・なくなったかせ糸(世界の昔ばなし3 オーストリア いちばん美しい花嫁/飯豊道男・編訳/小峰書店/1983年)
グリムの「ホレばあさん」と同じ話型ですが、途中にでてくるのが、首が二つある男からはじまって、しまいには首が12もある男がでてきます。
ままむすめが、井戸に落とした糸巻きをさがしにいってあったのが「ホレばあさん」。ここで仕事をきちんとして、帰りには糸巻きもかえしてもらい、体中がすっかり金でおおわれるのがグリム版ですが、ホレばあさんのところにいくまで、パン焼きがまで悲鳴をあげているパンを取り出してあげ、りんごがいっぱいなっている木をゆすって、りんごを落としてあげるところがあります。
オーストリア版ではパンとりんごが、首がいくつもある男との出会いにかわっています。
どちらもままむすめが家にかえりついたときには、金ずくめになりますが、どんなイメージでしょうか。
「なくなったかせ糸」で首がいくつもある男にあうというのは、とくに意味はなさそうです。
ままむすめが、おばあさんから夕食はどんな物がいいかねと聞かれ
「豚のえさでも少々いただけましたら」
次に寝るのはどこにしょうと聞かれ
「豚の寝るところでけっこうです」とつつましく答えます。
結果的には、ままむすめはミルクとパン、羽ぶとんに寝ることになります。
ままむすめがでてくるとじつのむすめもでてきますが、どうなるか容易に想像できるのが昔話です。
むすめたちをむかえ、なきごえをあげるのがグリム版では、おんどりですが、オーストリア版では子犬です。
・ホレばあさん(子どもに語るグリムの昔話/佐々梨代子・野村ひろし・訳/こぐま社/1990年)
冒頭に後家という表現がでてきます。
大人の方だったらどうということはないのですが、子どもにとってはどうでしょうか。
こぐま社版をテキストとされている方も多いのではないかと思いますが、ストーリーの展開では、実の娘とまま娘ということだけでも十分です。語る方はこのままの表現で話されているか知りたいと思いました。
「なくなったかせ糸」では「おかみさんに娘がふたりいて、ひとりはじつの娘で、もうひとりはまま子だった。」とはじまります。岩波少年文庫のグリム童話集 上/佐々木田鶴子・訳では、後家は「夫をなくした女のひと」、「まま娘」について特にふれられていません。
「むかし、あるところに母親とふたりのむすめがいました」とはじまるのは(語るためのグリム童話2/小澤俊夫・監訳 小澤昔ばなし研究所・再話/小峰書店/2007年初版)。むすめのひとりは実のむすめ、もうひとりはままむすめとあります。
出だしの部分ですから、あまり気にしなくてもいいのかもしれませんが・・・。