あかりの花・中国苗族民話・/肖甘牛・採話 君島久子・再話 赤羽末吉・画/福音館書店/1985年初版
ある夏の日、トーリンという若者が、山で働いていていると、豆のような汗が次から次へとながれ、地面にこぼれた汗が岩のくぼみに落ちます。
その岩のくぼみから真っ白なユリの花が咲き、そのユリが風にゆれながら歌いだします。山へいくのが楽しみになったトーリンは、ある日ユリの花が踏み倒されているのをみて、うちへ持ち帰り、石うすのなかにうえます。するとユリは毎日美しい歌を聞かせてくれます。
十五夜の晩に、あかりの灯心が赤い花になって開き、その中から美しい娘があらわれ、それからは、トーリンと娘は山で畑仕事をし、夜はトーリンは竹籠をあみ、娘は刺繍した美しい布をつくります。
トーリンは畑で作った作物や、竹籠、刺繍のはいった布を市にもっていき、帰りはくわや糸を買って帰る生活をおくり、やがてトーリンの家は立派になり食べ物は倉いっぱい、牛や羊が群れるようになります。
しかしトーリンはその後毎日遊び歩く生活が続き、娘が何をいっても、働こうとしません。愛想を尽かした娘は、ある満月の夜、金鶏鳥にのって月の世界へ舞い上がっていきます。
残されたトーリンは、着るものも食べるものもなくなり、床に敷いたたった一枚のむしろを売ろうとしますが、そのとき刺繍した布が二枚あらわれます。トーリンと娘がたのしげに畑で取り入れをしているものと、もう一枚は二人がむつまじく夜なべをしている刺繍。
これをみたトーリンは貧しくても充実したころを思い出し、夜も昼も一生懸命働きます。
十五夜の晩に石うすのなかへなみだがこぼれると、石うすのなかからユリの花がのびてきて歌いだします。そのとき部屋のあかりの灯心がぱっと赤い花になって開き、そのなかから娘があらわれます。
中国の苗族というのははじめて目にします。ミャオ族というのが一般的なようですが、ミャオ族は日本人のルーツとも言われ、人口約750万人。その半数が中国で一番貧しいと言われる貴州省に暮らしているという。
ミャオ族が日本人のルーツというのは、昔の日本人の暮らしにみられる、髷を結い、もち米、納豆、麹による酒造、漆塗り、繭から糸を引いて作る絹などに共通性が見られるという。
ミャオ族はおもに揚子江流域で暮らし、春秋戦国時代(BC770-BC403)に楚(~BC223)の文化を築くが、そこに秦の始皇帝が現われ戦に敗れたミャオ族は、南に追われていく。始皇帝が天下統一したのはBC221年のこと。ミャオ族はその後もどんどん奥へと追いやられ、中国西南部の山の中、現 貴州省に住みつくようになったという。
こうした背景を知ると、この絵本の魅力が増すようである。日本の昔話「つるにょうぼう」に似た話であるが、「つるにょうぼう」は、つるが去っていくところでおわるが、この昔話はまた以前の生活を取り戻すことになり、ほっとする結末がいい。
ついでに言うと、ここにでてくる金鶏鳥は雄。雄の冠羽が金色に光輝くのが名前の由来で、雌のほうは大分地味な色をしているようです。