いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

幸福実体論。 substance theory of happiness

2011-11-10 19:33:45 | 日記
 (1)とにかく世の中の「実体(substance)」がよくわからない。デフレ、急伸する円高不況に大震災が追い打ちをかけて、雇用不足、不安が問題となっている。10年度大卒の最終就職率が91%と過去最悪(10万人未定)を記録して、生活保護受給者が今年7月現在205万人と最多を更新中だ。
 
 先日のテレビ番組では、生活保護の給付を受けるためにハローワーク始業と同時に早朝から並んだ大勢の受給者が一斉にカウンターに向かって走る姿が映し出されて、社会保障、生活保障の深刻さを浮き彫りにしていた。

 ケースとして、働き盛りで体力もあり重労働も可能とする青年が何十社から就労を断り続けられて生活保護受給者となり、ハローワークに相談の結果、養護老人施設での介護業務の紹介を受けて、就職を果たした事例が紹介されていた。
 本人の言葉として「こんな職場があったんだ」という感想がついていた。

 (2)日本の基幹産業の製造業は円高差損に対応するため、生産拠点を海外に求めて国内雇用を圧迫していることは現実だ。医師不足が言われて病院経営が立ち行かないと言われるけれど、毎年医学系大学からは相応の卒業生は出てインターンを押し上げて医師は誕生しており、専門家の間でも医師不足は深刻なものではないという分析もあり、医療環境、研究施設の高度に整備された大学病院ほかには人材が偏(かたよ)って豊富だという声も聞く。
 医療体制の都市、地方、へき地のインバランス(imbalance)がやはり問題なのではないのかと思う。

 (3)雇用不安と言われる日本の労働環境を見ても、どこもかしこもどの分野も人材、労働力は飽和状態なのかと言えば、冒頭のケース(介護業務)のように労働力不足の分野も現実にある。
 確かにそういうところは労働環境は劣悪で、誰しもの雇用希望にそぐわないものかもしれないが、雇用が補強されれば労働環境改善される余地も考えられて雇用不安にも「格差」のあることが現実だ。

 将来を見据えて希望にかなった分野で条件で就労することは当然の目的ではあるが、誰しもがそれがかなわぬ社会事情、情勢下であれば視野を拡げての可能性を探すことも必要な時代だ。

 (4)人の幸福は、物質(material)が目安の国内総生産(GDP)ではなく、健康・教育・文化・環境など目安の国民総幸福(GNH)だとするブータンのような国もある。
 人の幸福のスケール(scale)ほど多様で多岐、多角的なものはない。まず生産的な雇用があることが幸福の基本だと言えば、さらにスケールアップして能力に見合った収入保障こそが幸福だと言うこともある。目指す幸福の先はスケールによって際限もないものだ。

 空気が汚れて騒然とした街でも生活すべてに便利(convenience)なら幸福という視点もあれば、生活には不便でも空気がきれいで四季折々の自然環境に恵まれればこそ幸福という視点もある。利潤はあればあるほどいいという追求型もあれば、ひととおりの生活ができる資金があればそれでいいという満足型もある。

 (5)大学(院)機関が平均寿命・出生率・完全失業率・犯罪発生件数などから、国内「幸せ度」ランクを判定発表した。
 1位が福井、続いて富山(2位)、石川(3位)と北陸地方が上位に続き、大阪が最下位ランクだった。

 ランク上位は、県民個人平均所得はけっして高くなくて、しかし雇用(正規社員)が安定(原発事業、観光、漁業ほか固有資産も多い)し、社会保障が行き届き自然環境に恵まれた地方だった。
 経済、雇用、生活もスケールを拡げて「幸福対効果」を視点に「国内」を有効活用してみてはどうか。


 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする