったが、やはり以前と同様、いわゆる成金趣味の金ぴかさに満腹になってしまう。それにしてもすごい観光客である。西欧人(少なくとも英語圏、ドイツ語圏、フランス語圏は確認した)、韓国人、中国人などなど、外国人観光客の比率もかなり高い。彼らは自身でやってくる者もあれば、通訳同伴で解説を聞いている者もいる。耳をすますと、蝉の鳴き声とともに通訳の英語も聞こえてくるが、それぞれ特徴があっておもしろい。京都観光の通訳スペシャリストたちだろうからそれも当然である。
 ところで、この寺は金閣寺といわれるが、これは通称であって本当は別の名前がある。大学入試で日本史を選択するときっと覚えるのであろうが、その正式な名称は「鹿苑寺」である。ちゃんと入り口には、金閣寺が通称であることが墨書きされているのだが、暑さの中、黄金に輝く金閣寺を見ようとやってきた観光客にはそんな文字は目に入らない。「鹿の苑」は、鹿の公園を意味するが、もちろんここには奈良のように「本物」の鹿はいない。だからお土産屋にも奈良と違って「鹿グッズ」は置いていない。
 金閣寺の庭園を散策しながら、ふと、人間が鹿のように思えてきた。庭園のところどころにある「お守り」を販売する店(正確にはお守りは販売されるものではないと思うが)、お土産を売る店、お茶屋などに観光客が群がっている。金閣寺は最後の一箇所ではなく順路内のところどころにこうした店をうまく配置しているのである。いうなれば、この数箇所の売店は、奈良公園の各所に点在する「鹿せんべいの売店」である。そのまわりに群がる奈良の鹿と、金閣寺の庭園内の売店のまわりにあつまる観光客はあまり変わらないような気がしてきた。「お守り」や「お土産」を「鹿の餌」と同じだと表現するのは不謹慎きわまりないのだが、思えば思うほど、私には鹿苑寺の観光客が、鹿に見えて仕方ないのである。そう考えると、鹿苑寺という名称にも納得がいく。

奈良の鹿

2007年08月08日 | 
 9日に京都で仕事があることから、一日前に奈良を久しぶりに訪れた。観光定番の東大寺、正倉院、法隆寺を半日でまわる。夏の暑い時期のせいか、正倉院と法隆寺はほとんど観光客がいない。法隆寺の観光客は外国人の方が日本人観光客より多かったかもしれない。外国人が多いとなんだか海外の観光地に来ているような錯覚に陥る。
 奈良公園はあいかわらず鹿だらけだった。二千匹以上の鹿がいるらしい。見た目はとても愛らしいのだが、鹿せんべいを購入した瞬時、鹿たちは猛獣と化す。あの薄いせんべいをめがけで殺到し、たいがい子どもは、ウサギにキャベツの葉をあげるような気持ちで鹿せんべいを食べさそうとするのだが、怪しい目つきの鹿を前にしてせんべいの束をほうりなげて親元のところに半べそをかいて逃げてくるのである。鹿はなかなか危険な動物である。奈良公園のそばに住む住民達はきっと動物園にいっても鹿だけは見ないと思う。鹿の本性を知り尽くしている人間は、かわいこぶりっこをしている動物園の鹿をみても面白いはずがない。
 さて奈良のお土産であるが、ともかく鹿、鹿、鹿の鹿三昧である。鹿せんべいは、鹿の食べるせんべいの名称としての専売特許を得ているために、人間の買うおみやげの名称にはなっていないが、ともかく「鹿もの」は食べ物から飾り物までいっぱいある。特に目をひくのが、鹿のキーホルダー、飾りもの、ストラップなどなど、お土産屋の軒先には所狭しと「鹿もの」が吊り下げられたり、置かれたりしている。
 驚いたことに東大寺の回廊内のお土産屋にもそんな鹿のさまざまなお土産が売られている。回廊内は大仏という神聖な仏様を拝むために入場券を購入して入ることのできる場所で、わたしとしては「参道」とは一線を画していると考えている。しかも値段が外の参道の店より同じものでも少々高いのである。私は写真ビニール製の鹿がとても気に入ったのであるが、回廊内のものは100円高かった。なぜ入場券を買って入った東大寺の中の店の方が高いのか。東大寺の中で買ったという付加価値分が100円なのか、それともビニールの質が上等なのだろうか?結局、そんなことを考えているうちに買う気がうせてしまった。息子は息子で「まさか買わないよね。お父さん、冗談だよね」という。まだまだ「楽しいお土産」が息子には理解」できないようである。

映画館

2007年08月07日 | 東京
 最近の映画館は大きな建物で複数の映画が見れる形態が多い。特に郊外では大きなショッピングセンターに併設してこの映画館が併設している。那覇でも、那覇市郊外でも同じである。また現在、居候している国分寺周辺にもたくさんこの種の映画館をみかける。
 昨日、仕事で三軒茶屋に出かけたが、とても素敵な映画館を見つけた。写真の三軒茶屋中央劇場は表通りから50メートルほど入った細い路地にたたずむ。ほぼ一週間ずつ映画は新しいものに変わっていく。この映画館では1970年代製作の北欧の人形アニメ「ピンチクリフ・グランプリ」とナチ時代を描いたオランダ映画「ブラックブック」である。だいたい二本立てなんて映画館は最近すっかり影をひそめてしまっているから、とても懐かしい。映画館の上には大きく特選映画封切場と看板が出ているが、はたしてこの二本は本当に封切映画だろうか?もっと驚くことに、この映画館の向かいには三軒茶屋シネマがあり、こちらは完全な名画座である。今週は「硫黄島からの手紙」と「東京タワー」の二本立てである。
 この二軒の映画館は明らかに古い。正直いって若いカップルがデートで利用するならば、地下鉄で二駅、160円払っても大スクリーンのある渋谷に行くだろう。映画が終わってデートをするにも、三軒茶屋よりある意味ずっとおしゃれである。だいたいこの映画館で上映している映画はマニアックで、よほどの映画好きでなければわざわざここまで足を伸ばさない。しかし映画館がどれも巨大化してシネマ・プレックスとなり、大きな建物に入ってから宣伝用の広告の前で、「さて、今日は何を見るか?」なんて選択ができるようになった今、いわゆる単館ものの映画館は貴重になった。
 沖縄の映画館は戦後、映画だけでなく沖縄芝居も上演したそうだ。だから映画館は今でいう芸術センターだった。たくさんの人々が集まり、道路の名前も映画館の名前を冠したものがある。那覇の中心街に「沖映通り」というのがあるが、今は映画館は跡形もない。
 三軒茶屋の映画館はいつまでこうして営業を続けるのだろう?246号線と世田谷通りの間の時間がとまったような古めかしい商店街はいずれ、周りの景色と同じように高層ビルへと変貌していくのだろうか。それを嘆く資格などまったくないのだけれど、自分の好きな素敵な風景がもしなくなってしまうのか、と思うと少し寂しい。次に三軒茶屋に行くときは、あの映画館でゆっくり映画を見ることにしよう。


祭囃子

2007年08月06日 | 東京
 しばらく東京に仕事の場を移す。羽田空港からリムジンバスで立川に降りると、昨日はちょうど年に一度の「立川よいと祭り」の日で、いつもより街は賑やかである。先月は祇園祭、8月の沖縄では現在エイサー一色、そして東京では着くなり祭礼とは、このところ祭りづいている。立川のこのまつりは、今年が19回目だそうで、とりわけ昔から行われているものではない。たぶん地域振興などで平成に入ってからは始まったものだろう。毎年続いている祭りであれば、今回の19回と平成19年はぴったり同じである。
 この祭りであるが、サブタイトルは「光と音のシンフォニー」である。私が見たのはまだ明るい時分だったので、「光」の部分はよくわからないが、立川の一部で行われていたお盆の「松明行事」を復活させたり、万灯みこしが繰り出したりするという、なかなか盛大なイベントが毎年行われているようだ。
 さて、私が気になるのは「音」の部分である。プログラムを見ると、立川市内を中心とした吹奏楽団、鼓笛隊、太鼓グループ、そして「よさこい系」のなるこ踊り、お囃子などがプログラムを埋めている。地域の新しいお祭りでは、西洋音楽系の吹奏楽は定番である。市内の学校とか、消防庁、自衛隊のグループが地域貢献などで参加することが多い。鼓笛隊もよくありがちだ。これは行列する西洋音楽系パフォーマンスである。さて日本の音楽では、まずは太鼓。現在は日本各地に存在する和太鼓系の組太鼓である。この芸能は戦後に確立したかなり新しい日本の芸能ジャンルである。そして「よさこい系」のなるこ踊り。これは高知の「よさこい」が、大学生などの活動から各地に広がり、全国展開を見せている。その点では、「和太鼓」も「よさこい」も北は北海道から、南は沖縄まで広がりを見せる「ジャパン・グローバル」な日本の芸能である。
 しかし、私がもっとも心を動かされるのはなんといってもお囃子である。江戸囃子の系統を組んだ祭囃子が私の育った多摩地区には多い。たくさんの囃子連があり、神社の祭礼のごとに演奏される。私の祭りの記憶は、囃子の音だ。祇園囃子もエイサーも、日本人としての自分の原風景なのだ、とは到底考えられない。東京からの距離は京都と沖縄ではかなり違うし、その響きもパフォーマンスも違うとしても、やはり私にとっては、ある意味、京都と沖縄の芸能は「わたしのもの」ではない。多摩のお囃子が演奏できるわけではない。しかし、それを聞くと「私の夏」がやってくる。そして昨日、私のある意味で「ほんとうの夏」が到来したのである。私の横に立って不思議そうにその演奏を聞く息子にはそんな私の気持ちはわかるまい。しかし私と違ってもそれでいい。季節の音を感じてくれる耳をもってくれればそれでいいのである。「彼の夏」は、エイサーの練習の音が街に響きはじめる7月の中旬には、すでに始まっているのだろう。

民族音楽ゼミ(蝉)

2007年08月05日 | 
 3日から一泊二日で沖縄県の研修施設へ民族音楽学のゼミ合宿に出かけた。3日の午後から4日の午前中までゼミの発表が続く、なかなかハードな合宿である。しかも少年用(ようするに高校生までが利用する)施設であるため、基本的に夜10時半消灯というあまりにも健康的な施設である。しかも基本的には食堂以外の室内での飲食は禁止である。さらに驚くべきは、1泊2食で2000円程度というとんでもない安さである。
 午後1時頃に施設に着き、オリエンテーションを受ける。こういう施設ではこの行事は義務である。そのとき、施設の人がその晩宿泊する宿泊団体の名称を書いたボードを壁にかけはじめた。当然、私たちのグループもそこに書かれている。なにげなくボードを眺める。
「県立芸大民族音楽ゼミ様」
 なにもおかしくない・・・ん?あれ?どこかが・・・いや、おかしいぞ。これは間違いである!
 私たちは民族音楽学ゼミナールであって、民族音楽ゼミナールではない。ゼミナールは短縮形「ゼミ」を使って問題ないが、民族音楽学の短縮形は「民族音楽」ではない。この学問と関わる者にとって「民族音楽学」と「民族音楽」は大違いなのである。民族音楽学は民族+音楽学であって、民族音楽+学ではない。だいたい「民族音楽」という言葉の定義が曖昧である。しかしそんな専門的なことを研修施設の人にいって、訂正を求めるのは大人げない。
 しかし「民族音楽ゼミ」という文字をながめているうちに、なんだかそんな蝉の種類のように思えてきてしまった。そんなことを考え始めると、研修施設の森で鳴く(鳴きわめくという表現の方が正確であるが)蝉の声が妙に気になる。沖縄の蝉は本土の蝉とは種類が全く違う。とにかくどの蝉もジージーいうだけで、鳴き声のバラエティーにやや欠けているように思える。民族音楽蝉とはどんな蝉であろう?五音音階でなく蝉は世界のどこかにいるのだろうか。そしてこれもやはり民族+音楽蝉なんだろうか?