NYタイム

筆者が興味・関心のある事や趣味に関して語るブログです。〔不定期更新〕

フルマラソンへの道 ③

2015-01-31 19:38:58 | ブログ

 大会まで、あと1ヶ月となった。

 1月上旬に風邪をひき、練習も休むことが多かったが、1月中旬より順調にメニューを消化でき、今月は160キロ位の距離を走った。練習を本格的に開始してから3ヶ月で体重が3キロぐらい減り、懸念された膝の痛みもなく、体調的には順調である。

 ただ、走る速度がさほど上がらず、今のペースだと5時間を切れるかどうかのレベルなので、大会までにもう少しスピードをあげて走れるようにしなければなりません。

 ちなみに今月の練習メニューは、2時間半ランニングを週に1本、キロ6分ペースでのランニングを月2本(最長距離は14キロ)でした。


KANO

2015-01-27 23:32:06 | ブログ

 僕の場合、基本的に金銭を支払って映画を見るという習慣はないため、映画の話題を当ブログで紹介する機会は滅多にないが、久々に僕のアンテナに引っかかる映画があったので、紹介します。

 今回見たのは、「KANO ~1931海の向こうの甲子園~」という映画です。1931年、日本統治時代の台湾から甲子園に出場し、準優勝した嘉義農林学校野球部(KANO)の話を史実をもとに一部脚色したものです。

 それまで勝利とは縁のない弱小チームが、かつて松山商業を監督として率いた近藤兵太郎の特訓により、甲子園を目指し、台湾予選を勝ち進み念願の甲子園出場を果たすというのが基本のストーリーで、それに付随して、甲子園を目指す選手たちのエピソードが随所に描かれるという形式で、映画は進んでいきます。台湾予選を勝ち進んだ嘉義農林学校野球部は海を越え、甲子園に出場した。初出場で下馬評は低かったものの強豪校を破り勝ち進み、迎えた決勝戦。決勝では惜しくも敗れたものの、嘉義農林学校野球部のひたむきなプレイに賞賛の嵐がわき起こり、話はエンディングに向かいます。映画のエンディング付近では、嘉義農林学校野球部の1931年に出場した選手のその後(日本の大学野球・プロ野球で活躍した方もいた)や嘉義農林学校野球部がその後3回(合計4回)甲子園に出場していることなどの紹介がありました。映画のあらすじはこんな感じです。

※ ここからは、映画に関する雑記をいくつか書きます。

 当時の台湾から甲子園に出場した学校というのは、首都台北の学校が多く、台湾中南部の嘉義から出場したのいうのは珍しく、また、ほとんどの出場校は基本的に日本人のみのチームだったのに対して、嘉義農林学校野球部は、日本人・漢人(中国大陸から移住した漢民族の子孫)・台湾原住民(もともと台湾に住んでいた民族)の混成チームというのも特色で、攻・走・守においてそれぞれの民族の強みを生かしたチームで、勝ち上がったようです。映画では、複数の民族が登場するため、日本でのシーン及び日本人が登場する場所では、日本語のセリフが使われ、日本人が登場しないシーンでは、台湾語など現地の方が使用する言語のセリフが使われていました。

 また、映画では日本統治時代の街並みが再現されていたり、食糧自給のためのインフラ整備(治水事業)など、日本統治時代の当時の台湾が描かれていました。映画では直接的には描かれていないものの、嘉義農林学校は、現在の高校・大学に相当する学校で、義務教育ではなく、そこに複数の民族の生徒が通っていたということは、教育を受ける権利が民族に関係なく、ある程度は保障されていたようです。

 野球のシーンに関しては、技術的なことを語る術は僕にはないので、省略するが、当時の甲子園では、監督がユニフォームを着用していなかったり(映画ではスーツなどの洋装だった)、ホームランがかなり出にくかったりという、普通の方からすれば、どうでもよさそうなところになんとなく興味を持ちました。

 映画の感想については、うまくは書けないが、個人的には見て良かったと思った作品でした。


12年に1度、話題になる場所?

2015-01-22 19:33:41 | ブログ

 2015年も半月以上経過しましたが、ようやく今年の最初の記事をUPします。

 今年はひつじ年ということで、「ひつじ」の名がつく名古屋市北区の羊神社に行ってきました。テレビやラジオなどで紹介されていることもあり、1月中旬の平日に行ったにもかかわらず結構な人がいました。

 

 神社の名の由来は、境内にある看板に書かれていたが、行ってから1週間以上経過しているので、忘れてしまいました(多分、羊太夫?という人にちなんだものだったかと・・・)。気になる方は、羊神社へ行ってみてください。