フィリピンの民話/山形のおかあさん須藤オリーブ語さんの語り/野村敬子・編 三栗沙緒子・絵/星の環会/1993年
由来話ですがイメージが直結しませんでした。
厳しい継母の手伝いをしていた娘が、いつものようにご飯を炊いて母親をまっていました。炊いたご飯は、母親がいつもヘラでご飯をかきまぜてから食事することができるのでした。田からかえってきた母親が、ご飯をかきまぜようとしましたが、どうしたわけかヘラが見つかりませんでした。
娘の家は、高床式で、床には風通しの良い隙間がありました。ヘラはその隙間から下にすり抜けて、土の上に落ちてしまったのです。
母親から叱責されて、娘が真っ黒な床の下を探しますがヘラは見つかりません。
「ヘラがないことはねえべ。あるべえ。ヘラは大事だから、ちゃあんとさがせ。」と言われて探しても、やっぱり見つかりません。
「暗くてみえないよお」と、娘が言うと、母親は「そんなに見えないなら、目をいっぱいつけて探してこい。お前は見えないのか」といいます。
娘は一晩中ヘラを探し続けました。
次の日、娘の姿はなく、娘のすわっていた地面のあたりに、何か不思議な形をした植物が、芽をだしていました。
父親も床下をさがして、不思議な芽をした植物を見つけましたが、娘はいませんでした。
やがて、その植物の芽は、一日一日と大きくなって、目のいっぱいある実がみのりました。それから数日たつとその実は赤く熟し、甘い香りがしました。
娘は、目をいっぱいつけてヘラを探せと言われているうち、パイナップルになってしまったのでした。
パイナップルのよく熟れた味は、パイナップルになった娘の、お母さんへの甘えと愛しているという娘の気持ちをあらわし、パイナップルを食べた時、舌に感じるざらざらした痛みは、怒られている娘の、つらい気持ちをあらわしているといいます。