がんでおかあさんを亡くされた家族によるお話。
マンガで書かれていて、家族の率直な「思い」「気持ち」がじんわりと伝わってくる。
・「気持ちのズレと想いのズレ」…おかあさんがいなくなってしまうという事実を知ってから、家族は様々な感情を抱く。それは家族がいつも同じ感情を抱いているとは限らず、落ち込んでいる人(例えば夫)もいれば、落ち込みを過ぎて前向きになっている人(例えば娘)もいる。その気持ちのズレは、感情の持ちようの違いであって、ガンを患う家族を「想う」ことのズレではない。
・「照れるなんて言ったら、そのうち何にもできなくなってしまう。私たちはおかあさんへの想いをどんどん表へ出していった」
・「いっしょにすごすのは最後かもしれない」


先日読売新聞に、ある図書館が「闘病記コーナー」を設けたという記事が載っていた。患者家族のみならず、医学生や看護学生が、患者の立場を理解する手段として読む傾向が強くなったそうだ。
病気にかかることの悔しさや苦悩や悲しみ…そして喜びや楽しみは、なった人にしか分からないし、人それぞれであろう。
だからこそ、「少しでも知りたい」「どういう形でサポートできるか」という姿勢で取り組むことこそ、プロとしての援助者であると思う。
本書は、ある家族の大切な時間が書かれている。この大切な時間にどう寄り添えるのか、とても考えさせられた。
マンガで書かれていて、家族の率直な「思い」「気持ち」がじんわりと伝わってくる。
・「気持ちのズレと想いのズレ」…おかあさんがいなくなってしまうという事実を知ってから、家族は様々な感情を抱く。それは家族がいつも同じ感情を抱いているとは限らず、落ち込んでいる人(例えば夫)もいれば、落ち込みを過ぎて前向きになっている人(例えば娘)もいる。その気持ちのズレは、感情の持ちようの違いであって、ガンを患う家族を「想う」ことのズレではない。
・「照れるなんて言ったら、そのうち何にもできなくなってしまう。私たちはおかあさんへの想いをどんどん表へ出していった」
・「いっしょにすごすのは最後かもしれない」


先日読売新聞に、ある図書館が「闘病記コーナー」を設けたという記事が載っていた。患者家族のみならず、医学生や看護学生が、患者の立場を理解する手段として読む傾向が強くなったそうだ。
病気にかかることの悔しさや苦悩や悲しみ…そして喜びや楽しみは、なった人にしか分からないし、人それぞれであろう。
だからこそ、「少しでも知りたい」「どういう形でサポートできるか」という姿勢で取り組むことこそ、プロとしての援助者であると思う。
本書は、ある家族の大切な時間が書かれている。この大切な時間にどう寄り添えるのか、とても考えさせられた。