いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

副作用の重大性。(イレッサ結果責任論)gravity of harmful aftereffects

2011-11-16 19:41:57 | 日記
 (1)病院にかかる程の病気の診療、治療薬は、専門医師の処方せんにより調剤薬局が患者に支給するのが医療システムだ。薬の「効用」効果にまで専門医師が結果責任を持つことはなく(病気が治らなかったと言って、改善効果があきらかでないからと言ってそれだけで医師の責任が問題になることはない)、ただ高い専門性の見地から「善良な管理者」としての医師の診療・治療「最善」行為が前提の医療パラダイム(paradigm)と言うのが、医師、患者、社会の三位一体論だ。

 それでは、専門医師の処方せんによる投薬、薬剤による副作用(harmful aftereffects)が出て病気を併発したらどうか。
 ①いかに高い専門性があるからと言って、医師もいちいち医薬品の成分まで実地検証(臨床試験)して使用することなど出来ないから、製薬会社のプレゼンス(presence)と医薬品の説明書(医師向け添付文書)に基づいて適切な投薬を行うのが基本だから、この段階で「副作用」の危険性が明白でなければ(データなし・不記載では)医師は責任を取れない。
 仮に説明書(医師向け添付文書)に副作用の危険性の記載があれば、問題なく高い専門性の医師の「判断・診療」ミスとして第1次的責任問題となる。

 ②それでは、それを製造した製薬会社の責任はどうか。副作用のある・なし、明記の仕方にかかわらず、事前の臨床試験等でそのことの有無の可能性、重大性を見極められなかった「製造者責任」、説明責任の結果責任は当然ある。そのための度重ねる臨床試験制度だ。

 ③医薬品の承認販売審査は国の行為だから、それでは国の責任はどうか。製薬会社の臨床試験データ等に基づく書類審査と言うことになるから、医学的データ分析による因果関係があきらかな場合以外は政府独自の医事的判断での副作用の有無の解明などは求めようもない。
 しかし当然、承認審査機関としての国の「結果責任」は避けられない。

 (2)英国製薬会社の肺がん治療薬として効果があると輸入販売(承認)された「イレッサ」服用による多くの患者の副作用併発死(843人)問題で、医薬品説明書(医師向け添付文書)に副作用の最上級ランクの「警告」ではなく1ランク下の「重大な副作用」として記載されていたものを、医師の適切な指導もなく服用して多くの患者が副作用で死亡したケースの賠償訴訟判決。

 1審(地裁)は、製薬会社、国の責任を認め、2審(高裁)はこれを全面的に却下した。2審の判決趣旨は、専門医師に副作用の「危険性認識」情報があったと認定してすべて専門医師に責任転嫁したものだった。

 医薬品の①安全パラダイムの確立、②安心(患者・国民)社会原則論からも、製薬会社(製造者責任)、国(承認審査責任)の「結果責任」は避けて通れない「重大(gravity)」なものだ。

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