いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

民意と外交と代償。  diplomacy of public opinion

2010-01-25 19:31:28 | 日記
 地方分権、自治の観点から、国政選挙と地方選挙とは直接は利害関係を異にするという考
え方がある。国政の争点を争う地方首長選挙となると、その地方、地域の住民の意思は政策
決定に重要で、基本的な影響力を持つというのが一般的だ。

 沖縄普天間基地の移設問題で、移設先のひとつとして前政権(自民党)時代にいったん米
国と合意した辺野古キャンプシュワブ沖のある名護市長選挙が1月24日に行われた。
 辺野古陸上移設を容認する現市長と県外移設を推進する新人(市教育長)の対決で県外移
設推進の新人が52%の得票率で勝利した。
 投票率は77%で、普天間基地の移設先を県外とする者52%(得票率)、辺野古とする者
48%(得票率)、全有権者の23%が不表明という民意。

 国政選挙と地方選挙は基本的には連携しないとはいえ、県外移設推進の新人を民主党はじ
め連立政権グループ(社民、国民新党)、共産党が推薦する新人が、辺野古陸上移設容認の
現市長と争う構図となった。
 普天間基地の有力な移設先の市長選挙ということで、その民意の影響力は大きいという一
般論からすれば、民主党は推薦とはいえ注目の争点を抱えた選挙として、「県外移設推進を
有力な選択肢」として選挙戦を争ったことになる。

 米国がすでに合意したとして譲らない辺野古キャンプシュワブ沖への移設は、民主党政権
としては非常に推進困難な事態が生まれ、民主党政権が問題をみだりに先送りしてきた結果
、米国と名護市の民意との間でいよいよ先行き不透明の政治状況となった。

 名護市民意の辺野古移設容認の37%(全有権者比率)と23%(同)の不表明の民意を
どう取り込むのか。県外移設の40%(全有権者比率)は、有権者の過半数を得ていないと
いう統計上の論理には、あまりに在日米軍基地の80%近くが沖縄に集中する現状を正しく
咀嚼(そしゃく:十分に理解し、自分のものにする)していない都合主義となる。

 直接当事者の民意は、県外移設で表明され、その候補者を推薦した民主党(政権)は、そ
の民意を尊重する立場にあると見るのが普通だ。
 普天間基地移設問題の交渉相手は、辺野古キャンプシュワブ沖を既定事実とする米国を残
す。

 冷戦構造も遠く過去のもの、EU統合、核兵器廃絶へと世界は平和にカジを切り始めた国
際政治、平和外交の環境変化を前提に、日本に駐留する米軍基地の全体構想も含めて普天間
基地の県外、国外移設に向けて、民主党政権は「民意」を背景に交渉(diplomacy of public opinion)
を進めるべきだ。
 それが、総選挙中の公約(発言)ともリンクした政治責任の履行となるからだ。

 その時国民は、全体責務(代償:compensation)として、普天間基地移設にかかわるリス
ク(財政的高負担)について、相応の責任負担は覚悟しなければならないだろう。

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政治シアター。勧進帳。  evidential literacy

2010-01-24 19:52:05 | 日記
 (注)勧進帳: 何も書いていない白紙を見て、もっともらしく読み上げる。

 東京地検特捜部による民主党の現幹事長への任意の事情聴取が1月23日に行われた。
 地検特捜部は、関係する土地購入にかかわる政治資金の不透明な流れについて、当時の
直接関係者3名を逮捕して取調べ、その違反証明、立件の過程で疑問点の解明、整合性の
必要要件として政治資金管理団体の責任者の現幹事長への事情聴取を求めた。

 (1)事情聴取後の当幹事長の記者会見、配布した聴取レジメによると、事件が発覚して事
情聴取までの間に繰り返し主張してきた内容を「包み隠さず話した」ということのようだ。
 (2)地検特捜部は、疑問点についてどう聴取したのかは不明だ。捜査の段階で当事者に手
の内を見せては、証拠隠滅、立件に支障がでるという事情配慮。
 (3)従来の主張を「言いっぱなし」の「聞きっぱなし」で、疑問点への主張を明文化し書
面に残したセレモニー(ceremony)に終わったという印象だ。

 (4)地検特捜部とすれば、この「証拠」をもとに当該逮捕者、関係企業、押収した物件の
証拠に当証言との整合性を詰めていき、立件する、次のステージに進展をはかるシナリオ。
 (5)事情聴取前に、現幹事長は「やましいところはない」と、この任意の事情聴取で疑い
を晴らし、国民に声明を出して区切りを付ける意向を示していた。
 (6)地検特捜部では、操作の段階で立件にどうしても現幹事長からの事情聴取が欠かせな
いと再三請求していた経緯がある。
 「聞きっぱなし」で終始したわけのはずもなく、集めた情報のすべて開示したとは思わな
いが、疑問点について説明を求めたと思われる。

 (7)任意の事情聴取は、その証言に虚偽があっても法律上は責任を問われないものだから
、疑問点について整合性のある証言を引き出さないことには、明文化しましただけでは、
それはすでに現幹事長が繰り返しメディアを通じて述べてきた周知の言葉の繰り返しにすぎ
ないことになるからだ。
 (8)現幹事長は、従来の主張をもとに記者会見を設けて真偽のほどはわからないが、主張
は主張として、一方的に伝えたと開示した。
(9)慎重捜査の地検特捜部も、捜査上の守秘義務の範囲内で今回の事情聴取の「いきさつ
」について説明があってもいいはずだった。ことは、政権政党の実力者で及ぼす影響力も範
囲も大きく、国民が注視する事件だ。

 そこ(事情聴取)で解明されると大見得を切った現幹事長と、事件の解明には現幹事長の
事情聴取は欠かせないと意気込む地検特捜部。大舞台は、国民には善悪のつかない政治
シアター「勧進帳」を見せられた思いだ。

 まさか、「言いっぱなし」も「聞きっぱなし」も、何も事実が書いてない白紙を見てもっ
ともらしいことを読み上げ、それをリテラシィー(literacy)しただけの共演ではないだろ
う。

 現幹事長は記者会見で「知っていることをすべて話した。それで『納得してもらえるわけ
ではない』と思うが、~真剣に聞いてもらったのは間違いない。」(『 』は本ブログ記)
と、聴取前とはあきらかにトーンが変化した。疑問点で双方やりとりがあったと思われる。

 少なくとも、聴取前と同じで、解明されたものは何もない。政治の不透明なゾーンだけが
色濃く残って、1月24日は名護市長選挙。

 

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デパート改革。  innovative department store

2010-01-23 20:07:50 | 日記
 デフレ、円高、消費低迷の不況三本柱が占める日本経済だから、09年売上高でデパート
業界が前年比10%減(6兆5千億円)、スーパー業界4%減(12兆8千億円)と、共に
過去最大の下落率を記録した。

 デパートの売上高減少は、数十か月も連続の恒常的な減収減益で、国の補助制度や経営形
態、組織運営のディティール(detail)に魔法のような仕組み(テナント制)があるのか、通常なら
企業として「成り立たない」経営内容だ。
 地方では、閉店、店舗統合も出始めていて、デパート業界の改革も再編、リストラ志向の
旧態然としたもので、消費志向の変化、市場の低迷に有効な変革対応が打ち出せずに、業績
悪化は累積する危機的経営状況。

 最近では、量販店やスーパー小売店の店内誘致や量販店への経営形態の切り替え検討の
デパートもある。デパートの生き残りをかけた改革にはほど遠いネガティブ(negative)なベクトル
だ。
 昨近のデパート、平日、休日問わずに店内は手持ちぶさたの過度の店員ばかりが目につく
、あきらかに費用対効果のないサービス過剰体制だ。

 時代は、情報化共有社会。スピード、手ごろな空間、商品との密着性、直近感という時代
がつくる背景にデパートは効果的な対応を欠いたままだ。
 消費市場は、労働環境の変化への対応で多様、多岐なステージで、消費者のニーズに応え
てきた。そのステージに乗り遅れたのがデパート。

 しかし、コンビニもスーパーも軒並み売り上げは乱高下を繰り返す消費社会のステージで
もある。ひとりデパートだけが、その時折の改革に手を打ってこなかったツケが恒常的に大きく
累積影響した。

 まずは、(1)商品開発改革。 デパートの商品能力の種類、品質、ボーグ(vogue:流行)
の総合力をいかしたデパート「唯一」の商品化、商品開発機能の整備。
 (2)売り場改革。 ダウンサイジングの手ごろな空間、スピード感の環境設定。
 (3)営業戦略(宣伝)改革。 従来の「客待ち」のネガティブ体制から、ポジティブ(positive)
な消費者(のニーズ)への「接近」、「投資」体制にスリム化した人的対応の展開。
 (4)情報戦略改革。 消費者対応のコンピュータ化をすすめ消費者に接近、消費ニーズの
把握による営業戦略の展開。

 コンビニとも違う、量販店とも違う、スーパーとも違う、従来のデパートとも違う「商品開発
企業」としての未来型デパートを目指すべきだ。


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現代の中の祭祀、神事。  religious service in a modernism

2010-01-22 19:43:38 | 日記
 古代から歴史的に地元、地域に受け継がれてきた祭祀(さいし)と神事。豊作、豊漁、繁
栄を願って、地元、地域を治める(または影響を持つ)と信じられてきた神々に、勇猛果敢
な雄姿、心意気(魂)を見せて、平穏の感謝と厚い信仰心をあらわす(捧げる)。
 そうすることによって、自らの生きる証し、存在感、立場、意義(identity)を確認していた、
生活に根ざした自己満足の世界観。

 (1)諏訪地方は、山林が広がり、杉、ヒノキ、樅の木など木材の産地。代々、受け継がれ
てきた「御柱大祭」(諏訪大社)。山林から切り出した長い大木(樅の木)を、山の急斜面
を転がして曳(ひ)き、神事参加者が次から次と大木に飛びつき、共に転げすべり落ちる神
事(大祭)。

 時には、大木の下に挟まれ、死亡事故(報道)も起きる。現在も、勇壮な神事として死亡
事故にもかかわらず7年に一度の大祭として行われている県指定無形民俗文化財だ。
 
 (2)三重県の多度地方の「上げ馬神事」(多度神社)。馬に乗った神事参加者が、急斜面
を一気に駆け上がる。見事に駆け上がった馬の数で豊作、凶作を占う神事。南北朝時代か
らの伝承神事で県指定無形民俗文化財だ。
 苛酷な急斜面を駆け上がるため、馬に過度な刺激(たたき行為と興奮剤投与)を与えたり
、乗馬者には未成年者でも、意気込み、熱くなるためか、飲酒の慣習もあるとのうわさもあ
る。登りきれない馬が急斜面を転げ落ちたり、わずかに前足を頂に掛けた馬が、周りにはや
し立てられて必死にもがく姿を映像で見ることがある。

 社会規範も制度もない不文律の社会での信仰心の熱い、神の存在を拠りどころとしていた
時代からの神事を大切に保存、伝統継承してきた形態が、観光資産としてのあり方を含めて
、現代でのコンプライアンス(compliance)の中で問われている。
 県と動物愛護団体が、改善に向けて調査に乗り出す。

 数千年前の生活に根ざした人の拠りどころ、神の意向が、現代社会の祭祀、神事として、
コンプライアンスの中で問われる。
 古代と現代社会、祭祀・神事と観光資産との共存の接点。文化としての伝統行事として、
時代とともに変わらなければならないもの「コンプライアンス(compliance)」・「究極の
危険度外視」、守り続けたいもの「伝統」、守り続けなければならないもの「文化」、はある。

 自己満足だけではすまない、生物多様性の世界観が今は、目の前にある。現代社会にお
ける古代の祭祀、神事は、生活に根ざしていた時代のものとは隔絶して、誰もかれもが自由
に神事に参画とはいかない、あきらかな文化、生活環境の変化はある。
 そういう時代だからこそ、パラドックス(paradox)に、祭祀、神事は古代の起源形態を
受け継いでいく必要性(merit)もある。

 現代における伝統行事とは、「周到」に保存実施する側と、「公正」に見る側の2ステー
ジで記録、保存、継承されていくものだ。
 

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市有地の神社の風土化。  shrine on a municipal lands 

2010-01-21 19:57:42 | 日記
 市有地の中にある神社。公に知る由もない社会通念が風土化し、慣行、慣習となったもの。
 自然界には「法則」といわれる相対関係があって、相互に影響し合って自然の「摂理」で
動いて、融合し、合理的な世界観を形づくっていると考えられている。
 生物多様性のその理念に基づけば、人間社会もその相対関係の流れの中にアイディンティ
ティ(identity)はある。これが、風土。

 縄文時代からの人間生活は、狩猟、農耕、手工業と集合体、地域の共有、共存意識という
共益性にベクトルが向いて、人間個人の権利のフレームワークを超えた社会通念としての共
通認識を形づくってきた。
 産業革命による商業、工業の近代化(manufacture)により、社会共有性の認識は空気の
ようにごく自然のものとなり、パラドックス(paradox)として、個人の社会基盤としての権利主
義に目覚めることになる。

 市有地に建つ神社が6年余りの裁判審理の結果、最高裁は政治と宗教の分離、中立を定
めた憲法に違反すると判断した。
 神社の形態も様々で、建物だけで神官が不在のものから、ミニチュアの社殿(ほこら)だ
けのものまで多種多様だ。

 これらが全国1000件以上も市有地、公有地にある実態が、本訴訟にかかわってあきら
かになった。
 市有地、公有地といえば、国民、市民の投資(税金)で運用されているもので、一特定宗
教の建物だけが便宜をはかられている実態は不自然であり、今回の裁定は妥当なものだ。

 こうした建物は、広く地域住民の集会所(community)として利用されてきたものもあり
、古く憲法制定以前の宗教感情も制約されてきた時代からの伝承もあると考えられ、設置の
由来、理由は様々あると考えられる。

 設置の由来、利用目的とは関係なく、市有地、公有地に歴然と一特定宗教施設(神社)が
無償の便宜で供与されている姿は、あまりに不自然だ。
 裁判の判断に公訴から6年余りも費やしたこと、また、全国にこの事例が1000件以上
も手をつけられずに放置されてきた経緯、現実に驚く。

 自然界の摂理が有効に働いていた時代からの、人間社会の共有認識の中の産物と考え
られるが、時代は、国民、市民の投資(investment)で構成される情報化共有社会。
 市民共有施設としての利用実態を考えるならば、それに見合った形態での環境整備をして
「整合性」をはかるのが適当だ。
 政教分離の原則、国民市民の投資の公平性からも、長い社会慣行による既成事実の保護
ではなく、原状回復が求められる。

 今回の最高裁は、「宗教施設の性格、無償提供の経緯や態様、これに対する一般人の評
価など諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合判断すべき」との、事案ごとの判断基
準を示した。

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