NYタイム

筆者が興味・関心のある事や趣味に関して語るブログです。〔不定期更新〕

17年前の話

2011-04-26 23:17:00 | 少し前の話

 今日のローカルのニュースで取り上げられていたが、中華航空機が名古屋空港に墜落した事故が起きてから、17年の年月が経った。

 その当時、僕は名古屋空港でアルバイトをしており、この日は事故の起きる1時間前まで空港にいた。我が家に帰宅し、風呂に入っている時に爆発音がし、すぐに消防車数台がサイレンを鳴らしながら走り抜ける音がした。風呂から出て、ニュース番組を見ると、名古屋空港に飛行機が墜落したとの一報があり、その後、中華航空機が着陸に失敗した事が判明した。

 この事故で、乗客・乗員264名が犠牲となり、7名が奇跡的に命をとりとめた。事故の原因は、操縦ミスと機体そのものの欠陥が複合したものだった。

 日本では、大きな航空機の墜落事故は、中華航空機墜落事故以来起きていないが、再度起きる可能性は決して0ではないので、航空関係者には気を引き締めてもらいたいものです。


昔の新聞記事より

2010-09-29 23:00:46 | 少し前の話

 我が家のゴミ箱より1981年4月3日(金)付の新聞が見つかった。古い衣装ケースに入っていたものと思われるが、意外に物持ちが良いようだ。そこで、今日は当時の新聞記事(中日新聞の記事)を紹介してみよう。

★ 一面記事

 トップニュースは「自衛隊に新型ミサイル」という記事である。新型ミサイルについての詳細は省略するが、現代では、自衛隊がミサイルを装備してもよほどのことが無い限りは、一面記事になる事はないと思うが、当時は東西冷戦の時期という時代背景があったのかもしれない。

 その他の記事では、「タイのクーデター失敗 ほぼ確実」という記事が掲載されていた。タイという国は、昔も今もあまり変わらないようです。

★ 政治関連

 当時の首相は鈴木首相でした。

 大型消費税 昭和58年(1983年)度も導入しない・・・消費税は、この頃から導入を巡って論議されていたようです。

★ スポーツ

 プロ野球・・・1981年は4月4日が開幕だったようです。この年のドラゴンズの順位は忘れたが、優勝していない事は確かです。当時の監督は近藤貞雄でした。

 センバツ高校野球・・・この日は倉吉北(鳥取)-中京(愛知)、東海大工(静岡)-PL学園(大阪)、桜美林(東京)-日立工(茨城)の3試合が行われたようです。20年以上前と現在では、甲子園の出場校の顔ぶれも所々変わっている事がわかる。高校野球に関連して、ドラゴンズのスカウト会議の話題もあり、当時は槇原(大府高校→その後巨人に入団)などが注目されていたようです。

 競馬・・・4月5日の桜花賞の話題。テンモン、ブロケード、タケノダイヤ、ヘーゼルブロンド、カズエコーラスあたりが注目されていたようです。有力どころは関東馬ばかりのような気が・・・今と違い当時は東高西低の時代でした。ちなみに桜花賞はブロケード→テンモンの順でした。

★ テレビ欄

 在名の民放局が4局・・・当時、テレビ愛知はなかった。

 ドラマ・・・この日からの新番組として「玉ねぎむいたら」が放映開始→桜田淳子主演のコメディードラマ、石立鉄男や中尾ミエが出演していた記憶がある。裏番組に「ザ・ハングマン」→我が家はこちらを見ていたと思う。他では、「太陽にほえろ」、「がんばれ!レッドビッキーズ」などが放送されていた。

 バラエティー・・・金曜日の7時30分といえば、「カックラキン大放送!!」でした。この日は、河合奈保子・郷ひろみが出演していたようだ。  

 アニメ・・・金曜日の7時といえば、「ドラえもん」のはずだが、僕の記憶違いか、当時は別の時間帯に放映されていたようだ。当時の金曜日の7時枠は、「ハロー!サンディベル」(少女マンガ系?)だった。

 この当時は番組改編時に良く見られる意味不明な特別番組は少なかったようだ。

★ その他

 地元の話題としては、名古屋のベッドタウンとして発展する岐阜県可児市の話題(あくまでも、1981年時点での話)があった。現在では、名古屋のベッドタウンとして、可児市をあげる人は、さほど多くない気がするが、当時はそれがトレンドだったのだろう。時代の変化とともに人口分布も変化するのである。

 当時の新聞と現在の新聞の一番の違いは、文字の大きさである。昔の新聞は文字が小さく、近眼の方や老眼の方は、読むのに一苦労したに違いない。  (文中 敬称略)


「大きな森の小さなお家」

2010-06-07 23:17:31 | 少し前の話

 当ブログでは、1970年代~1990年代のテレビ番組や音楽を振り返るコーナーとして、「少し前の話」というカテゴリーを設けて記事を書いているが、今回のテーマはアイドル歌謡です。

 今日紹介するのは、河合奈保子のデビュー曲「大きな森の小さなお家」です。

 「大きな森の小さなお家」を初めて聞いたのは、日本テレビ音楽祭(?)か何かの賞レースでした。デビューしてから数ヶ月経過し、既に人気アイドルの仲間入りを果たした松田聖子などと並んでの新人賞受賞だったが、誰も見たことナーイナーイ ナーイナーイ♪・・・ と明るく歌っている河合奈保子が、かなりインパクトがあったことを覚えています。

 「大きな森の小さなお家」というタイトルとヘンゼルとグレーテルのお菓子の家をイメージさせるような歌詞も相まって、アイドルの王道路線というよりは童謡に近い感じの歌だが、イロモノ感は全くしない不思議な曲です。

 この曲は河合奈保子のデビュー曲で、今から30年前の1980年6月1日に発売された作品です。オリコンの最高順位は36位だったようだが、それなりのヒット作で、この当時のアイドルとしては、まずまずのスタートを切った。2曲目の「ヤング・ボーイ」で、ザ・ベストテンに初登場、日本レコード大賞の新人賞の5組の一角に食い込むなどのヒットをさせ、その後も「スマイルフォーミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」など数々のヒット曲を送り出し、アイドルとしてかなりの期間活動した。

 河合奈保子がデビューした当時、僕が小学校3年生だったので、特に大ファンということはなかったが、動画サイトなどで当時の映像を見ると、生まれた年が4・5年早ければ、間違いなくファンになっていたでしょう。

 アイドル歌謡編① 大きな森の小さなお家 (作詞 三浦徳子: 作曲・編曲 馬飼野康二: 歌 河合奈保子 1980年作品)

 (文中 敬称略)