Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

アヒル料理を食べる~ミッションその1

2013年04月13日 | バリ

 バリ修学旅行でこなすべきさままざなミッションの中には、「食べ物」に関するものが多かったが、その一つが、アヒル(bebek)料理を食べるというミッションだった。
 バリでアヒル料理といえば観光ガイドにも書かれているウブドのベベッ・ブンギルであろう。しかし、我々が向かったのはそこより数倍おいしく(個人的な感想であるが、すでに何人かの日本人、バリ人も同様な感想を持っている)、値段も安い(これは明らか)、ベベッ・レスト Bebek Restoに行ったのだった。この店、あまりにも看板が小さく、しかも入口は狭く、知らなければ通り過ぎてしまうような場所にある。
 頼んだ料理は、アヒル肉のペペス。まじで美味い。「ヤッベー」と感嘆してしうまうほどである。すでに肉は骨から外されているし、味付けも最高。皆大満足のミッションその1クリアー。ちなみにメンバーの多くは羽田から朝7時過ぎにバリについて、昼に食べたのがこの料理。最初から飛ばしまくります!


ありがとう

2013年04月11日 | 大学

 大学にはまだガムランを演奏する組織はありませんが、12月くらいから自主的に集まって練習を始めたことは、このブログの中にも書いたと思います。今日は今年度初めてのみんな揃っての練習。ガムラン部屋もないので、毎回、9階の研究室から4階の講義室にガムランを運んで練習します。いつもと同じように学生たちは台車でガムランを運んで行き、私は仕事があって少し遅れて練習部屋に出かけたのでした。遠目にみると電気真っ暗。「あれ、教室違ったっけ?」とのぞき窓から中を覗いた瞬間、ものすごいクラッカーの音。あまりの驚きに手に持っていたクンダンを落としそうだった!
 学生たちが私の誕生日を祝ってくれました。そりゃあ、びっくりですよ。沖縄の大学にいたときは、ガムランの学生や卒業生とはある意味、ゼミの学生よりも近い関係(だって毎週2回、会ってるわけですし、演奏にもでかけましたから)でしたけど、新しい大学の学生たちとは、まだ沖縄時代とはちょっと違う距離だと思っていたので。
 風邪気味で、結構きつかったんですが、本当にうれしかったよ。みんなありがとう。1年前、ガムランをこの大学で演奏するなんて考えられなかった…。それが1年足らずでこうしてまた新しい仲間とガムランの演奏ができています。沖縄でもそうだったように、ガムランとガムランを演奏する仲間がいるから、がんばれます。楽しそうに演奏する学生たちを見て、病気が快復していない頃、沖縄に赴任してガムランを始めたときのメンバー、一人ひとりを思い出しました。ぼくはあのとき、そんな皆に支えられて、不慣れな沖縄の地に馴染んでいったように、今、この浜松にも馴染もうとしています。ガムランとその仲間は、私をその地に引き込む大きな「力」です。だから、沖縄のみんなにも、今、ここでガムランをはじめた浜松のみんなにも、本当に感謝しています。「ありがとう」はそんな皆への気持ちです。


バリ修学旅行でのミッション特集

2013年04月11日 | バリ

 先月末に数日間ですが、Pのワヤン一座のメンバー(1名欠席)とともにバリへ「大人の修学旅行」に行ってまいりました。学会の準備以上に入念に打ち合わせを繰り返し、個々人のミッションを一つずつクリアすべく、バリに旅立ったのでした。ということで本日から数回、ちゃんとクリアーできたミッションについてご報告(別にどうってことないかもしれませんが)することに致します。

 ところで、私がバリに到着したのは、3月28日の夜。バリではガルンガンという祭礼の三日目(マニス・ガルンガン)だったことから、空港のタクシー待ちがたいへんでした。だいたい儀礼でタクシーの運ちゃんがいないし、いても勝手に客引きしているわけですね。世界的観光地のわりにはホスピタリティー最低です。
「ほら見てみろよ、あの列をさ。TAXIカウンターなんかに並んだら1時間も待たなきゃならないぜ。早くホテルで休みたいだろう。時間がもったいないよ。ぼくはあのタクシー料金の2倍でいくよ。どうだい?」
 こんな感じですかね。Pはそんな甘い誘惑に負けませんぜ。そりゃあ、運ちゃんが超かわいい美人とかだったら、フラフラっとついていっちゃうかもしれないけど、みんなギラギラしたおっさん達だからね。1時間待ちました。そりゃあ疲れましたね。でも自分に、そしてバリに勝った気がしました。ということで、ミッションのクリアー特集、始まります。


健康管理

2013年04月10日 | 家・わたくしごと

 50歳も過ぎると何よりもまず健康管理。かつては毎年巡りくる健康診断におびえ、健康診断の日に風邪でもひけばいいのに、なんて思ったものだが、ダメなものはダメなので、最近は度胸も座り、血液検査、バリウムなどなど「なんでも来い!」の勢いである。まあ、ようは不健康ってわけさ。中でも血圧はどうにも下がらない。
 「簡単にあげることはできても、下げることができないのはなあに?」
ってなぞなぞがあったら、その答えは「権力」と「血圧」。上にのぼり詰めた権力を持つ人間は、そうそう簡単に高い場所を譲らない。それに塩味の濃いもの、がんがん食べ続ければ血圧は上がるんだろうけど、今度はなかなか下がらない。
 Pは晩秋までは、真面目に朝晩、血圧を測っていたのだった。ちゃんとノートにつけて、お医者さんに毎月持って行き、「しっかり続けなさい」と微笑みながら、ノートを返されたものだった。ところが冬になったら、しばしおサボり。だって朝寒いのに、薄着で血圧なんて寒くて測れんさ。夜だって2枚も3枚も服着てるから、その上からじゃ血圧は測れない。もちろん医者に怒られるのだが、「寒いからサボりました」って真面目な顔して医者に口答えするP。ダメでしょう?ねえ。
 4月8日の誕生日から僕は生まれ変わったよ。食事もとり、仕事もするこの作業机のテーブルクロスとテーブルカバーの間に入れられた文字を毎日見るんだ。必ず、4月末の通院のときには、しっかり書き込まれた血圧ノートをお医者さんに持っていくよ。そしてまた先生に「がんばって続けなさい」って言われてさ、やさしく微笑んでもらうんだ…。人間っていくつになっても、褒められるとがんばれるもの。


誕生日

2013年04月08日 | 家・わたくしごと

 今日、東京から浜松に出張に来る友人とご飯でも食べることになっていたのだけれど、多忙な友人は結局、東京にトンボ帰り。「恐れていた」一人の誕生日。ちょっと大げさかもしれないけれど、いつも誰かに囲まれていて、賑やかな4月8日を過ごしていたから、一人の誕生日なんて想像できなかったのかも。
 考えてみれば同じ24時間なのにね。毎日、大学に仕事に行って、ボーッとしながら帰って食事を作って、小声で囁き続けているくらいの音量で流れるラジオやCDの音世界の中で本を読んだり、書き物をして、眠たくなったら布団を敷いて寝るっていう浜松の生活。それでいいんだって。だから特別なことはしないと決めて出勤したのです。今日はハレの日なんかじゃないし、何も変わったことなんてないんだ。5時近くまで、ぼくはひたすら机に向かって仕事をして…自分の目論見通り、なにも、なんにも、何一つ変わらない時間を過ごしたのです。計画通りだよ。早く、そんな風に一日を過ごしてしまいたかったのだから。「お誕生日おめでとうございます」って、何の前触れもなく二人の学生がやってくるまでは…。
 結局、家で一人のお誕生会、開くことにしました。静岡の公演の時にいただいて、まだ咲き続けている蘭の切り花を机の真ん中に置いて、夕食を並べて…。そして自分で自分にこう言い聞かせました。

 「お誕生日おめでとう。年齢なんて気にせずに今年も夢を持って、楽しく生きなさい。そして、あなたを暖かく見守ってくれるたくさんの人々に心から感謝するんだよ。一人なんて見せかけに過ぎないんだ。網の目のように君はいろいろな人や世界と繋がっているのさ。だから安心しろよ。」
 


携帯紛失から発見までのおバカなお話

2013年04月05日 | 家・わたくしごと

 本日は私のブログ史上、たぶん最長な文章です。お時間のある方のみお読みくださいませ。
 4月3日にデンパサール~ジャカルタ~成田~中部国際空港と飛行機を乗り継ぎ、やっとのことで浜松に到着したのが午後2時半。大学に出勤して、その日はラジオの収録があり、夜遅く、パーソナリティーのお二人とおいしい台湾料理をいただきました。そこまではとってもハッピーで満足な一日。ところが、夜1時前に家に戻ってから、携帯(インドネシアのHPじゃありません。日本のスマホです)がないことに気がつきました。

私がとった行動(その1)
 まず家を探し回る。服のポケット、三つのカバン(だいたいカバンなんて食事に持っていっていないのに)の中身を全部、床に出している。すでにおバカ。

私がとった行動(その2)
 なぜか服を脱ぐ。脱いだ服をはたいて携帯がないかどうか探す。考えてみれば、ホコリやチリじゃないので、携帯がどうしてTシャツの中から出てくるんでしょう?かなりのおバカ。

私がとった行動(その3)
 そうだ!中華料理屋に置いてきたんだ!と確信し、再びその店に戻ることを決意。しかし店の名前を思い出せない。ただ「小動物」の名前だったことを記憶しているので、机の上のメモに、思いつく小動物を書いてみる。「ヘビ、リス、ネズミ、カエル、キツネ…」などなど。でもどれも違う。思い出せなくてパニックになる。完全なおバカ。

私がとった行動(その4)
 こうなったらまずはタクシーに乗ろうと思い、マンションを下りてタクシーに乗る。そして「あの、マンションの北東の方向にある小動物の名前の中華料理屋に行きたいんですけど」と言う。こうなるともう「おバカ」を超越している。
 タクシーの運転手「そんなのわからないよ。」
 私「とりあえず、遠鉄の線路にそってまっすぐ行ってね」
 がんばってやさしくお願いした。このところはちょっと大人。
 走っているうちに、だんだん中華料理屋のそばにあった遠鉄の駅名を思い出す。
 「そうだ、おじさん、八幡駅のそば!」
 運転手「あー、あるよ。遅くまでやってる中華料理屋、阿里山でしょう?」

 そうだ、アリさんだ!蟻だよ、蟻。まさに小動物やん。でも昆虫だろ。

 店屋に行くが、携帯は発見できず。お店の中国系の方が一生懸命にゴミ箱まで探してくれる。本当にいい人。でもスマホをゴミ箱に捨てねえだろ、と心で思った自分は「おバカ」を超えた、もう本当に悪い人間です。

私がとった行動(その5)
 「おじさん、公衆電話のあるところに駐めて!」と懇願。しかも10円玉をなぜかタクシーでたくさん両替した。 いい運転手。でもよく考えたらテレフォンカードなる過去の遺物を所有していた。またまたおバカ。

私がとった行動(その6)
 夜中にかみさんに電話をして携帯をロックしてもらうように頼む。結果的に何度かのプロセスを経て自分で止める。そのときパーソナリティーの方に連絡をとった?と聞かれる。
 そうだ!車に置いてきたかもしれないことを思い出す。普通はまず、車に落としたと思うだろ!そんなことも気がつかないおバカ。

私がとった行動(その7)
 連絡するにも携帯番号がわからないので(名刺はすべては大学にある)、もうあきらめてメールを送信。腹をくくって寝る。これは行動として評価できよう。諦めが肝心。

ということで、朝5時半に起床。いったい何時間寝たんだ?メールをみたら、車の中にありました。もうあえて名前出させていただきます。「バグース様、terima kasih banyak」。夜の3時近くにメールありがとうございます。私、もう熟睡しておりました。
 おバカでした。本当にいろいろな方にご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。これからはスマホを首からかけないといけないようです。それにしても、バリ帰りでその日にこの有様。情けない…。もうちょっと冷静に考えれば、こんな順番にならなかったです。反省してます。私はこんな人間なんです…。