(1)人は生まれながらにして「悪」なのか(性悪説 inborn nature is bad)、「善」なのか(性善説 inborn nature is good)、どちらにしても「悪」は善に向かって、「善」は悪に向かって変遷して交差するところが多様で複雑な「人間」の原点だと考える。
あまり、そもそも「悪」だったのか「善」だったのかは問題ではない。交差してからの人間性成立が問題だ。
米国では、宗教を聞かれて無宗教だと答えると軽蔑(のような表現だったと記憶しているが)されると書いてあるのを読んだことがある。自分の意見を持たない、主義主張のないつまり節操のない人間と見極められるというような話であったと思う。
歴史の成り立ちがキリスト教社会の米国と、取りたてて宗教に依存しない儒教(道徳)社会の日本では根本理念、社会歴史の成り立ちが違うから、米国人の決めつけも全然気にはならない。
宗教そのものは高い人類愛、犠牲心、平和志向はあっても、本質的に上記のように唯我独尊、排他的なところがあるから、今、世界で局地戦争の根源はエネルギー資源争奪戦争と重なった相譲らない宗教戦争だ。
米国と中近東、かってのアイルランドとキリスト教新旧対立戦争とキリスト教対イスラム教の戦争だ。結果として、現代の宗教の普遍的な「愛」は信用力、説得力、影響力を失っている。
(2)宗教のない儒教道徳社会の「スキ間」に根差そうとした新興宗教(と呼ぶほどのものかどうかは別にして)のかってのオウム真理教が89年末に同被害者の会を支援していた弁護士一家を殺害したとして逮捕され、その6年後の地下鉄サリン事件ほか同様事件11件にかかわったとして死刑を求刑されていた元教団教祖側近幹部の同刑が確定した。
宗教に名を借りた、「1才の幼児」を含む『世の中には誰かがやらなければいけないことがある』と同被害者の相談、弁護を引き受けて正義と使命感で当たっていた弁護士一家3人を元教祖の指示のもとに殺害した、反宗教的な卑劣な犯罪行為だ。
(3)同被告は「なぜ、こんなことになったのか、教祖に問いかけたが答えはなかった」(報道)と言い、本日のメディアに向けて心情を手紙で公開した。
遺族、後遺症に苦しむ人へ「事件の傷あとの深さを改めて感じ何とお話して良いか分からず申しわけございませんと申しあげるばかりで、言葉がありません。」(報道要約)。
同被告が医師をしていた頃の、がん患者への気付かない死の宣告ともいうべきただ職務に忠実なルーティン(routine)行為の未熟さの経験と合わせて、自分の犯した罪の深さを述懐している。
(4)同被告が教団に入る頃の精神的不安定(病気)は指摘されながらも、当時から高い教育を受けた集団の入教には、結果偏重主義の社会の「スキ間」を埋めきれなかった疑問も多かった。
心情の手紙が本心なら、今は「悪」と「善」が交差して初めて「人間」として存在していると思いたい。
だからと言って、「交差」以前の未熟な「悪」が人間以前のものとして許されるものではなく、その極悪性、非人道性を性悪説、性善説の中でただ人間の不条理として向き合うばかりだ。
弁護士一家の母親の「二度とこのような事件が起こってはならず、私のような思いを味わってほしくない。」(報道要約)との言葉が重い。
あまり、そもそも「悪」だったのか「善」だったのかは問題ではない。交差してからの人間性成立が問題だ。
米国では、宗教を聞かれて無宗教だと答えると軽蔑(のような表現だったと記憶しているが)されると書いてあるのを読んだことがある。自分の意見を持たない、主義主張のないつまり節操のない人間と見極められるというような話であったと思う。
歴史の成り立ちがキリスト教社会の米国と、取りたてて宗教に依存しない儒教(道徳)社会の日本では根本理念、社会歴史の成り立ちが違うから、米国人の決めつけも全然気にはならない。
宗教そのものは高い人類愛、犠牲心、平和志向はあっても、本質的に上記のように唯我独尊、排他的なところがあるから、今、世界で局地戦争の根源はエネルギー資源争奪戦争と重なった相譲らない宗教戦争だ。
米国と中近東、かってのアイルランドとキリスト教新旧対立戦争とキリスト教対イスラム教の戦争だ。結果として、現代の宗教の普遍的な「愛」は信用力、説得力、影響力を失っている。
(2)宗教のない儒教道徳社会の「スキ間」に根差そうとした新興宗教(と呼ぶほどのものかどうかは別にして)のかってのオウム真理教が89年末に同被害者の会を支援していた弁護士一家を殺害したとして逮捕され、その6年後の地下鉄サリン事件ほか同様事件11件にかかわったとして死刑を求刑されていた元教団教祖側近幹部の同刑が確定した。
宗教に名を借りた、「1才の幼児」を含む『世の中には誰かがやらなければいけないことがある』と同被害者の相談、弁護を引き受けて正義と使命感で当たっていた弁護士一家3人を元教祖の指示のもとに殺害した、反宗教的な卑劣な犯罪行為だ。
(3)同被告は「なぜ、こんなことになったのか、教祖に問いかけたが答えはなかった」(報道)と言い、本日のメディアに向けて心情を手紙で公開した。
遺族、後遺症に苦しむ人へ「事件の傷あとの深さを改めて感じ何とお話して良いか分からず申しわけございませんと申しあげるばかりで、言葉がありません。」(報道要約)。
同被告が医師をしていた頃の、がん患者への気付かない死の宣告ともいうべきただ職務に忠実なルーティン(routine)行為の未熟さの経験と合わせて、自分の犯した罪の深さを述懐している。
(4)同被告が教団に入る頃の精神的不安定(病気)は指摘されながらも、当時から高い教育を受けた集団の入教には、結果偏重主義の社会の「スキ間」を埋めきれなかった疑問も多かった。
心情の手紙が本心なら、今は「悪」と「善」が交差して初めて「人間」として存在していると思いたい。
だからと言って、「交差」以前の未熟な「悪」が人間以前のものとして許されるものではなく、その極悪性、非人道性を性悪説、性善説の中でただ人間の不条理として向き合うばかりだ。
弁護士一家の母親の「二度とこのような事件が起こってはならず、私のような思いを味わってほしくない。」(報道要約)との言葉が重い。