いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

ロシアからの外交文書。 diplomatic document from Russia

2011-11-24 19:57:27 | 日記
 (1)外交交渉には「手の内」を見せないのがセオリーだなどと言うのは、「密約」で国益に不利な(あるいは交渉当事者の利益、願望に有利な)条件を隠すための便宜手法だ。本来まっとうな交渉で「隠し事」、機密などあってはならず、相互に条件をオープンにして歩み寄れる接点を協議するのが「交渉力(negotiability)」だ。

 隠し事、密約は将来にわたってうわべの交渉利益を、本来の目的、趣旨とは反比例の結果効果に導くだけの非生産的なものだ。沖縄返還交渉での「核の搭載持ち込み」、「基地運営費の負担」の密約は、その後の普天間基地移設先(県外・国外)問題にも重い制約となって国益に不利益な影響力を及ぼしている。

 (2)今度は02年にロシアが日本の原発使用済み核燃料の中間貯蔵、再処理化事業を引き受ける提案の外交文書(diplomatic document)が存在していたことが、関係者の話であきらかになった。(報道)
 当時は六ヶ所村再処理工場(青森)での処理事故が続き、事業継続にあたって安全性、高額経費が政府委員会で審議されていたが、政府からは関係機関、関係者にこのロシア外交文書は知らされなかった(隠ぺい)と言う。
 原発の安全機能性よりは20兆円近い六ヶ所プロジェクトの地元、関係機関の利益供与がまず優先された結果だ。既得権政治の自民党政権時代だ。
 今に続く政府、事業者、専門家の利益共存トライアングル(triangle 原子力村)による国民の生命、安全、生活に配慮を欠く原子力行政の独占化へい害だ。

 同じような話が今年、使用済み核燃料の再処理工場を米国と共同で第3国のモンゴルに設置する経済協力型計画もあきらかになったが、国際的な原発見直し機運の中でモンゴル国民の反対で取り消しとなった。
 結果としては、自国の危険を国レベルの損得だけで第3国に負担させるのは大きな間違いで、いまだ原発事業の入口、中間、出口論がトータルで計画設計されなかった歴代行政の「見通しの欠落」の問題だ。

 (3)ロシアの提案(外交文書)の意図は何だったのか。当時のプーチン大統領はロシアの国力(特に経済力)回復に向けて強いリーダーシップを発揮しており、広大な土地を利用した外国投資の誘引、外貨獲得の一環事業と言われている。

 しかし、終わりの見えないチェルノブイリ原発事故処理を抱えたロシアだ。自国の危険を外国でいいのかの基本問題とともに、安全を置き去りにした遮二無二のロシア外交では課題があった。それをそのとおり国民に情報開示すべきであった。沖縄密約を引きずった自民党政権時代の国民騙(だま)し手法だ。

 (4)ロシアとは北方領土返還問題を抱えて、外交はことに微妙な距離関係にある。情報はすべて開示して、利害関係共有(押し付け)により結果として請求不利益になるようなことがないよう国民の判断データ提供に努めるべきだ。

 原発安全問題は、福島原発事故により国際的な関心も高まって国際基準づくりも始まっているが、国の利害関係が錯綜して進展していない、あるいは玉虫色決着だ。
 国際赤十字では原発の健康安全レベルの基準化を日本が提案する。IAEAで今からでも原発事業の入口、中間、出口論の計画設計、デザイン(grand design)、未来への責任を協議、構築すべきだ。
 

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落合監督のこと。 supervision

2011-11-23 19:44:00 | 日記
 (1)プロの集団になると一定レベル以上の能力、技術、技量の人が集うから、それらにまかせておけば一定の成果は保障されている。その分、蓄えた個性、独自性が強いからそれをどうリンク、コーディネイト(coordination)させて圧倒的な存在感をとりまとめて、集団能力対効果を高めるかがプロデューサー、ディレクターの仕事だ。

 比喩として、高いプロ集団となればディレクター(director)は何もせずに高い能力集団の邪魔をしないことの方がよい結果を生むなどとも言われている。自分の色合いに合わせようとあれこれ動いて集団能力を阻害する、そういうディレクターにお目にかかったことも確かにある。

 (2)ディレクター、オーケストラでは指揮者(conductor)、50人近い楽団員のプレイ・プロローグ(prologue)とエピローグ(epilogue)を決めれば、あとは楽譜の流れで規律正しく進行するものと思っていた。演奏中はあまり指揮者の方を見ている楽団員も見かけないからだ。ところが同じ曲を複数の指揮者で聞き比べると、極端に言えばまったく違う曲想になっているのがわかる。それがディレクターの仕事、個性能力だ。

 (3)野球ではスーパービジョン(supervision)、監督だ。中日ドラゴンズの落合監督が退任した。一時低迷した中日を8年間、監督として何十年振りかの日本ペナントレースチャンピオンも含めていつもAクラスに導いた、成績結果としては名将だ。
 音楽指揮者もリハーサルが仕事の大部分であるように、練習、構想、構成でチームをつくりあげることが野球監督の仕事の大部分だろう。

 落合監督は、プロ集団にも休日を減らした豊富な練習を課して、多才な投手陣による勝利に手堅い、確率の高い「守り」のチームをつくりあげた。プロとして、見た目、ダイナミックス(dynamics)には欠けたけれど8年間Aクラスの勝率トップチームにした。
 パラドックス(paradox)として、名古屋のプロ野球チームとしてかっては野武士軍団とも言われた個性豊かな奔放なチームカラーから、手堅い野球にシフトしたことが観客動員の減少を招いて(野球全体の人気低迷もあるが)、今シリーズ・セリーグペナントレースを制覇しながらの契約終了による退任となった。

 演出も真面目でもプロフェッショナリズム(professionalism)に徹した貴重なキャラクターの監督だった。退任決定のあとのグラウンドで衆目の中、決定した球団代表との握手をあからさまに拒否するかのようなスタイルを見せた。
 ファン感謝デーにも顔を出さない。中日ではただ勝つだけでは観客は球場には足を運ばない。仮に巨人であれば事情は違っただろう。勝つことがステータスでファンもV9時代の跡を追って球場に詰めかける球団だからだ。

 メディアの取材にもいつも反協力姿勢で、コメントはいつも「いいかげん」であった。ある敗戦ゲーム後のインタビューで「ああやれば、こうなるんだよな。」(趣旨発言)のみにメディアの問いかけの「ああやれば、とは」に対して、「ああやれば、だろ。」で終い。
 聞いているものにとっては、プロの禅問答のようでけっこうおもしろい存在だ。

 プロは結果至上主義で、終ってからああだこうだ言ってみても始まらないところがあるから、「見ての通り」のところがある。
 現役プレーヤー時代は3冠王3度獲得のトッププレーヤーだったから、それがプロフェッショナリズムなのだろう。プロとしてはこういうキャラクターがひとりはいておもしろい。

 権力にひとり抵抗する構図、ゲームはセオリーに徹していながら、世間体はセオリーに背く、これもキャラクターだ。
 プレーヤー時代の帽子、ユニフォーム姿はけっこう様になっていたが、監督になってからの帽子、ユニフォーム姿が借りてきたようにミスマッチ、不自然態であったのもこの人らしくておかしかった。

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業務改善型の事業仕分け論。 betterment of duties theory

2011-11-22 19:37:42 | 日記
 (1)行政刷新会議が「新事業仕分け」として、「政策提言型」の政策仕分けを開始した。09年夏の政権交代後の年末の事業仕分けは、財源不足を補うための行政事業のムダ削減による財源捻出が主目的であったから「持続可能」な行政改革とはならずに、ひとときのプレゼンス、息切れに終ってしまった。

 「事業仕分け」の本来の趣旨、効果は、行政の仕組み、目的、手法方法、プロセスを検証して「業務改善(betterment of duties)」をはかり行政の効率化を促進して、毎年その効果を比較検証してさらに業務改善につなげていく「持続性」、追跡性にこそある。

 エネルギー(照明・空調・機器)の嫁動方法の有効利用活用の改善により、省エネ効果を持続的に促進させてエネルギー消費量にムダ削減を複合的にはかるのも事例だ。エネルギー10%削減仕様を10年続ければ、100%10年稼働の「元」が取れるという効果だ。
 結果としての持続性のない財源捻出などは、事業仕分けの趣旨ではない。

 (2)そういう意味ではようやく事業仕分けの目的近く、入口に立ち返ったとも言えるが、「政策提言型」以前のステップのまず『業務改善型』検証の第一義的なコンテンツをスルー(through)しては、効率化、対効果性、持続可能性が見えてこないから事業仕分けとしてはまだまだ不十分な態勢と言わざるを得ない。

 どうも行政刷新会議のスタンスが十分に建設的、生産的に意義付けられていないことが問題だ。その視点、視野には、政権交代により従来の既得権政治打開のようやく見るべきものがあるのだから、十分効果的な理念理論準備で周到に臨んでほしいものだ。

 (3)「業務改善型」事業仕分けでは、①国会議員の定数、報酬削減、②公務員の定員、給料の見直し、③業務の重点化、④サービス充実、⑤効率化、⑥業務の見直し・再編、⑦時代に合った先取りした新設化、⑧徹底した省エネ化などで、事業の「スリム化」と合わせて「重点化」シフトの「業務改善」が必要だ。

 雇用創出の社会の要請はあるが、公務員の必要以上の定員、給料保障は国民負担(税)への圧迫であり、適正な雇用配分(新設化含む)と重点化、時代背景を反映したメリハリ化、業務改善効果の持続的な反映は避けられない。

 (4)すでに「政策提言型」事業仕分けには短期間の仕分け、提言スケジュールでは効果をあげられないとの意見も聞く。事業仕分けは財源捻出型のように一過性のものではなく、追跡、検証、比較効果の持続可能性のあるものだから、「業務改善」から「政策提言」へとステップアップする事業仕分け持続性の流れの中で、国民投資(税)対効果のあるものにシフトする必要がある。

 消費税増税でさらに国民負担(税)に頼るとすれば、「業務改善」はその前提条件だ。

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総論と各論の。 general remarks and detailed argument

2011-11-21 19:47:56 | 日記
 (1)TPP交渉参加問題は、貿易自由化の理念理論という「総論(general remarks)」と米(こめ)、医薬品(保険適用外)、食糧品の関税撤廃等、個別の受け入れ条件、国内事情の「各論(detailed argument)」が各分野の利益保護主導の特殊事情の主張乱立の中で都合よく交錯して訳が分からなくなっている。
 APEC首脳会議での日本の主張も、自由化全品目対象と言ったか、言わないかで日米見解が分かれている。日本が米国の言いなりになっているのではないのかの疑念のひとつだ。

 経済がグローバル化して国際協調主義の時代になって世界のマーケットも欧米中心から東アジア経済圏にシフトして、日米関係が重要なのは新興国の核となる中国へのアジア戦略への同盟強化だ。

 経済関係は、中国の巨大なマーケットは投資の対象として米中、日中個別交渉の問題あるいはアジア太平洋経済圏内の共通問題なので、日米・対・中国の対立構図にはならない。
 むしろエネルギー資源確保問題として南シナ、東シナ海への干渉を強める中国軍拡路線に対する日米、東アジア・対・中国対立のアジア戦略の構図だ。

 TPP交渉参加問題、経済関係で米国の言いなりになる必要要件はなく、個別、グループ交渉、関係の中で独自のスタンス、事情を主張すればいい課題だ。むしろ、米中経済接近の中で日本が取り残され、孤立することの方が問題だ。

 本質論、総論と具体論、各論の理論がプロセスを経ずに同時進行で細分化論議されて、問題解決(solution)をより複雑化している。貿易自由化と国内事情、条件の調整バランスは別問題として両論あってもいいし、さらに国内消費者事情も決定力を持つ交渉要素だ。

 (2)独裁か反独裁かのエキセントリック(eccentric)に始まった大阪市長選挙。本来の政策争点の「大阪都」構想は、同市民の半数近く42%が賛成し、反対28%を大きく上回った。もうひとつ、「君が代」の起立唱和、職務方針違反者の処分権ほか教育基本条例案は賛成41%、反対21%と「以外」にも倍近い差に開いた。(メディア調査)

 TPP交渉参加問題と同じように、議会、専門家の間では大きく二極論に分かれての是非の論議となっている政策テーマだ。近年は主張、政策実現性の高い自治体首長への転出が傾向で、自ずと政策実現のために立法府の議会での対立の解決策として直接「市民」の高い支持に訴える、背景とした直接民主主義的政治手法がとられることが目立つ。
 議会反対派への丁寧な交渉、協議をスルーして、選挙に打って出て自派で議会多数派を占める強権指向も独裁と言われる所以(ゆえん)でもある。

 そういう政治構図が取れれば、まだしも(それはそれで問題提起もあるが)、政策成立に議会交渉が必要なままの状況では、「市民」の意思と「議会」の意思が反比例することがある。
 市民の圧倒的な支持で2回(議会リコール含めて)も支持された名古屋市の市民税10%恒久減税案は、財源不足問題・方法の説明、理解が進まずに公約支持から2年を経過してもいまだに成立のメドもたっていない現状だ。

 直接、市民の政策選択能力の質、公平性に疑問を呈する専門家の意見もある。それはしかし主張する政策提言者と同様の「自分だけが正義」の間違った反民主主義的理論にすぎない。
 責任は、主張する政策提言者(首長)の政治責任(accountability)にあるのは言うまでもない。

 首長の主張とそれを支持する市民の判断・対・議会のかい離は、基本として双方の選挙制度の違いが原点にあるものだが、結局、政策テーマの「総論」と「各論」の整理、説明がつかない、つけれない政治力、政治家能力の貧困がある。

 イメージ先行が総論主義(偏重)であれば、各論主義(偏重)は創造性(grand design)を欠いて時代を描けない、リードできないスケールダウン症候群だ。
 その「間」で、市民は生活実態者として総論としては健全な良識を示していると考えられる。ただし、各論への危険性をはらみながらもだ。

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ミャンマー・ギリシャ・イタリア危機の透視。 see through the crisis

2011-11-20 19:09:07 | 日記
 (1)軍事政権が長年にわたって反体制グループを投獄し政治活動を認めず国民を弾圧抑圧してきたミャンマー政府が、今夏から民主運動リーダーのアウンサンスーチーさんの自宅軟禁を解き、形だけではあっても国民選挙による政府樹立、弾圧囚人を釈放して人権回復民主化政策を打ち出してきた。

 ミャンマーの弾圧、独裁政治には、米国を始め世界各国の貿易禁止などの経済制裁措置を強めてきた。17日から開催されていたASEAN首脳会議では、持ち回り制の議長国を2年前倒ししてまでミャンマー政府が強く就任を求めていた。
 ASEAN首脳会議での国際社会復帰を目指してのミャンマー政府による国内民主化政策の色合いが強くなった。
 近年の中国、インドを始めとする周辺を取り巻くアジア新興国経済の発展ぶりとは無縁ではないだろう。ひとり国際社会からの経済制裁隔離による取り残しへの危機感はミャンマー政府にはあるはずだ。このミャンマー民主化改革をどう見ているのか、次は北朝鮮だ。

 どちらにせよ、民主化政策は一度滑り出せば「元」に戻ること、戻すことはむづかしいのが歴史の流れだ。民主化のモチーブパワー(motive power)となる反体制グループの政治犯の釈放は進んでいないという報道なので、慎重な硬軟織り交ぜた軍事後ろ盾ミャンマー独裁政治の様子見プレゼンスの動きだが、国際社会からの「透視性(see through the crisis)」が増して人権抑圧が緩和されていくのはいいことだ。

 手のひらを返したようにそういうミャンマー政府に「議長国」を決定する東アジア諸国の対応には疑問も残るが、まずは国際社会、政治のフレームワーク(frame work)に引き込んでの国内民主化持続の促進をはかるのがホ-ルド・グッド(hold good)なやり方なので歓迎したい。議長国としての責任と義務の履行に注目すべきだ。

 アウンサンスーチーさんに代表されるように女性の自立も文化、教育にも本来的に見るべきものがある国民性を持ち、資源も豊富な国だ。民主化促進による開かれた社会になれば、アジア経済の発展、安定にさらに弾みをつける期待も大きい。

 (2)取るべきところから税金を取らない、取れない税金逃れの財政破たん国家ギリシャの未徴収税額が6.2兆円に上ることがEU委員会の報告でわかった。(報道)EU諸国が一致して財政支援に回れない不条理な要因ともなっていた。

 EUは、政治、経済、平和の価値観共有共同体として注目すべき国際スケール(scale)であるが、ギリシャなど一部には貨幣、文化、国民性の違うものが「ひとつ」を共有しても非生産的、不利益だとの声もある。
 しかし、パラドックス(paradox)としてギリシャのような国がEUのフレームワークの中で結果として国家の問題点、課題がはっきりして格差是正、改革に「向かわざる」を得ないのは、グローバル化した国際経済の危機管理にとっては先行指導する有効な手立てだ。
 リードするフランス、ドイツは大変だろうが、この機会によりEU化の目的、精度を高めてさらに強いコングロマリット(conglomerate)化を進めるべきだ。
 
 財政破たんのギリシャ、イタリアともに経済専門家による首相就任で財政再建にスタートした。もちろんそれまでの財政破たんへのシナリオに責任もある経済専門家だ。
 イタリアでは内閣に政治家がひとりも入らない(学者、弁護士、軍人ほかで構成)経済救国回復内閣だ。政治、経済EU化の「フレームワーク」の中での課題取り組みの有効性を示す大胆な取組み効果だ。

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