バンドはまず「志」を同じくして自分(たち)の世界を共有する。やりたいことはグレードは別にしても自由に出来るから、ただ満足感はあってスキルとかセンスとかグレードの基準(scale)は自分たちの世界の中のことで、他とは比較する必要もない。
将来のことなど考える余裕も必要もなく、ただ自分(たち)の世界に能動的に没頭するばかりだ。まだ比較論、評価の段階でないから、音楽性、方向性に多様性はなくただバンドの同一性が存在する。『純粋の時代』だ。
やっている音楽、方向性が周りから注目されて評価の対象になってくると、それに応えようとする意欲が出てくる。スキルの向上、効果、変化を意識して、自分たちの純粋な世界から脱皮して周囲の評価する比較複合世界にステップアップする。『成長の時代』だ。
評価に応えることが音楽の世界観を拡げて、社会的立場(経済効果も含めて)を押し上げる目に見える効果があるので比較評価戦略のレールの中で、目的はバンド同一性が保てる。
一定の評価を与えられると、そのバンド戦略路線の継続の中でマンネリズムの限界も見えてきて、変化を求めて自己主張が出来る。
「志」は同じであっても音楽的セクションの違いによるセンス、志向の違いは当然スタイルとして持っているものが鮮明になってくる。『主張の時代』だ。
五線符の限界のように、バンドとして可能な限り多様に挑戦して時間の経過とともにやることがなくなると意識する(意識的にやることはすべてやったと言うような)時が来る。
自己主張、個性がより鮮明になって音楽性、方向性にバンド同一性がなくなる。『終わりの時代』だ。
「志」を同じくしたバンドが持続せずに解散する、分解する人間の意識の変化の軌跡について、いつも考えさせられることだ。
能動的に純粋な志に集まったバンド(者たち)が、いつしか受動的な時間の流れの連続の中で意識の中に変化と差異と限界があらわれて空中分解する不条理をむなしく見てきた。
NHK「SONGS」でザ・ビートルズ(the Beatles)特集をやっていた。ビートルズ4人のプライベートな「愛」と音楽、楽曲の「愛」の表現とそして「別れ」の視点から「ビートルズ」の軌跡(locus of Beatles revolution)を分析した番組だったが、とても30分の番組枠内に収まるはずもなくプロローグ(prologue)のさわりのさわり程度のものであった。
ビートルズは62年~70年の8年間のバンド活動の中で、音楽、社会、文化に世界的な「ビートルズ革命」を起こしたバンドだ。
64年早春に「I want to hold your hand」を陽だまりの庭先に置いたラジオで聞いて、すんなりと何の違和感もなく「これが待っていた音楽」と直感したものだ。当時は英国からビートルズの専門誌を取り寄せては辞書片手に読んだ気になっていた。(お陰でチューリップの現役しらずで、その後猛勉強した。)
66年6月にアジアツアーの来日公演(ビートルズは66年でツアーに幕を閉じた)を果たした時は台風の影響で来日が翌早朝にずれ込むというまさにセンセイショナルそのものの来日だった。
45年前の武道館の来日コンサートは財津和夫さんのように幸運はなくてライヴは見れなかったが、すでにビートルズは収益性に興味もなくスポンサーの花王石鹸の投資好意でテレビ中継を見ることが出来た。
ビートルズは、最後にはバンドに距離を置くことになったジョン・レノンとジョージ・ハリソンのふたりがすでにこの世にいないと言う皮肉な現実だ。
レノンはラディカル(radical)な博愛主義を音楽で表現し、ハリソンはひとり興味を示したインド哲学、文化の視点を音楽活動で表現し、バングラディシュ救済にも尽力した。独自の「愛」、個性、音楽文化スタイルを発信した。
来年、ビートルズは50周年をロンドン・オリンピックの年に迎える。ビートルズとビートルズ音楽に最後までこだわったポール・マッカートニーは70才を目前にしてビートルズサウンドに回帰して世界ツアーを展開している。
ビートルズの4人がすべて今も健在なら、今はその個性の強さ発信から確率は極めて低いがそろそろ「志」に戻ってビートルズとしてどんな音源を聞かせてくれたのかの想いはある。
将来のことなど考える余裕も必要もなく、ただ自分(たち)の世界に能動的に没頭するばかりだ。まだ比較論、評価の段階でないから、音楽性、方向性に多様性はなくただバンドの同一性が存在する。『純粋の時代』だ。
やっている音楽、方向性が周りから注目されて評価の対象になってくると、それに応えようとする意欲が出てくる。スキルの向上、効果、変化を意識して、自分たちの純粋な世界から脱皮して周囲の評価する比較複合世界にステップアップする。『成長の時代』だ。
評価に応えることが音楽の世界観を拡げて、社会的立場(経済効果も含めて)を押し上げる目に見える効果があるので比較評価戦略のレールの中で、目的はバンド同一性が保てる。
一定の評価を与えられると、そのバンド戦略路線の継続の中でマンネリズムの限界も見えてきて、変化を求めて自己主張が出来る。
「志」は同じであっても音楽的セクションの違いによるセンス、志向の違いは当然スタイルとして持っているものが鮮明になってくる。『主張の時代』だ。
五線符の限界のように、バンドとして可能な限り多様に挑戦して時間の経過とともにやることがなくなると意識する(意識的にやることはすべてやったと言うような)時が来る。
自己主張、個性がより鮮明になって音楽性、方向性にバンド同一性がなくなる。『終わりの時代』だ。
「志」を同じくしたバンドが持続せずに解散する、分解する人間の意識の変化の軌跡について、いつも考えさせられることだ。
能動的に純粋な志に集まったバンド(者たち)が、いつしか受動的な時間の流れの連続の中で意識の中に変化と差異と限界があらわれて空中分解する不条理をむなしく見てきた。
NHK「SONGS」でザ・ビートルズ(the Beatles)特集をやっていた。ビートルズ4人のプライベートな「愛」と音楽、楽曲の「愛」の表現とそして「別れ」の視点から「ビートルズ」の軌跡(locus of Beatles revolution)を分析した番組だったが、とても30分の番組枠内に収まるはずもなくプロローグ(prologue)のさわりのさわり程度のものであった。
ビートルズは62年~70年の8年間のバンド活動の中で、音楽、社会、文化に世界的な「ビートルズ革命」を起こしたバンドだ。
64年早春に「I want to hold your hand」を陽だまりの庭先に置いたラジオで聞いて、すんなりと何の違和感もなく「これが待っていた音楽」と直感したものだ。当時は英国からビートルズの専門誌を取り寄せては辞書片手に読んだ気になっていた。(お陰でチューリップの現役しらずで、その後猛勉強した。)
66年6月にアジアツアーの来日公演(ビートルズは66年でツアーに幕を閉じた)を果たした時は台風の影響で来日が翌早朝にずれ込むというまさにセンセイショナルそのものの来日だった。
45年前の武道館の来日コンサートは財津和夫さんのように幸運はなくてライヴは見れなかったが、すでにビートルズは収益性に興味もなくスポンサーの花王石鹸の投資好意でテレビ中継を見ることが出来た。
ビートルズは、最後にはバンドに距離を置くことになったジョン・レノンとジョージ・ハリソンのふたりがすでにこの世にいないと言う皮肉な現実だ。
レノンはラディカル(radical)な博愛主義を音楽で表現し、ハリソンはひとり興味を示したインド哲学、文化の視点を音楽活動で表現し、バングラディシュ救済にも尽力した。独自の「愛」、個性、音楽文化スタイルを発信した。
来年、ビートルズは50周年をロンドン・オリンピックの年に迎える。ビートルズとビートルズ音楽に最後までこだわったポール・マッカートニーは70才を目前にしてビートルズサウンドに回帰して世界ツアーを展開している。
ビートルズの4人がすべて今も健在なら、今はその個性の強さ発信から確率は極めて低いがそろそろ「志」に戻ってビートルズとしてどんな音源を聞かせてくれたのかの想いはある。