久々に大学の卒業論文を読んでいる。卒業論文と言っても僕の論文(適当に作ったものなので、読み返す程のものではない)ではなく、ゼミの同期生の論文である。
論文のテーマは「日本航空の現状と今後」というもので、今から16年ほど前に書かれたものである。当時は、日本航空(JAL)・全日空(ANA)・日本エアシステム(JAS・・・後にJALと統合)が大手3社の時代でした。冷静に考えると、当時もANAの方がJALよりも財務体質は良かったような気がします(これは、僕もゼミで分析しているので・・・)。
話を元に戻すが、この論文は50ページ以上もある大作なので、完全に読み終わっていないので、詳細は割愛するが、今回紹介するのは、論文の枝葉の部分の話です。
論文の中で地方空港の国際化状況という表がついており、平成2年当時の名古屋空港などの国際線の定期便の状況が載っていた。その当時の名古屋空港からの国際線の定期便は、ホノルル(アメリカ)、グアム・サイパン(アメリカ)、ソウル(韓国)、釜山(韓国)、済州(韓国)、香港(当時はイギリス領)、台北(台湾)、シドニー・ブリスベン(オーストラリア)、シンガポール(シンガポール)、バンコク(タイ)、デンバサール(インドネシア)、バンクーバー(カナダ)の9ヶ国14都市だったようです。バブルの時代だったので、もう少し多いと思っていたが、アメリカ本土やヨーロッパ行きの便が無かったりするなど、思ったよりも少なかったのに驚いた。デンバサールというのが何故あったのかが良く分からなかったが、観光地としても名高いバリ島の玄関口にあたる空港である事を初めて知りました。
名古屋空港から時代は変わり、中部国際空港(セントレア)が開港した頃は、国際線の路線も今よりは多かったのだが、リーマンショックによる景気の冷え込みや、原油価格が一時期異様に高騰した影響もあるのか、国際線の路線もかなり減ってきています。平成2年当時あったシドニー・バンクーバーへの路線は今はありません(個人的には、バンクーバー行き路線の復活は願っています)。
逆に、平成2年当時運行されなかっていなかったのが、北京・上海などの中国本土への路線で、現在中部国際空港から出ている国際線の中で一番多いのが、中国本土への路線だったりします。今の中国の景気を見ていると、それも当り前ではあるような気はします。その他では、ハノイ(ベトナム)、マニラ(フィリピン)、デトロイト(アメリカ)、ヘルシンキ(フィンランド)、フランクフルト(ドイツ)、アブダビ(アラブ首長国連邦)といった路線も、平成2年当時はありませんでした。
こうして見ると、国際線というのは、経済状況だったり、観光のトレンドなど様々な要素が反映されるのだという事を感じました。