長野マラソンのレース当日の様子です。
朝4時50分に起床(相部屋の方が起きていなければ寝過ごしていたかも・・・)、5時に朝食をとり、5時50分に渋温泉の宿を出発し、「道の駅北信州やまのうち」からシャトルバスに乗り、スタート地点に向かったが、シャトルバスが動き出した瞬間に腹の調子が・・・となってしまいました。
何とかスタート地点に到着し、お手洗いを済ませてから、レースに向けての準備を行い、スタート地点付近を歩きました。桜の花が見ごろでした。体調の方は何とか大丈夫・・・という感じでした。
スタート地点近くのグラウンドでは、出場する選手が各々ウォーミングアップを行っていました。
7時50分頃に手荷物を預け、8時10分頃にスタート地点に並びました。大会関係者の挨拶、招待選手・ゲストランナーの紹介などが行われ、8時30分にレースはスタートしました。僕の並んでいた所はIブロックというやや後ろの方だったので、先頭のランナーがスタートしてから、5分少々経過した後に、スタートを切りました。
最初の1キロは6分30秒位でスタートしたが、ペース感覚にあまり自信がないので、富山マラソンのTシャツを着た僕と同じIブロックのゼッケンをつけた方を目標にして走ったが、5キロ過ぎの最初の給水所でその方を見失ったので、そこからは自分のペースで走ることにした。5キロ地点は30分49秒で通過した。
5キロを過ぎて、大門交差点までの坂を上り、大門交差点から長野駅方面に向かう下り坂を進むと、7キロ付近になった。そこからJR信越本線の跨線橋のアップダウンがあり、10キロ地点を1時間52秒で通過した。
ビッグハットを通過し、13キロ地点付近で、五輪大橋を通過するかなり前を走る選手(サブ3前後位の実力の選手)を見上げながら進み、犀川の河川敷の道路を通過し、エムウェーブの方に向かった。この辺りまではほぼ順調で、エムウェーブの周回道路にある17.3キロ地点の給水所で、レース終盤にエネルギー切れにならないよう、バナナと饅頭を食べ、進んでいった。
20キロを2時間47秒で通過し、五輪大橋の上り坂でスピードが落ちかけたが、橋を上り切ってからの平坦な部分では、100mを36秒(6分/キロ ペース)で走れていたので、まだ大丈夫という感じだった。五輪大橋を下って、ハーフの地点を通過したあたりでは、2時間7分10秒だった。
五輪大橋から国道19号線を西に向かい、折り返してから、25キロ地点にあるホワイトリングに到着した。この辺りまでは、ほぼ6分/キロ ペースで進んでおり、①6分/キロ ペースでどこまで走ることができるか、②どこでお手洗い休憩をとるかというのを念頭に走っていた。
26キロ過ぎからは、千曲川の河川敷を走るコースとなり、僕的にはあまり得意な条件ではないが、頑張って走り、28キロ近くにある更埴橋でゲストの高橋尚子さんとハイタッチをし、再び千曲川の河川敷コースを進んでいった。29.7キロ地点付近にあるお手洗いが空いているようだったので、速攻で入り、用を足し、レース終盤に備えた。30キロは3時間3分22秒とまずまずのタイムで通過した。
給水と給食のおかげもあって、少々余力があったはずだが、31キロ過ぎの「ふたこぶラクダ」と呼ばれる2つのアップダウンを通過した時は少しきつく、このあたりで6分20秒/キロ 位のペースになっていた。このあたりからは、給水所と給水所の間はノンストップで走る・給水所ではしっかりと休憩するの繰り返しになった。
35キロ過ぎからの千曲川の河川敷のコースはかなりきつく、6分40秒/キロ ペースに落ちた。千曲川の河川敷を抜け、残り3キロ付近になった辺りで、4時間30分は何とか切れそうということで、もうひと頑張りのはずが、残り2キロ弱で右太ももの裏側が痛くなった。少々進んだところにあった救護所の冷却スプレーのおかげで何とか頑張ることができ、残り500m付近で高橋尚子さんと再度ハイタッチをし、ゴールへ向かった。
ゴールのオリンピックスタジアムに向かう所の砂利道はきつかったが、スタジアムの芝生に入ってから最後の力を振り絞り、4時間27分44秒でゴールした。ゴールしてからバスタオル・完走メダル・スポーツ飲料・おにぎりを受け取った。スタジアムの外の芝生で、おにぎりを食べ、手荷物を受け取り、着替えをしてから、最後のランナーがゴールするのを見届けてから、長野マラソンタウンの屋台でスムージーなどを購入した(レース後で結構きつかったのか、今回は液体状に近いものしか摂取できなかった)。
長野駅行きのシャトルバスを35分ほど待ち、オリンピックスタジアムから30分ほどで長野駅に到着した。長野駅で土産を買い、特急しなので、我が家に戻った。
今回は練習の成果か?気温が上がりすぎなかったのが幸いしたのか、思ったよりも良い記録で走れ、練習をある程度頑張れば、ギリギリとはいえ、4時間30分以内で走ることができるというのがわかったのが収穫でした。長野マラソンにもあと数回は出場できそうです。