いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

落合監督のこと。 supervision

2011-11-23 19:44:00 | 日記
 (1)プロの集団になると一定レベル以上の能力、技術、技量の人が集うから、それらにまかせておけば一定の成果は保障されている。その分、蓄えた個性、独自性が強いからそれをどうリンク、コーディネイト(coordination)させて圧倒的な存在感をとりまとめて、集団能力対効果を高めるかがプロデューサー、ディレクターの仕事だ。

 比喩として、高いプロ集団となればディレクター(director)は何もせずに高い能力集団の邪魔をしないことの方がよい結果を生むなどとも言われている。自分の色合いに合わせようとあれこれ動いて集団能力を阻害する、そういうディレクターにお目にかかったことも確かにある。

 (2)ディレクター、オーケストラでは指揮者(conductor)、50人近い楽団員のプレイ・プロローグ(prologue)とエピローグ(epilogue)を決めれば、あとは楽譜の流れで規律正しく進行するものと思っていた。演奏中はあまり指揮者の方を見ている楽団員も見かけないからだ。ところが同じ曲を複数の指揮者で聞き比べると、極端に言えばまったく違う曲想になっているのがわかる。それがディレクターの仕事、個性能力だ。

 (3)野球ではスーパービジョン(supervision)、監督だ。中日ドラゴンズの落合監督が退任した。一時低迷した中日を8年間、監督として何十年振りかの日本ペナントレースチャンピオンも含めていつもAクラスに導いた、成績結果としては名将だ。
 音楽指揮者もリハーサルが仕事の大部分であるように、練習、構想、構成でチームをつくりあげることが野球監督の仕事の大部分だろう。

 落合監督は、プロ集団にも休日を減らした豊富な練習を課して、多才な投手陣による勝利に手堅い、確率の高い「守り」のチームをつくりあげた。プロとして、見た目、ダイナミックス(dynamics)には欠けたけれど8年間Aクラスの勝率トップチームにした。
 パラドックス(paradox)として、名古屋のプロ野球チームとしてかっては野武士軍団とも言われた個性豊かな奔放なチームカラーから、手堅い野球にシフトしたことが観客動員の減少を招いて(野球全体の人気低迷もあるが)、今シリーズ・セリーグペナントレースを制覇しながらの契約終了による退任となった。

 演出も真面目でもプロフェッショナリズム(professionalism)に徹した貴重なキャラクターの監督だった。退任決定のあとのグラウンドで衆目の中、決定した球団代表との握手をあからさまに拒否するかのようなスタイルを見せた。
 ファン感謝デーにも顔を出さない。中日ではただ勝つだけでは観客は球場には足を運ばない。仮に巨人であれば事情は違っただろう。勝つことがステータスでファンもV9時代の跡を追って球場に詰めかける球団だからだ。

 メディアの取材にもいつも反協力姿勢で、コメントはいつも「いいかげん」であった。ある敗戦ゲーム後のインタビューで「ああやれば、こうなるんだよな。」(趣旨発言)のみにメディアの問いかけの「ああやれば、とは」に対して、「ああやれば、だろ。」で終い。
 聞いているものにとっては、プロの禅問答のようでけっこうおもしろい存在だ。

 プロは結果至上主義で、終ってからああだこうだ言ってみても始まらないところがあるから、「見ての通り」のところがある。
 現役プレーヤー時代は3冠王3度獲得のトッププレーヤーだったから、それがプロフェッショナリズムなのだろう。プロとしてはこういうキャラクターがひとりはいておもしろい。

 権力にひとり抵抗する構図、ゲームはセオリーに徹していながら、世間体はセオリーに背く、これもキャラクターだ。
 プレーヤー時代の帽子、ユニフォーム姿はけっこう様になっていたが、監督になってからの帽子、ユニフォーム姿が借りてきたようにミスマッチ、不自然態であったのもこの人らしくておかしかった。

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